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神は死んだが、その星は今も輝き続ける

作中の設定では「ドラゴンボールを作った本人(神様)が死んだらドラゴンボールも使えなくなる」とされているが、こちらの世界では神が「あの世」に行っても、その星の輝きは尚一層強くなった。

私はドラゴンボールの原作がまだギリギリ連載されている頃に自我が芽生え、父親が集めていたドラゴンボールの単行本を読んで文字の読み方を自然と学んだような、そんな幼少期からドラゴンボールが身近にあった。

大人になれば空を飛べると信じて気を練る練習をしていたし、兄貴とフュージョンの練習をしたし、いざというときには心の中で元気玉を作って元気を集めた。

今は気を練る練習は流石にやめたけど、カメラマンになった現在でも、重たい機材をリュックに詰めて背負ったときに「これは亀仙人の修行やな・・・」と思うことがある。

初期の方はギャグ要素も含みながらちょっとエッチなシーンもあったりでドキドキしつつ、途中からシリアスに主要キャラが死んだり(クリリン)爆発したり(クリリン)でドキドキしつつ、戦闘中の覚醒でどんでん返しする無双パターンが好きになったり、たまに描かれる家族や動物、ロボットに対する愛のあるコミュニケーションに共感を覚え、「友情・努力・勝利」を学んだ。

戦闘中の覚醒が無いという視点でも、個人的に作中最も苦しく長い戦闘描写はサイヤ人が地球に来襲した頃の悟空対ベジータの初戦闘と思ってる。

少しドラゴンボールから話は逸れるが、物心ついた頃にハマったゲームがクロノトリガーとドラクエシリーズだった。

身の回りにあるキャラクターは全部同じ人が描いていると思っていたし、実際そうだった。

そして、多くの同世代が、幼少期に同様の思い出を持っていることだろう。

中学生になって近所のゲーセンに通い始めて、ドラゴンボールのソフビフィギュアをたくさん集めた。同時期に親のパソコンを触り始めて、ネットで同人誌を漁っていた。

同人誌の存在を知らない当初、鳥山明が裏でやばい活動をしていると思っていた。

これだけ語っているが、僕は別にマニアではなく、クイズが出てもそんなに答えられはしないだろう。身近にありすぎて、「推し」とかそういう感覚でもない。いて当たり前だったから覚えたり研究することもない。

ただその人が描いた作品は、絵本よりも強く記憶され、戦隊ヒーローよりも憧れ、教科書よりも言葉を学び、サッカーや野球よりもワクワクし、ときには恋の一助になり、世界を拡げるキッカケとなって、そして今のような仕事に就いてもなお、作品に対する細部へのこだわりや視点力の凄まじさを学ぶ作品になった。

原作ももちろん好きだけど、実は年齢的にも一番ハマったのがアニメの「ドラゴンボールGT」である。

最後に、ドラゴンボールGT最終回のナレーションを引用する。

悟空がいたから楽しかった
ドジで明るくて優しくて
そんな悟空がみんな大好きだったから
これでドラゴンボールの話は おしまい

本当にドラゴンボールが大好きだし、これからも当たり前に身近にあって、より強く輝き続けるだろう。

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