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レタッチで表現したいもの

何のために「現像(レタッチ)」をするのか。

「レタッチの是非」についてはSNS上も含め議論の対象になることの多いテーマだと思う。

「写真」とは、真実を写すもの。
この考えに基づいて、あくまで撮って出し(カメラで撮った写真に手を加えることなくそのまま写真として扱うこと)を是とする考え方も一理ある。

しかし僕自身はあくまで現像した写真を自分の作品として発信、公開することにこだわっています。

今回は改めて整理するためにレタッチに対する考え方についての話をしようと思います。


写真は真実を写すもの


「写真」に対するこの解釈が正しいかどうかはどうでもいいと個人的には思っていますが、レタッチしない方の意見としてこの考えが根拠になっていることも多い。


そもそも真実とは何なのか?
先日ふとこんな疑問が浮かんだ。

「真実」と似てよく使われる言葉に「事実」がある。

とあるアニメ映画でも「真実はいつも一つ」と決め台詞のように使われているが、この2つの言葉の違いは何なんだろうと思い調べてみると下記のような違いがあることが分かった。

事実・・・実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。
真実・・・うそ偽りのないこと。本当のこと。


「事実」は誰が見ても同じでできごとや事柄なのに対して、
「真実」は主観的な解釈が入るということ。



違いを歴史(本能寺の変)で例えるなら、
織田信長を明智光秀が襲撃したのが事実であり、
明智光秀は〇〇が理由で織田信長を襲撃したというのが真実となる。

歴史において謎と言われる事件は、この真実(当事者の本心)が読めないから謎になっていることが多い。


少し話はそれたが、これを風景写真に当てはめてみたらどうなるか。
例えば湖畔から夕陽を眺めていたとしよう。

事実・・・湖越しに夕陽が見える
真実・・・見えている景色に対してどう感じたか(夕陽が綺麗、眩しいなど)

あくまでも個人的な解釈だが、このような捉え方もできると思う。


この解釈に基づいて写真を再定義すると、
「撮影時の環境への主観的な感情を写す」こう捉えることもできるのではないだろうか。


このように解釈すると、撮影した写真にレタッチを行うことは「真実」という概念を捉えている作業ではないだろうか。


こんな感じでレタッチに対する肯定的意見を言語化させていた今日この頃。


レタッチで何を表現したいか


ではレタッチで表現することとは何か。

『撮影した時の情景や感覚を、その写真を見たときに感じられる(思い出す)』
僕自身はレタッチを行う上でこの考え方を軸としている。


同じ映画やドラマを見ていても着眼点が人それぞれ違うように、
風景や街並、ポートレート、動物、電車、飛行機など被写体を撮影する時にも人によってフォーカスする場所やその情景に対する感情も違う。


だからこそ撮影した写真にレタッチを行うことで、
その場で感じた主観的な想いや感覚を表現できるのではないだろうか。


現像前
現像後


例えばこの滝の写真。
撮影時に特に意識が行ったのは奥の滝から流れてきている水の流れと、自然豊かで緑に溢れた落ち着いた雰囲気でした。

レタッチで意識したのは、奥の滝と水の流れに意識が向くこと。
逆に撮影時に全く意識が向いていなかった階段の奥などはシャドウを下げることで、水の流れや緑に意識がいくようにしました。


細かいレタッチの方法はとりあえず置いといて、
いかに「奥の滝から流れる水の流れと、自然豊かで緑に溢れた落ち着いた雰囲気」を表現できるかを意識した結果、現像後写真のような仕上がりになりました。



とりあえず今回はここまでにしようと思います。


こういった考え方に寄った内容は動画よりも文章の方が良いかもと思って今回お試しで書いてみましたが、果たしてどれだけの方の参考になる内容になってるんだろうか。。。



実際にどのようにレタッチを行なっているかなどはまた改めてyoutubeでやってみようかと思いますが、いつになることやら🦥🦥🦥



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