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ゲンシャ系


もしも学部をデザインするなら

もしも自分が「まちづくりの専門家育成に向けて、学部カリキュラムを設計せよ」と言われたら、次のように答えていただろう。第一に、地域経済の仕組み、次に人間の心理、特に集団の心理。さらに現代日本社会を考えると超高齢社会が基本なので、社会保障や福祉政策。加えて実務に向けて、契約や権利の基礎知識は抑えておきたい。さらに、これらを統合して現場に落とし込むまちづくり、ファシリテーション、である。この前提を踏まえ、以下の文書を読んでみてほしい。

まちづくり学部?

筆者・三矢が在籍(教員2年目)する名古屋学院大学現代社会学部は、学部が開設されて今年が10年目であり、学内では比較的新しい学部である(2024年、名古屋学院大学は60周年)。社会学を軸として、心理学や経済学、法学や政策科学、あるいはまちづくりなど、多様な分野の専門家(研究型、実務型の混成)で教員が構成されている。
まちづくりの仕事を20年以上担当してきた身として思うのは、まちづくりの専門家に求められる最も重要な素養の一つが「総合化(synthesizing)すること」だと思っているが、その総合化の前提となる、押さえておくべき教養や知識は、現代社会学部での学びの広がりと合致しているように思う。
例えば、心理学の教員では個々人の心のメカニズムもちろんのこと、集団心理や組織心理、人間の文化を扱う教員もいる。経済分野では、ミクロ経済(消費行動)を扱う教員がいれば、比較的マクロな経済(広域経済戦略)を扱う教員もいる。法律や契約、人権といった権利にまつわる研究をしている教員もいる。さらに社会保障や福祉政策を扱う教員もいれば、三矢のように都市やまちの再生・再創造を扱う教員もいる。
以上により、現代社会学部は、筆者からすれば「社会学を土台としたまちづくり学部」の様相を呈している。

社会学的アプローチ

自分は、名古屋工業大学で建築計画を学び、千葉大学大学院で参加型まちづくりを研究実践してきたキャリアがあり、自然科学(理系)の出自である。一方で今働いている職場は社会科学(文系)が前提となっている。
大学で筆者は、都市デザインや都市政策、まちづくりの講義や演習を担当しているが、例えば、受講している現代社会学部の学生が、社会に出た時に設計や施工を担当する技術職に就くことは想定されず、主に企画や営業、総合職の分野で活躍すると想定される。
このことを考慮し、自分が背負ってきた分野を「都市工学」とすると、大学で期待されるのは「都市社会学」的なアプローチであると考え、講義や演習を自分なり(社会学系学生向け)にアレンジすべく工夫している。
そんなことを考えながら、いくつかの書籍を読み込んでいる過程で、社会学者の阪井裕一郎氏が、社会学的アプローチとはどういうものかを解説している文章に出会った(※1)。これを筆者なりに解釈、編集して表現すると、社会学的アプローチの特徴とは、①社会課題を(個人ではなく)社会的に解決するアプローチをとる(身体障碍者の身体に課題設定をするのではなく、社会環境=段差や偏見に課題を設定して解決する)、②解決策検討の冒頭において「常識を疑う」、③課題解決の出口において「スタートラインを平等にする」である。
①の話は、カッコ内の説明で終えるとして、②も重要である。人々が慣れ親しんできた常識を根本から疑い、常識と思われている外の世界を構想する力が社会学には秘められている。よく社会学者が「**とは何か」を問うのはこのためであろう。
③も重要だ。まちづくりの専門家は、人々の「こんなことやってみたい」「こんな暮らしが手に入れたい」という情念や気持ち、欲望が押さえつけられている(人は豊かに生きたいという欲望をもっているという前提に立つ)状況から、その心のロックを解除し、自由に発想、行動することを可能にするための技術や手法の開発に勤しんでいるのだが、そこでも「人々の協働作業の前提となる情報の水準をあわせ、議論のスタートラインを整える」ことが求められる。
以上のように、社会学の背景にある課題解決アプローチの世界観や哲学は、まちづくりのそれと、かなり相性がよい。

まとめ

だとすると、現代社会学部の学びが、まちづくり人(関わり方が市民の立場であれ、行政や事業者、専門家など問わず)養成プログラムと合致していることは明らかであり、筆者が、現代社会学部(通称ゲンシャ)を「社会学を土台としたまちづくり学部」と言いたくなる気持ちがご理解いただけたのではないかと思う。

【参考文献】
※1)阪井裕一郎:結婚の社会学、pp.12−19、ちくま新書
 
冒頭の写真は、UnsplashのK Kannanが撮影したもの。

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