ガスパチョ

「言葉のずれ」を人との間で抱えながら会話を進めることは、まるで知らない料理をレシピを見ずに作っているようだった。料理は基本知っているものを作るし、作り方がわからない料理名は調べるので実際はそんなことしないのだが。明確でないイメージに向けてただ進んでいくような感覚だ。

私はガスパチョという食べ物を食べたことも作ったこともないのだが、存在と食べものであるということは知っている。確かスペインかどこかの料理で「ガス」と「パチョ」という言葉が原材料の名前をスペイン語で意味している。私はその言語を習得していないので汲み取ることが出来るのは、音の感覚、今まで聞いた文章の中でガスパチョはどの様な意味で使用されたか、など私の経験に基づく「ガスパチョ」のイメージだ。例えばこの料理を見たことがないが料理名を知っている人がいたら私の他にいたら、その人と私がガスパチョを作ったときにできる料理は違うのだろう。よりガスパチョに近いイメージも、見たり食べたりした経験もあって言葉の意味自体の詳細な情報を持っている人は、より一般的なレシピに近いガスパチョを作ることができるのだろう。

そうやって私たちが日々使う一語一語が個の体感と経験を経て使用されるから、人によっていろんな誤差が生まれるのではないかと思った。

Yumi


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