【音楽】中島みゆきの「歌会」で大切な物を後回しにしてはいけないと悟った夜
『中島みゆき コンサート 歌会VOL.1』@東京国際フォーラムに参加した。
コンサートの曲間のMCで中島みゆきも語っていたが、ラストツアーと名打った(おそらく自身も最後だろうと覚悟していただろう)ツアーの途中で、新型コロナによる緊急事態宣言が発令されてしまい、本人曰く、ドサクサに紛れて宣言直後に開催した大阪公演を終えて逃げるようにして東京に帰ってきてから早4年が過ぎて、やっとの想いでコンサート開催の運びとなったのだ。
4年もの歳月の間、大物歌手の活動休止のニュースもあり、ファンもやきもきしたが、中島みゆき自身もコンサートをどうするか様々な葛藤があったことは想像に難くない。
しかし、彼女は再びステージに立つことを決意してくれたのだ。
「ありがとう!みゆきさん!」
別記事にも書いたが、何しろ自分は40年来の中島みゆきのファンなのだ。
思い起こせば、これまでの人生の中で自分は、中島みゆきの歌に、どれだけたくさんの優しさと、どれだけたくさんの勇気をもらったことだろう。
それなのに、それなのに・・・、忙しいとか今はその時じゃないとか、そのときどきの自分に言い訳しながら、40年間一度も会わずじまいとなってしまっていたのだ。
まったくファンの風上にも置けない人間である。
それが今回、あなたの歌に出会ってから40年にして、初めて生のあなたの姿を拝見し、生の歌声を拝聴することとなったのだ。
あなたの声を聴かずして一生を終えたら、死んでも死にきれないとの思いでコンサートに向かったのだ。
だから、当日は40年分の想いが湧き出てきてしまい、コンサート会場に入る前はドキドキ感が止まらなかった。
そしてコンサートが終わった今、『大切な物を後回しにして』しまった自分を猛烈に悔いている。中島みゆきの歌のとおり『時に情けは無い』のだ。
老境の夫婦愛の切なさを歌った『慕情』の歌詞が、夫婦じゃなくて只のいちファンに過ぎない自分の胸に、やたらと突き刺さって来る。
自分は40年来のファンだと大きく出てしまったが、その中でも濃密な時間を過ごしたのは、自分がまだ若かりし頃、学生時代から結婚するまでの約10年間のことだった。
『遠い景色を振りかえって』みると・・・
そのころ出始めていたクリアな音源を売りとするCD版アルバムを買い込んでは独特のメロディーに酔いしれ、歌詞カードを読みながらあなたの紡ぎだす言葉の細やかな意味を1つ1つ咀嚼しながら堪能していた。
天才的なメロディーテイラーにして、繊細な詩人でもあったあなたは、さぞかし物静かな方かと最初は想像していたが、深夜ラジオのパーソナリティとして『ガハハ笑い』ではっちゃけるあなたのそのあまりの変貌ぶりに目を白黒させられたのも懐かしい想い出だ。
しかし、その素っ頓狂なキャラは、物事を深く深く考え、心情をきめ細やかに捉えて、妥協のない歌という形に結晶化させようとする真っすぐな自分の姿を覆い隠すための一種の照れ隠しのポーズであることは、その当時のファンならば誰でも理解していた。
そういえば、コンサートの舞台には、お便りコーナー?で、通称ポチ:寺崎要氏も登壇していた。寺崎氏は、『中島みゆきのオールナイトニッポン』で構成作家を務め番組を盛り上げていた懐かしい面子である。
そもそも声しか知らなかったし、自分のことを棚に上げて言うのも何だが、彼も随分と歳をとったなというのが正直な感想だ(失礼!)。調べてみたら、御年75歳であり無理もない(笑)。
もう一人、コンサートでは中島みゆきに牧羊犬と紹介されていたが(笑)、瀬尾一三氏も懐かしいメンバーの一人だ。長年、中島みゆきのアレンジャーや音楽プロヂューサーを務め、中島みゆきの音楽活動全般を支え続けた大功労者である彼もまた御年76歳。みんな歳を取ってしまった。
中島みゆき自身も今年で72歳である。自分がよく知っていた頃に比べて、人生の終盤をテーマとした歌も増えてきたように思った。
先に紹介した『慕情』もその1つであるが、『命のリレー』も捉えようによっては、老境をイメージした歌だろう。
人間は皆、誰かの想いのバトンを引き継いで生きている。そして、自分の想いも次の世代の誰かに託して一生を終えたい。そうしたら、たった1人の力ではどうにもならない高い理想も、もしかしたらバトンを引き継ぐ大勢の人の力で成し遂げられるかもしれない。少なくとも、そのような希望を抱いて生きてゆける。
この世を少しでも生きやすい世界に変えてゆきたい、きっと、そんな中島みゆきの願いからこの歌は作られたのだと思う。
この歌は、自分も同じように歳を重ねてきたせいか、すごく共感を覚えながら聴くことができた。歌とは、聴く人の置かれた状況や心情で、捉え方が変わるのだという当たり前のことを再認識させられたコンサートでもあった。
中島みゆきの歌は、なぜここまで人の心を捉え続けるのだろうか?
それは、天才が天才であることに甘んじずに弛まぬ努力をしてきたからに違いない。
素敵なメロディーは、天才に空から降りてきた贈り物であろう。しかし、詩は秀才による努力の賜物だ。
メロディーラインの制約の中で、心に残る言葉を紡ぎだし当てはめてゆく無限の繰り返し作業は、五ー七ー五の制約の中で、言葉を当てはめてゆく和歌の世界にも似た地道な作業なのかもしれない。しかし、その生みの苦しみ、完成度を極限まで上げるための作業の過酷さは想像に余りある。
だからこそ、中島みゆきの歌は奥が深く、人を引き付ける魅力があるのだ。歌詞を読み込んでも読み込んでも、無限の解釈が湧いてきて、人の心を離さない。
アレンジャーの力も侮れない。アレンジ一つで曲の雰囲気がガラッと変わってしまうからだ。その意味では、音楽に関してこだわりの強いだろう中島みゆきのむちゃぶりに似た要求に全て応えてきた瀬尾一三氏の存在は大きい。
そして、歌表現のためには、『悪魔でも天使でも』成りきる中島みゆきの歌唱力により一つの歌が完成する。
言うなれば、歌に関して、一切の妥協を許さないのが中島みゆきなのだ。
20代の頃に、もし中島みゆきのコンサートを訪れていたら、どうだっただろうかとふと想像してみる。
ネットを見ると、今回のコンサートの感想では、「歌唱力全然落ちてない」「圧倒されました」「感動の嵐です」「みゆき節に鳥肌が立ちました」「泣きました」のコメントで溢れている。
自分もそう書きたい。絶対に書きたい。何しろ、40年分の想いが詰まっているのだ。
それでも、それでも・・・、そう書いてしまったら、中島みゆきに失礼だろう。
一切の妥協を許さない中島みゆきだからこそ、全部わかっている中島みゆきだからこそ、そんな『優しい嘘』は聞きたくないはずだ。
だから、自分は書けない。いや、書かない。
でも、もしも彼女が来年も再来年も歌会VOL.2、歌会VOL.3、・・・と歌い継いでくれるなら、もしも死ぬまで歌い続けてくれるなら、自分は会場で手が千切れんばかりの拍手を贈り続けていたい。
何しろ自分は40年来の中島みゆきのファンなのだから。
「みゆきさん!お会いできてうれしかったです!」
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