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手塚治虫『新選組』 悩める少年が戦いの末に知ったもの

 先日「シン・時代劇」なる枠でドラマ化が報じられた、そして2022年の八月納涼歌舞伎で新作歌舞伎として上演された手塚治虫の新選組漫画であります。父の仇討ちのために新選組に入隊した若き隊士がそこで見るものは……

 家に逃げ込んできた男を匿ったばかりに、追っ手の土佐藩士たちに父を斬殺された少年・深草丘十郎。その場に通りかかった近藤勇によって藩士たちは斬られたものの、中心人物の庄内半蔵はその場を逃れてしまうのでした。
 そして仇討ちのために新選組に入隊を希望した丘十郎が入隊試験の場で出会ったのは、同年代の少年・鎌切大作。神道無念流の達人であり、人を斬った後に平然と饅頭を食べるような大作ですが、丘十郎とは不思議にウマが合い、行動を共にするようになります。
 一方、その頃の新選組は、局長の芹沢鴨が専横甚だしく、近藤たちは眉を顰める毎日であり、丘十郎と大作もそんな芹沢に強く反発します。ある日、丘十郎はその芹沢の命で裏切り者の隊士の粛清に向かうのですが――その一人・松永主計に斬りかかられて反撃するも、とどめを刺せず見逃してしまうのでした。しかし松永はその後息絶え、その娘・八重は、妖刀村雨を持つ浪人・仏南無之介を助太刀に、丘十郎を付け狙うようになります。
 幾度も傷つきながら必死に腕を磨き、沖田をも上回る腕となった末に、大作の助太刀でついに庄内を斬る丘十郎。しかし今度は土佐藩士たちから仇として付け狙われることになった丘十郎は、戦いの虚しさを痛感することになります。丘十郎の悩みを聞き、彼に一冊の洋書を貸す坂本龍馬。しかしそれを芹沢に奪われた丘十郎は、ついに堪忍袋の緒が切らし、大作とともに、芹沢のもとに乗り込むことに……

 生真面目で純粋、努力家肌の丘十郎と、天才だが飄々と得体のしれない大作――本作はこの二人の架空の隊士を通じて、初期から池田屋事件までの新選組を背景に描かれる物語です。敵役の一人として芹沢鴨が配置されるのは、この時期の新選組を描いた物語としては定番ではありますが――その一方で丘十郎に仇討ちという目的を設定し、それに絡んで様々な強敵が現れ、そして丘十郎の心境も変わっていくのが本作の大きな特色でしょう。

 そしてその中で浮き彫りとなっていくのは、戦いの空しさというべきものであります。仇討ちのために新選組に入隊し、執念で達人の域に達した丘十郎。しかしその過程では、彼は斬りたくもない人間を斬らされた上にその娘から仇呼ばわりをされ――つまりは自分と同じ立場の人間を生み出し――そしてようやく仇を討ったと思えば、今度は自分が大勢から狙われることになるのです。
 ひたすらに傲岸不遜で横暴な芹沢、武士として正々堂々と生きる近藤と、大人たちがそれぞれにある意味ブレない姿を見せる一方で、仇討ちといういかにも時代ものらしい大義を抱えながらも悩み苦しむ丘十郎。彼の姿は、今の目で見てもなかなか新鮮に映ります。
(その一方で、妙に冷酷なようで丘十郎に優しく、超甘党で町のしるこ屋の常連という大作のキャラクターは、これはこれで面白く、今であれば絶対こちらのほうが人気が出そうですが……)

 しかし先に述べたように、本作においては近藤はかなり格好良く描かれていものの、本作の中では決してその生き方が100%肯定されているわけではありません。それは先に挙げた本作の主題を思えば当然ではありますが、そんな彼に代表されるように、過去の幕末もののように悪役として描くのではなく、かといってヒーローとして描くのでもない新選組像は印象に残ります。
 本作が連載されたのは1962年、奇しくも現在の新選組観をある意味決定づけた司馬遼太郎の『新選組血風録』とほぼ同時期の作品――つまりは、新選組漫画の中ではかなり初期のものといえる作品であります。しかしその中で新選組という存在を、そしてそこから幕末という時代を一種客観視してみせたのは、さすがは――というのは褒めすぎかもしれませんが、新選組漫画が毎月のように刊行される今でも、一読の価値はある作品でしょう。

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