見出し画像

春日傘~ショートショート①桜ブレンド

序章~桜咲く路


 小川沿いの街道筋には狭い道に沿うように古い民家が建ち並び、川手に植えられた桜並木が満開を迎える頃には一気に人出が増えてくる。片側一方通行の車道でもある川沿いを南北にはしるその道は、そこに住む人々にとっての生活道路でありながら、観光に訪れる旅行客にとっては散策の路でもあった。春の観光シーズンをむかえて旅行者たちが我が物顔でにぎやかに散策を楽しんでいた。川面は春の陽光を反射して、行き交う人々の気持ちを代弁してもいるのだった。明るい日差しは休日を快適に演出していた。


第一章~青いクルマ


 最寄りのバス停から川沿いを北向きに歩いてきた絵美子は、旅客向けの店の建ち並ぶその中の、緑色の屋根の喫茶店に目を奪われていた。段々に強くなる春の陽気に軽い疲れをおぼえたこともあり、
川沿いの桜を見たあとはこの喫茶店でコーヒーを頂いて帰ろうと決めたのだったが、猛スピードで走り抜ける休日の車に危険を感じて、端へと身を寄せて「あぶないわ…」とひとりごちながら家族連れの乗るその青い車を避けた。しばらくはその体制のままで固く身を縮めて動けなかった。
 やれやれ、先に喫茶店で休んで行こうかな、という心持ちに駆られて古い演出のなされた緑色の屋根の喫茶店の前まで来て、木製の扉を静かに開いた。少し店内の様子を伺いながら「おいしいコーヒーが飲みたいわ」
と期待しつつ一歩足を踏み入れてみた。薄暗い照明の店内では、あごひげの店主らしき中年の男が手招きするように
「お一人ですか?どうぞお好きな席へ」と静かに声をかけてくれる。絵美子は川沿いの桜並木がよく見える狭い4人掛けの席に腰をおろしたところで、「今の青いクルマ、危なかった。私は悪くないもの」とひと息ついたのだが「安全とは?か。ふふ、思い出すわ、、」
生活道路の桜並木路はひっきりなしにいろんな車、バイク、配達車両、タクシーなどが行くのを木の枠の小窓越しにチラと見やっては辟易して少しため息をつくのだった。「女ひとり旅の観光客だなんて、住む人からは邪魔そのものよね。」ふう、「青いクルマか、」

第二章~回想


「前に二人でここに来たのは、いつだっけ」と海馬の奥の引き出しにしまいこんだ、微かな思い出を辿ってみるのだった。サイフォンのボコボコお湯のたぎる音に思い出が同期してあの頃と同じだと思った。
「同じコーヒーの香りだわ…」などと
感慨にふけるのだったが
「何にいたしましょう」という店主の問いかけに、発言を指名された学生のようにびくっとした。文系私立の大学を卒業してもう25年が経つ
「えーと、桜ブレンドを」
「お砂糖ミルクはいかがなさいますか」「ブラックで」甘いのが好みだったけど、これは貴方の影響があるのよね、、

と、手作り感のあるメニュー表と相談しながらひととおりの注文をシステマティックにこなした後は、やはり窓の外を見て静かに感慨にふけるのだった。「この店じゃなかったかな。」
 桜ブレンドとは如何なるコーヒーか?考えることもなくボーっとしていた。海馬の引き出しを探ることが忙しくてコーヒーの注文まで吟味出来なかったのかもしれない。そのことがより一層過去の思い出を際立たせて目の前にあの日のせつない思いがよみがえってくるのだったが。店内にはトミーフラナガンのレコードが小川の流れるような名演を奏でてていた。それは記憶の世界へと私を誘う音となった。

「日傘忘れた!」
どこに?「買ったばかりのか?」
「そうよ」
「さっきの喫茶店だろ」
もう引き返せないな、と貴方が忙しそうに言う。青いPEUGEOTは高速道路を東へむけてノロノロと夜間の工事渋滞にはまりながらゆっくり走行していた。ようやく海老名SAを過ぎたところで絵美子は日傘を忘れたことに気づく。
「どうしよう」「帰ってから明日お店に連絡するしかないね。」
貴方が他人事のように冷静に言い、ハンドルを持ち直し、ウィンカーを右にたおして流れのよい追い越し車線に進路を変える。ふわりとディオールのソバージュの香りが頬をなでた。ラストノートはあまくて優しい。
「ねぇ、取りに戻れないかな?」
「ムリだよ、明日のフライトは朝早いんだぜ?今日だってチェックの合間を縫ってようやく時間を取れたんだ。」
「間もなくメディカルチェックと北米路線の審査が待ってる、体調整えたいんだ。」「君との生活の為に早く機長昇格訓練を突破したい」
そう言われて私はうつむいてしまった。飛行機乗りだ、という貴方の口癖は「安全という言葉には実体はない、危険を排除し続ける努力その継続可能な状態を便宜上安全と呼んでいるにすぎない。そもそも、、」「航空身体検査にフェイルすると飛行停止だ、ジャンクフードや甘いものは食べない。」つまらなかった。私はすぐに車を引き返して取りに戻るような人の方が好きだったのに。美味しく何でも食べる人が好きだったのに。どうしてだろう、この人のプロポーズを受けてしまったのは。
「そうだね、仕方ないよね…明日お店に連絡してみるわ。ごめんなさい、、」
「そうだね、その方が安全だよ。」
それきり静かになった車内二人きりで、渋滞の車列を進む止まるにまかせて揺られながら青いPEUGEOTは帰路を急いだ。急ぐ気持ちとは裏腹にビル・エヴァンスの静かなピアノに車内は包まれた。

