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氷室(神社)はローマから

奈良市春日大社近くに氷室神社と呼ばれる神社があります。
ここに氷室があるのか?と神社の方に尋ねると、
『ここは氷室を護るための神を祀っている。地勢的に氷室に適した場所にあった。近くでは現在の大阪府にあったのでは無いか、と言われている』と教えて頂きました。
また氷室は何のためにあったのか?現代から想像すると、夏の暑い時に氷を楽しむ…のように思いがちです。確かに、氷室神社では現代、そのような儀式が行われているようです。
しかし、氷室神社の方によると、『古代は占いに用いたことが記されている
。その年の五穀のできなど占ったようです。』と教えて頂きました。
さて、この氷室はどこから来たでしょうか?
ここで先人の書を参考にしてみましょう。「ローマ文化王国ー新羅」由水常雄著 新潮社 から、(少し表現は原著より簡略化しています)
「夏暑い季節に備えて、冬季にできた氷を大量に貯蔵すると言う考えは、北方騎馬民族の慣習には無く、ローマ世界の温暖地方の慣習が導入されていたのではないかと考えられている。日本書紀の仁徳天皇の項に見える氷室の記録は新羅から伝わったものだろう。」

6世紀石氷庫(慶州・新羅)…同書より


さらに
「仁徳天皇陵からはローマ・グラスも出土している」
とも書かれています。
この氷室もその後、平安時代頃になると利用法が変わったかも知れませんが、
古代の文化の交流が現在からの想像以上にグローバルに行われていた証拠のような気もします。

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