大人になれない
先輩がギターを売ったらしい。
もう一緒に歌えないのか。
ライブ終わり、多分17歳か18歳だった。先輩の自転車の後ろに乗って、公園まで行った。
ライブ終わりは、各々好きなところで夜ごはんを食べて、気が向いた人は、そのままライブハウスの近くの公園に集まるのがいつもの流れだった。
公園に行っても別に何をするでもなく、ただボソボソとその日のライブの感想を言い合ったり、過去の話をして楽しんだ。将来の話はしなかった。
その日も、うどんか牛丼か忘れたが何か食べ、いつもの公園に集まろうとしたが、みんなは自転車で来たのに対して、私には自転車がなかった。
ひとりだけ置いてかれるな、どうしたもんかなと思っていたら、ギターが好きな先輩が後ろに乗せてくれると言った。
いやいや、私はベースを背負ってるので無理ですよと言ったら、もうひとりの先輩が、代わりに私のベースを背負うと言った。
大丈夫ですか、と聞いたら、俺がベースひとつ背負われへんと思ってんのか、と怒りながら笑ったので、感謝しながら私の分身を託すことにした。
そんなこんなで身軽になった私は、ギターが好きな先輩の自転車の後ろに乗せてもらうことになった。
いくら男の人とはいえ、後ろに人を乗せるのだからさぞかしペダルは重いだろうなと、申し訳なく思った。
先輩の自転車が電動じゃないことが関係しているのかは分からないが、先輩の自転車は揺れる、揺れる。
(おしりが痛い!)と思いながらも、乗せてもらっている身だから黙っていた。
しばらくの間は黙っていたのだが、そのあと結局我慢の限界がきて、流石におしり割れますよと言うと、先輩はごめんごめんと笑った。
公園には既に何人か集まっていた。
私も適当に座り、耳鳴りをボーッと聴いていると、先輩がゴソゴソとギターを取り出した。
先輩のギターは、先に誰かが運んでくれていたらしい。
私のベースにせよ、先輩のギターにせよ、みんな自分のものを他人に任せすぎだなと少し可笑しかった。
ベンチに座って、先輩がギターを弾き始めた。
やっぱり上手いんだわ。先輩のギターは。
思い違いは空のかなた
さよならだけの人生か
ほんの少しの未来は見えたのに
さよならなんだ
公園の周りには何者も存在しなかった。
右隣の工事現場と左隣の小さな野球場に、先輩の静かなギターと歌声が響く。
先輩のギターの音につられて、先に来ていた人たちも周りに集まり、各々のソラニンを歌った。
全員10代だった。
ただ音楽が好きで、音楽が好きな仲間が好きで、将来のことをずっと考えているのに考えていないフリをし、過去と今でいっぱいいっぱいの、青臭い10代だった。
夏の夜に溶けるギターの音と小さな歌声は、私たちを現実から引き離した。
今この世界には、ギターと仲間しか存在しないのかもしれないと思わせた。
この時間が、永遠であると思わせた。
今はもうみんな20代になり、環境も気持ちも変化している。
それは悪いことではなく、むしろ生きる上では当たり前のことだが、もう、みんなでひとつのギターを囲んで静かに歌うことはないのだと思うと、少し寂しい。
私はこの先もずっと、記憶の中のソラニンを咀嚼し続ける。
1番大人になれていないのは、私だ。
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