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21

どこから歩いてきたのか―――裸足で足が血まみれになっていた。

髪がざんばらんになって、表情を覆っている。

ピタピット足音を立てて、玄関を入ってきた。

小声で何か言っているようだが、聞き取れない。

「来ないで!」

入真知が仮野の前に立ちはだかった。

姫容李は目を見開いた。

「邪魔だ!」

叫んで、手で払い除けた。

入真知は床に跳ね飛ばされて、動かなくなった。

仮野はいよいよ動けなくなった。近づく度に、金縛りがひどくなる。

この指輪をしていれば、助かるんだろうかと、妙なことを思った。

効能については、全く聞いていない。

「どうして見えないんだろう―――」

至近距離で、彼女は言った。

外の居酒屋で、サラリーマンの号令が聞こえた。

商店街のど真ん中で、企業理念を大声で唱えている。

「ここにいるはずなのに―――匂いでわかる。」

眼球が陥没して、深遠な闇と化していた。

「みんな私のものになったんだ―――みんな私のものだ―――何でこいつだけ、私のものにならない―――何故」
姫容李の声が耳に入った瞬間、脳裏に母親の顔が思い浮かんだ。

これまで蓋をしていた意識が溢れて、時系列もぐちゃぐちゃになった。

―――あんな子はやめておいたほうがいいわよ

―――あんな子たちとは関わっては駄目

―――こんな下層の仕事はやるもんじゃありません

―――そっちへいくと危ないから駄目よ

「どうしたら、喜んでくれるの?」

見えない筈の姫容李の目が、自分の僅か数センチ手前まで迫っていた。

自分は―――今こそ、自分の闇に打ち勝つことができるのだろうか?

自分が認められたいがために、今外で騒いでいる連中の様な生き方をするのは御免だ。

明らかに異常だ。

自分は、芸術をやって生きていくんだ―――

行けなかった旅にだって行きたい―――

機会を奪われていた婚活だって―――

そして―――目の前のこの女と関係を持つことだって―――

「俺は―――」

姫容李は能面の様な表情でこちらに顔を向けている。

「お前を―――」

入真知が気がついたようで、軽く唸った。

投げてしまえばいい―――何も思わずに。

「自分のものにしたい―――」

意識は完全に飛んでいた。これで、世界線は変わったんだろうか?

姫容李はしばらく表情を崩さなかった。

「そうなんだ―――」

小さな声が、薄い唇から漏れた。

仮野は小さく、はいと答えた。

しばらく間があって、姫容李は急にいつもの笑みを浮かべた。

「じゃあ―――また探さなくちゃね」

仮野は呆気にとられて、呆然としていた。相手の言葉の裏に何か意味があるのかと思ったが、どう考えても、わからなかった。

「安らぐのは、一瞬だけ―――私のものになった途端、いつかは裏切られるから」

ずっと、一緒に居たい―――と、言う前に、姫容李は眼の前から消えていた。

玄関の古い木戸が、秋風に揺れて、キイキイと音を立てている。

すべてが終わったんだろうか?

世界線は変わったのか?

姫容李は一体どこへ消えたのか?

「今、あいつになんて言ったんだ?」

入間知がふらつく頭を抑えて口を開いた。

仮野は言い淀んだ。

「まさか、付き合って欲しいなんて言ったんじゃないだろうな?」

入間知は怪訝そうな顔をした。

「お前、もうここから離れろ―――何となく、この後ここが使えなくなるような気がする」

入間知は予知能力めいたことを言った。

仮野は冷静になって、部屋を見渡した。

「家財道具なんて、生きてりゃいくらでも買えるから―――早くしろ」

握れないくせに、入間知は仮野の手を引っ張って、廊下へ出た。


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