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(13)1582年 中浦ジュリアン

小説「大村前奏曲(プレリュード)」序章 Vol.13

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「甚五殿、大きくなられた。今は波佐見で蟄居していることにはなっているが、いずれここは私の住まいとなる。今日は隣の和尚も御同席頂いた。」
「御館様、お久しぶりに御座います。ジュリアンで御座います。」
「こちらの和尚様とも羅馬ローマに行く前に一度お会いしたいと思っておりました。」
 こちらへ来たすぐ、彼がまだ幼いころに一度見かけてはいた。彼は多以良の血筋、それも葛が峠の戦いで討死した甚五郎住吉の子である。ジュリアンの幼名も甚五もしくは父親と同じく甚五郎となっていた。それに歴史では少年となっているのでどんな様相かと思えばもう立派な青年ではないか。あちこちで見た遣欧使節の銅像よりも清閑な顔立ちだし、後日対面することになる喜前公もそうだったがこの時代はもうこの年代でちゃんとした大人なのだ。
「やはりヨーロッパへ旅立たれるのか。」
「私は御館様の命に従って赴くのみにて。」
 思わずファイナルアンサーと聞きたくなった。この時代へ来てからというもの孤独感もあってかどうでもいいジョークやツッコミが頭をよぎる。
 それはともかく確かに彼の言う通り、イエズス会が企んだこととはいえ直接的には「私の命」ということになっている。大友、有馬との同盟の一環なのでそれは仕方ない。しかし彼のこの後の一生を考えると気が重い。本当に行かせて良いものか。だが史実は変えられないのだ。
 聞き方を変えた。
「あなたにどんな運命が待っていようとも。ですか。」
「どういう意味でしょう。キリシタンとして洗礼を受けた以上、一度は羅馬にも行ってみたいというのはごく自然。それにそもそもキリシタンの布教は所詮信長公が天下布武の名のもとに進めていること。キリシタンもいずれ本願寺や比叡山のような目に遭わないと言い切れるでしょうか。これから先に何が待っていようとも私はキリシタンであり続けます。信心とはそのようなもの。」
 実はこの四か月後本能寺の変が起こるのだが秀吉の時代になったとて状況に大差ない。
「そうじゃのう。私も信仰に携わるものとして同じ考えです。我々平凡な人間が神様や仏様と同じ命をいただいているのじゃ。このお方はそのこともよく理解しておられる。ここに居る迷いの塊の純忠様とはえらい違いじゃ。ほんにお若いのにご立派なこつ。」
 和尚には初対面から完全な信頼を置いているが、このジュリアンも少しは気を緩めて構わない気がした。どうせ会うのもこの一度限りだ。
「あなたが帰ってくる頃には私はもうここには居ません。その頃はまだキリシタンも許されていて歓迎もされますがいずれ禁止令が出されキリシタンの人々は過酷な道を辿ることになります。だが、和尚にもお考えがお有りの様です。その御意志も後々まできっちりと引き継がれることでしょう。何かの際にはこの寺を頼られませ。」
 きっとこの寺が大村を守ってくれる。その確信に変わりは無かった。あの時代に初めてこの寺を訪れた時、BGMにオルガンの讃美歌が流れていたのも思い出した。
「洗礼を受けた時からそれぐらいの覚悟はしております。しかしながら心配なのはこの大村や西海のこと、家族のこと。災いは及びませぬか。」
 和尚が口を挟んだ。
「それは考えずとも良い。あなたはこの方が居った世界では肥前大村のひいろう、だそうじゃ。空の港の入り口にあなたの記念像も建っとるらしか。」
「ひいろう、はともかくとして空の港とは何ですか。」
「いずれ大村は世界とこの日本をつなぐ大きな翼となるのです。あなたはその立役者、西洋の言葉でいうヒーローなのです。」
 どこかで聞いたキャッチコピーだ。ってキートン山田かい。それにあのドラマのオープニングBGMも聞こえてきそうだ。また自分にツッコんでしまった。
「そのための港が大村にできるのです。」
 空港ができるのは間違いないがその他のくだりは何の根拠も無かった。とっさに繕ったと言った方が良い。慰めにもならないのだ。この時はただ彼への申し訳なさと自分の無念への言い訳。それでしかなかった。
 長崎へ来る前に一佐に見せられたあの一枚の絵が影響したかも知れない。
「御館様は話には聞いておりましたがやはり不思議なお方です。何もかもお見通しでいらっしゃる。私もこれで納得して羅馬に向かうことができます。」
 彼との別れ際、或る言葉がよぎった。ウィキペディアで見たあの最期の言葉だ。
「私はローマに赴いたジュリアン神父です。」
 そう、彼は彼の信じるキリストと同じ結末を迎える。



(続く)




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