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久保田香里『天からの神火』 身分という現実を越え、少年が掴んだ小さな希望

 奈良時代をはじめ、古代を舞台とした良質の児童文学を発表している作者が、奈良時代の坂東の二人の少年を主人公に描く物語です。郡の大領(長官)の子・柚麻呂と、郷の農民の子・早矢太、この二人の身分の差を超えた交流の行方は……

 時は神護景雲元年、所は坂東の新田郡――郡の大領の末っ子である柚麻呂は、学問や武芸に優れた兄たちと違い、何をやってもパッとしない少年。今日も競べ弓で兄たちからからかわれていた柚麻呂は、郷の少年・早矢太の弓の腕前を見せられ、強い憧れを抱くことになります。
 一番上の兄・橘の戸籍調べに同行して、早矢太の家を知った柚麻呂は、早矢太の抱えるある事情を知ったのをきっかけに、彼から弓を習うようになるのでした。

 早矢太の郷に半ば強引に押しかけ、早矢太やその家族と少しずつ親しくなっていく柚麻呂。しかし柚麻呂は、多賀城に向かう兵が郡を通った際に、早矢太の父が兵に取られ、長らく帰ってきていないことを知ることになります。
 そして柚麻呂の軽率な行動が、父の安否を知ろうとした早矢太の機会を奪ってしまったことから、二人の間に生まれてしまった溝。それを埋めるべく、自分にできることを懸命に始めた柚麻呂が知った、自分たちの周囲の現実とは……

 異なる身分に属する者同士の友情を描く物語は、古今東西を問わず無数に存在します。それは、我々がそんな一種のロマンチックな関係を求めてきたのと同時に、身分という枠が、いつの世も普遍的に常に存在していたということでもあるのでしょう。
 本作もまた、役人と農民という異なる(そしてある種の上下関係でもある)身分の少年たちの友情の物語であります。しかしそれと同時に、そしてある意味それ以上に、その身分――というよりその身分に象徴される社会の仕組みを描く物語であります。

 国によって民に様々な形で税が――時に労役や兵役という形で――課せられ、それを各地の役所が集め、国に収める。その仕組み自体は形と内容を変えつつも現代にまで続くものですが、本作で描かれるのは奈良時代という、ある意味その原点に近い時期のものです。
 それだけに、ここで描かれるその仕組みの有様と、そこで早くも生まれる矛盾の存在は、遠い過去のものでありながらも、肌感覚として分かりやすく、我々の時代と地続きなものを感じさせるのです。

 そして本作においてはそれが柚麻呂の目から描かれるのですが――ここで巧みなのは、この仕組みの中で税を集める者と収める者の関係性を、決して単純な上下関係や、ましてや善悪といった枠で捉えないことでしょう。
 物語の後半、父や兄の仕事に興味を持った柚麻呂が目の当たりにした真実――それはこの仕組みの矛盾を示すものであると同時に、それでもなお、この社会のためには不可欠な仕組みを動かすために努力する人々の存在を、そしてそこから生まれる時に身分を超える人々のある種の絆を示すものなのです。

 そしてそれを象徴するのが、柚麻呂と早矢太の関係性であることは言うまでもありません。しかし柚麻呂が何とか身分の隔てを超え、早矢太との友情を結びたい、取り戻したいと願ったとしても、二人をこの仕組みは、厳然として、現実に存在するものなのです。
 そんな現実を、単なる少年一人が変えることができるのか? 普通であればとてもできそうにないその難事に挑む柚麻呂の姿を、本作は丹念に描きます。

 それまで何をやってもうまくいかず、それ以上に何にも興味を持てなかった柚麻呂。それが早矢太という友と出会ったことで、自分の真にやりたいこと、やるべきことを見つけ、そしてその実現に向けて努力する――それはもちろん、児童文学的な理想像にも見えるかもしれません。
 しかし本作は――作者の他の作品同様に――決して綺麗事では済まされない現実を描きつつも、それを乗り越えるために懸命に努力したものだけが手にすることができる、一つの希望を描き出すのです。

 それはとても小さなものであるかもしれません。しかしそれは絵空事ではなく、確かに存在し得るものであると――本作のクライマックスで描かれる出来事は、どうやら史実の上でも起きていたらしい、などと補足するのは野暮かもしれませんが――確かに信じられるのです。

 これまでの作者の作品同様、優れた児童文学であると同時に、優れた歴史小説でもある――そんな佳品であります。

 ちなみに巻末には奈良時代を知るためのブックリストが掲載されているのですが、特に物語編がとてもありがたいもので、こちらも必見です。


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