恋こがれて

 窓の向こうの、雲ひとつない水色の景色を見ていると、いてもたってもいられなかった。おろしたてのシャツと、一年ぶりに履く黒いスニーカー。外へ出ると、街はすっかり夏だった。
 少し歩けば汗がにじむような、ひりつく太陽が懐かしくて嬉しくなる。白く照りつけられた、コントラストの強い真昼の風景。道端のフェンスに絡まった植物の葉陰で、一匹の蜂が羽を休めている。

 夏という舞台の上では、普段歩いている近所の道さえ、心踊る旅路のようだ。すれ違う学生服や、畑の奥の麦わら帽、公園の蛇口で遊ぶ小さな子供の姿も、なんだか新鮮で、まぶしく見える。
 しばらく歩いたところで、いつも通っているスーパーに着いた。店内に入るなり、うっすらとかいていた汗がたちまち引いてゆく。氷とビールを買い、少し早足で帰る。
 まだ夕暮れには遠いけれど、かすかにレモンを搾ったような陽射しに変わってきた。家のそばで、ランドセルを置き去りにしたまま遊んでいる小学生を見かける。いつの時代も、放課後の小学生は何かに夢中なのだ。今ではとても思い出せないような些細なことに浮かれて、立ち止まる暇もないくらい、めまぐるしい毎日だった。

 ドアを閉め、鍵をかけると、急に空気が止まった気がした。あんなに広かった世界から、この小さな箱の中の静寂に戻ってきたのだ。手を洗い、買った氷を冷凍庫に移す。揺り椅子に腰掛けて、ビールの栓に爪をかける。窓を開けると、吹き込んできた風にレースのカーテンが膨らんだ。
 チボリのラジオをひねり、いつか海へ行くために作ったプレイリストを流す。カメラの中には音も写真も残っているけれど、海の匂いはもう、思い出せない。

 いつのまにか外はこがね色に変わっていた。どこからか、さようならの声が聞こえてくる。ああ、また夏の一日が終わってしまう……。ドキドキして、切なくて、ブルー。きっと夏のあいだじゅう、こんな風に毎日はメリーゴーランドのように私を惑わせる。だけどそれでも構わない。どんなに泣いてもすがっても、今年の夏は一度きり。そんな刹那の季節に恋してしまったのは、ほかでもない、私自身なのだから。

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