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ぜんぶマイブーム

古賀さんのこのnoteを読んで、
そうだそうだ!と全肯定しているわたし。

「諸行無常」などの仏教の教え、ひいては禅的思考は、
コロナ禍のせいなのか、わたしが大人も大人になったからか、随分と意識するようになった。

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以前夢中になっていたアレもコレも、仕事に対する意欲も情熱も、少し時が経つとスッと心が離れていることが往々にしてある。
または思考や主張自体が変わったこともある。
コロコロ変わるもんだな、と自分の中身にただ呆れてしまうこともできるが、それも自分が快適に生きる術だと切り替えると、「諸行無常」が人生論としてちゃんと成り立つ。

それにしても、「マイブーム」という言葉はみうらじゅんさん作の造語だと初めて知った。
し、知らなかった!(ごめんなさい)
ので調べてみると、最近のみうらじゅんさん達へのインタビュー記事を見つけた。

このインタビューでみうらさんは「推し活」と「マイブーム」の違いをこう言っている。

『推し活』って言葉、ちょっと押しつけがましい気がしますけどね(笑)。『マイブーム』は、あくまでマイだから押し付けたりはしませんよ。
(中略)勝手に推しているんだから、悩んでどうするんだって思いますよ(笑)。

また、峯田和伸さんの言葉がストンと胸に落ちた。

あまり周りを意識しすぎないほうがいいんじゃないですか。自分が楽しくなれたら良い。本当に自分が好きなものを見つけて、それを大事にできればいいかなって思う。
さかなクンっているじゃないですか。あの人は本当に自分の好きな魚がいる世界で、魚だけを追求している。それで楽しくなっているじゃないですか。みんなも彼をマネすればいいんですよ。

推し活に関しても若い時に比べて情熱のままには動きにくくなったし、熱が冷めていくのは少しずつだけど時期が早くなった。
(でも蛙化ではないのは良いことかもしれない。)
いろんなしがらみとか、考え方の変化もあるだろう。
歳を経て「諸行無常」的な心境になってきたと思う。

わたしの今の推しに好きなこと、好きな人。
たくさんあるけど、きっと「マイブーム」だ。

人と比較せず、周りはどうだとか気にせず、自分のペースや熱量や信条で好きであっていい。
対象が個人に見返りしてくれる訳でもないし、自分が楽しくあるだけのこと。
勝手に想って、勝手に自己満足して自己完結。

いつか興味がなくなるかもしれない、好きでもなんでもなくなるかもしれない。
実際にそんな思い出になった推し活が過去にある。
そうなって、時を経て、楽しかったなあ〜と懐かしく思い起こす。

マイブームでいい。
そのくらいに思って、心を自由にしていいんじゃないかと思った。
たぶん、わたしはもうさかなクンにはなれないのだ。


そう、ぜんぶマイブーム。


_終わり

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