響け!ユーフォニアム3 最終話(13話)感想 音楽は久美子に何をもたらしたのか。すべてを受け容れ、誇りを胸に・・・。
もう最終話なので、予想を裏切ってくることはほぼありませんでしたね。久美子が先生になるというのも予想した通りでした。母校への凱旋は少々意外でしたが。
すべて受け容れ、前に進む。
音楽は、久美子になにをもたらしたのでしょうか。青春のきらめき、理不尽、苦しみ、友情・・・。
きっと、世の中には言葉にできない人それぞれの青春があろうかと思います。その中に一つ、久美子の青春がある。それだけのことだろうと。
久美子は作中示された問題をすべて解決できたわけではありません。真由の「ユーフォが好き」と久美子の「北宇治が好き」は、最後まで交わることはありませんでした。麗奈という北宇治の特異点は、最後まで久美子が北宇治にこだわる理由となっているからです。よって久美子は最後まで北宇治ラブです。真由は楽しく吹きたいという主張を引っ込めることはありませんでした。
まさに正しさは人の数ある、ということだと思います。
ですが「響け!ユーフォニアム」という曲を吹くことを通して、お互い違いを受け容れた時、それは音となって二人に変化をもたらしました。
たぶん、ここで真由とお互いを受け容れあったことは、久美子の先生になる動機を後押したんだと思います。
音を楽しむ、と書いて音楽。苦しんだ考え抜いた過程があって、やりきったと実感できて、それを誇りに胸に抱けたからこそ、音楽を久美子は好きになったんだな、そう感じさせてくれる最終話でした。
まさに音を楽しんでいた。
ソリのシーン、久美子は切なくも穏やかな、なんともいえない表情をしていました。作画陣のこだわりを感じます。一番のハイライトシーンだからこそ、ここは久美子なりの正解を作画で出したかったんではないかなと。結果はゴールド金賞でした。みんなの音として素晴らしいものが表現できたからこそ、久美子のあの表情なんだとも思います。視聴者の思い出と久美子の思い出が重なって、いいシーンでした。
結果発表のシーンの表現は、まるで走馬灯のようでした。おとなになる=青春が死んだ瞬間です。
青春の死というと悪いイメージもあろうかと思いますが、破壊と創造は両輪です。死の後には、新しく生が芽生えることでしょう。
誇りを胸に、久美子は進んでいきます。
桜は青春=吹奏楽部=久美子の象徴
毎年咲いて、散っていく。次の年はまた健気に花を咲かせ、また散っていく。吹奏楽部=桜が久美子の象徴だということですよね。エンディングアニメーションの久美子が置いたヘアピンも桜でした。
全国大会前、香織と晴香が久美子を「おとなになった」と伝えるシーンがあるのですが、本人は「先輩方のおかげです」と自覚していないのは、彼女らしくて可笑しくもいいシーンでした。
毎年咲いて、散っていく。京都アニメーションは、あの惨劇があって、また再び花を咲かせました。桜には制作陣の願いも込められているように感じられて、またジーンと来てしまいました。
音を楽しめ、というのも京都アニメーションだからこそ、その重みが増します。ここまで「楽しむ」ということがどういうことか、描いてくれてありがとうという気持ちしかありません。
ユーフォは現実賛美なのか?
ユーフォシリーズのストーリーは山あり谷あり。厳しいからこそ、理不尽だからこそ現実のようで、目を背けたくなるシーンも多かったです。
現実を知り、実感し、受け容れるその過程が人生であり、ある意味では現実賛美と受け取られるのかもしれません。
ですが、久美子は現実追認でも諦めでもなく、自分の道を見つけました。
そこは視聴者もしっかり受け取らないといけないと思います。
今日も、同じ空の下
大吉山から見下ろした夜景の光の数ほどにひとりひとりの人生があります。街明かりはその象徴のようです。
素晴らしい最終回というのも間違いありませんが、ここまでの助走がしっかりしていたので、もうあとは受け容れるだけ。こちらとしてはそんな感じで楽しめました。
あと、まだ見てない人はすぐに3期1話を見てください!葉月役の朝井彩加さんが言ってました。
これを見ると、すべてはじめから決まっていたんだ、と運命的な気持ちになれます。
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