短所は一生ものである

「長所はやがて、なくなるけれど、短所は一生ものである」

確かに、人のどんなに素晴らしい長所、技術も、才能も、人間性も、事故や病や老いなどによって、やがては消え、失われていくように感じる。

老いとともに、かつての力を失っていった人を、これまでにも見てきた。
それでその人への尊敬が、失われることはないけれども。

一方、短所というものは、どれだけ鍛えても、決して完全になくなることはないように思われる。自分を見ても、他人を見ても。

長所をもって短所を打ち消すということも、どうやらできないことらしい。
いくら素晴らしい長所があっても、それによって短所がなかったことにはできない。

これは悲観的な話ではない。
だからこそ、短所を自覚することが大事だということだ。
むしろ、自らの短所を自覚して生きるところにこそ、人の美しさがあるように感じる。



新約聖書にあるタラントンのたとえ。
タラントンを地中に埋めたしもべを暗闇に追い出す主人に対して、理不尽だと憤る読者がいた。かく言う私もその一人であった。
タラントンを増やそうとして商売をしてタラントンを失うリスクを感じたのなら、地中に埋めておくのは最善とは言わないまでも、責められる選択肢ではなかったのではないだろうか。

このたとえには、タラントンを使って商売をして、タラントンを減らした場合はでてこない。

数学で「場合分け」という概念を学んで気がついた。
そういう場合はないのだと。

タラントンは、自身がそれを生かそうと思う限り、決して減ることのないものである。
タラントンは「タレント」=「才能」の語源だと言われるけれど、
人の才能は「決して減らないもの」ではない。

「人の長所はその人のタラントンではない」のかもしれない。


短所こそが、神様から与えられたタラントンなのかもしれないな。

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