 翌日絵美子は店を探す。NTTの電話帳、旅行雑誌、地図、どこにも手掛かりがない、、一見さんで訪れた地方の小さな古い喫茶店は名前すら記憶にない。思いつく方法を全て試したが、結局わからずに絵美子は途方に暮れた。

「あの頃はネットもスマホもなかったのよね」結局わからずじまいのまま、18年もの時が過ぎていた。
今日は春の陽気に思い立ち、快晴のなか記憶とネットの情報を辿ってようやくこの小さな川のそばの桜並木通りにたどり着くことができたのだ。あの日の彼がいないことが、絵美子に寂しさと清々しさを同時に感じさせる原因になっていた。

第三章~呆気ない別れ


「私はムリだったな。」絵美子は運ばれてきた桜ブレンド、という名の店オリジナル焙煎コーヒーを一口飲んだのだが、
苦味の後の酸味が心地よく、程よい熱さがノスタルジーに疲れた心の芯まであつく染み込むように感じられた。
窓越しに見える桜並木通りに若干人が増えてきた。レコードからはIn A Sentimental Moodが静かにこぼれてきた

「別れて。」「ああ、」そんな呆気ない幕切れになるとは。
もう思い出すこともないこの頃だったが、ふいに見上げた春霞の大空に一筋の飛行機雲が緩やかに線をえがいているのを見た。「ヴェルヌーイの定理で飛ぶんだよ。」という貴方の横顔を思い出していた。ついていけない、、と決めたのは私は空に住んでないんだ!と気づいたときだったな、となぜか自分でも可笑しい言い訳を思い出して、窓の外の桜に目をやった。

相変わらず、観光客の往来は絶えない。車も行き交うその桜並木路が青空に映えて、まるで照明が照らすステージのように明るく華やいでいた。幼い子供がスキップする後を年寄りが追いかけ、若夫婦が荷物を持ったままゆるりとついていく、そんなあたたかく、微笑ましい光景もみられた。
「私は一人を選んだの。」と窓越しにひとりごちて絵美子は冷めかけたコーヒーを飲み干して席をたとうとした。いつしかレコードからStrdustが流れていた。

終章~飛ぶ


「お客さん、こんな話があるのですが、、」遠慮がちにマスターらしき男性がポツリとカウンター越しに絵美子に話しかけてきた。穏やかな低い声がロンカーターのベース音のようでハンチングの奥の目尻のシワが
とても優しげだった。
「春先の日差しが強くなる頃は」
「日傘を置き忘れるお客さんがね」
「まま増えるんですよ。」
次のコーヒー豆をミルに投入しながらポツリポツリと呟く。
「そうですか、実は私も18年前にこの辺りで恋人にプレゼントされた日傘を忘れて帰ったことがあります。」
「喫茶店だったと思います。」
「大事な日傘を忘れたのですか、、それはお気の毒な」
「はい、でももういいんです。今日ここに来て、美味しくコーヒーを頂けて、桜が見れたことで幸せです。」
「今日は日傘はお持ちでないのですか?」「紫外線は年々強くなるように思いますね」「40代も半ばを過ぎるとお手入れ大変なのよね」「うちの店では年に十本は傘の置き忘れがございますが、」「まぁ、そんなに?」
他愛もない会話が沁みた。寂しくて泣きたい気持ちが涙腺を刺激するけど、滴り落ちる汗は更年期の心身のコントロールが難しいことを示している。

「手をはなれた日傘は、その後鳥になって大空へと帰っていくらしいですよ」「きっとお客さんの日傘も、忘れたのではなくて」「帰っていったんですよね。」「ふふっ」「そうかあ、大空へと帰ったのね」「そうですとも。」にこやかにハンチング帽が頷く。コーヒー豆が挽かれることで店内に新たな桜ブレンドのいい香りが充満した。
置き忘れた日傘は、絵美子の手に戻ることはなかった。あの日傘が守ってくれてた気がして、それを失くすことがどこか一人の不安感を絵美子に感じさせてもいたのだった。
「あの、日傘は春の大空へと羽ばたいて帰っていったのね、あの頃の彼が一緒に連れていったの。」

そう心でつぶやくと、静かに席をたった。
「ごちそう様です」
「またのお越しを…」
去り際は、あっさりと。
「私もなかなか、粋な女子だわ…」
「新しく自分好みの日傘を買いにいこう!」「全ては自分で選んだのよね。」

ありがとう、さようなら。あのときの日傘も貴方も


~折り枝に添える歌~


喫茶店に置いてきたのよ春日傘
やがて鳥になる
あの空に羽ばたく





蒸しエビ様、宇宙杯俳句入賞おめでとうございます
俳句からイメージがわきました
拙い文章ですが、敬意を込めて物しました
いつもありがとうございます。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?