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富安陽子『博物館の少女 怪異研究事始め』 少女の成長と過去からの怪異と

 明治時代、思わぬ運命から上野の博物館で働くことになった少女が、博物館の古蔵に収められた奇妙な曰く因縁を持つ「黒手匣」を巡る事件に巻き込まれる、YA小説の快作であります。長崎の隠れキリシタンにまつわるという黒手匣の秘密とは……

 明治16年、大阪で古物商を営んでいた父と母を相次いで喪い、ただ一人、母の親戚を頼って東京を訪れた少女・花岡イカル。厳格な親戚の下で窮屈な日々を送るイカルですが、自分の遠縁に当たる河鍋暁斎の娘・トヨと出会ったことがきっかけで、上野の博物館を訪ねることにおなります。
 博物館の見事な収蔵品の数々に目を奪われるイカルは、トヨの付き添いで館長の田中と対面するのですが――かつて父の店を訪れ、幼いイカルとも出会っていた田中に目利きの才を認められた彼女は、博物館の古蔵の管理をしている老人・織田賢司、通称「トノサマ」の手伝いをすることになったのです。

 折しも数日前、古蔵に何者かが押し入ったことから、中の品と目録の照合を任せられ、「黒手匣」なる収蔵品が行方不明になっていることに気付いたイカル。長崎から寄贈された曰く付きの品だというその箱を、政府のお雇い外国人が探していたと聞かされたイカルは、トノサマや織田家の奉公人・アキラとともに、その行方を探すことになるのでした。
 その中で不老不死をもたらすという噂まである黒手匣。その奇怪な由緒を知ったトノサマとイカルは、手がかりを追って神田の教会を訪ねるのですが……

 妖怪や異界を題材とした作品を数多く発表してきた児童小説のベテラン・富安陽子。その作者が描く本作は、文明開化の時代、上野の「博物館」(後の東京国立博物館)を舞台に、自分の生き方を探す少女の成長小説であると同時に、この世ならざる奇怪なアイテムを巡る、伝奇ホラーとしての性格を色濃く持つ作品であります。
 何しろ、主人公であるイカルが働くこととなった古蔵というのが、元々は上野戦争で焼け落ちた寛永寺の学問所の蔵という設定。しかもその学問所が、怪異研究を専門としていたというのですから、思わずニッコリしてしまいます。

 そんな由来もあって、博物館で行き場のない品が収められ、口さがない連中からはガラクタ蔵などと呼ばれているその蔵から盗まれたと思しい「黒手匣」の謎を本作は追うことになりますが――途中で語られるその曰く因縁がまた凄まじい。
 隠れキリシタンというある種の「現実」から、一瞬にして有り得べからざる世界に放り込まれるようなその過去の物語には、理不尽な怪談を聞かされたような不気味な味わいがあり――そこに直結していくクライマックスの展開もまた、思わぬ異界を覗き込んだような内容に、唖然とさせられます。

 この辺り、実はある有名な伝奇作品のエピソードを感じさせるものがあるのですが、そこに日本人なら誰もが知っている別の物語を絡めることにより、奇妙な現実感を感じさせるのも巧みとしか言いようがありません。

 さて、思わず本作の伝奇性の方に力を入れて紹介してしまいましたが、本作は先に述べたように、明治という新たな日常を生きる少女の物語であります。そして描かれる怪異が意表を突いたものである一方で、物語の大部分を占めるその日常は、史実を踏まえつつ、静かに、そして丹念に描かれているのに好感が持てます。
 そんな本作の姿勢に繋がるのが、主だった登場人物の多くが、実在の人物であることでしょう。河鍋暁斎の娘であるトヨ(後の河鍋暁翠)、信長の末裔であるトノサマこと織田賢司(織田信愛)、博物館館長の田中芳男に先代館長の町田久成、さらには神田教会の修道士・本宿賢郎――実に彼ら一人ひとりが本当に明治を生きた人々なのです。

 そんな中でも特に面白く感じるのが、(これは作中では明記されないのですが)元高家の旗本であり上野戦争にも参加したトノサマ、蕃書調所に仕えていた田中、島津家一門だった町田という、博物館に奉職する人々の出自であります。かつての敵味方が関係なく、新たな日本の文化的礎を作るために努力する姿自体、実に興味深いるのですが――そう考えると、近世から近代に至る時代、そして未来のために過去を収蔵する博物館という場所を舞台に、新たな世代であるイカルの物語が描かれることに、大きな意味があると感じます。

 そしてそんな本作においては、怪異もまた、受け継がれる、あるいは忘れ去られていく過去の一つとして受け止めるべきものなのでしょう。
 少女の成長小説として、一種の歴史小説として、そして伝奇ホラーとして、独自の輝きを放つ本作。ぜひとも事始め以降の物語も読みたいものです。


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