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健康とメンタルの回復に役立つこと 私編

昨年末、ひょんな事から骨折しました。
私なりにこの事は受け入れているつもりでも、頭ではこうなってこうなったから折れたんだ!という事はわかっても心の中ではモヤモヤッとしたものがありました。家族に言わせれば、「今の仕事は辞めたかったからでしょう〜」と軽く流され、更にモヤモヤの不燃焼な気分はつのるばかり…暫くは自然に骨がくっつくまで自省とリハビリの毎日でした。

これを期に予定が全て未定になり、これまで激忙しい毎日の反省と少しばかり後悔の気持ちと向き合う毎日がやって来ました。
「え〜。この歳、還暦まであと数年というところで何この時間的空洞〜」と、一人でこの時自分が置かれている状況を把握することに必死だったと、今振り返ると必死にもがいているようなそんな気持ちだったかもしれない...いやそれほど危機感があった訳でもないが...

それでも、いつもに輪を掛けて心配して寄り添ってくれるポッポちゃんは、さぁ〜て自分の出番!というが如く安静している私の隣で「もうお家に居なさい!」とでも言っているかようにじっと見つめてくるのでありました😅

生まれて初めての骨折は、杖をついて歩くと、亡くなった母が晩年如何に大変だったか今になって実感できました。そんな母に私は「早くう」とか「急いで!」なんてせかしてたりした事など今更後悔しても仕方なく、むしろ母への想いの郷愁に浸る時間がこうしてできたのだと自分に言い聞かせました。

元々運動で十分トレーニングした強固な足首でした。
これまで何回か捻ったり、挫いた事がありましたが、運動で失敗したという事はまずなかったです。いつもおっちょこちょいの段差だったり、乗車に間に合わなくつまづいたなどの日常の中でのことでした。

今回も同様に、いつもの近隣駅に行く坂道の途中で、ひょんな事から左足を地面に下ろそうとした瞬間に、足元の排水溝に足を下ろしたくないな〜と、瞬時に判断しもう一度足を上げてしまい、身体全体のバランスを失いその上げた足から崩れ落ちるように転んでしまった訳です。
それで身体全体を支える事ができずグッキッというなんとも嫌〜な音と共に地面に倒れ込んでしまいました。

なぜその瞬間足を上げてしまったのか?
その時どうやら私は三つくらいのことを同時に考えていました。その考えの流れを拒絶したく、その先の一歩を引いてしまった、そんな記憶と感覚が強烈に残っていました。

秋も日に日に深くなり、この晩秋の時をどう過ごそうかという少しばかり浮かれた気分と、この先やらねばならない事の整理、そして仕事での様々な出来事などを同時に走馬灯のように頭の中で巡らせ、このまま一息に年末まで突入する勢いで、いつもの道だからと安心して闊歩して歩いていた私!

教訓;もう若き日々のように自分の身体を駆使することはできないのだ。

半年経った今でも未だ全治していなく、運が良かったのは手術をすることなく何かを埋め込むこともなく折れたということでした。
痛みもそれほどにはなくて時折ジクジク痛む程度と時折走るような痛みが不意にやってくるような具合。(折れた時はその痛みで、大人のくせに待合室で泣いてました😅)ただ骨折した側の足を無意識に庇ってしまい、痛みを抑えたいからか、最初の数ヶ月は杖に頼ることも多く筋力の低下もありました。

半年間、経過観察リハビリのため通院も一段落し、初夏の頃から体力回復と筋力低下リカバリーのため様々な自主トレをやっています。その中でも最初はウォーキングから始まったトレーニングも今はハイキングまで行けるようになり、そうなってくると少しづつ自信(この場合自分を信じる方)の回復にやっと繋がってきました。

思いがけない休養期間ができたので、ずっとやりたくて気になっていたITのスキルを身につけることや、心と身体のメンテナンスをする中で少し気持ちや心の状態にも変化が現れてきました。新しい趣味を見つけたり、自分が夢中になれることを再発見したり、逆にやりたくないことや向いていないことを再確認するようになりました。


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