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人は、林檎の色を決められる。

〜みたにノ戯言P.5〜


”林檎は赤い“誰もが知るこの決定を僕たちは疑わない。


100人に林檎の絵を描かせたら99.99999....%、みんな赤い林檎を描くに違いない。

 けれども林檎は青い(緑色)時期を通して赤くなる。
初めから赤い色ではない。
これは周知の事実だ。

 だが、僕は、青い林檎を敢えて描こうとする人に未だかつて、出会ったことがない。存在はするだろうが、圧倒的に少数派であるのは言うまでもない。


 僕も含めて、人は物事の“本質”を求めたがる生き物であると思う。時として、その本質を最強の正義や唯一絶対の真実として捉えがちである。僕らは本質見つけると“その物の全て“のように、受け取ってしまう節があるが、それは理解からもっとも遠い勘違いであると言える。

 皆、本質とは物事の一面である事を、どうしても忘れてしまう。本質は大事な要素ではあるが、周りの皮を削ぎ落として、加工し、並べられた物である事を前提にしなければならないし、それ自体で元の形を成す事は決してない。

赤い林檎は正しい現象だが、それのみで真実足り得ないし、正義でもない。


 体系的な思考や数学的展開するとき、本質はその本領を発揮している。物事を単純化し順序立てて考える時に、その根本のみを取り出して、考えていく事で概要の把握を明快にしているが、同時に多様な要素を排除してしまっているのも事実だ。本質のみで、理解した気になると言う事は、本のあらすじを読んで、その全容を知った気になる事と同じである。

 大人になればなる程、知識を得て、知恵を使い、本質を多用する機会が増えて、分からないことが減ったように感じるが、本当は見逃しているかもしれない事にも、視点を合わせる事が必要なんだと思う。

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