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教育に正解はない。

ある人が言っていた。

私は、子供にえこひいきをします。

出来る子供を評価して何が悪いのか?
出来た子供より、隣にいる出来ない子供の事を気にかけて、成し遂げた子供を褒めないなんて私には出来ません。

五体不満足の先生の話だ。

某、五体不満足の先生も親からの愛情をたっぷり受けて人と少しだけ形が違う事をハンデと思わず、出来るだけ伸び伸びと育ったという。

だから子供にもめいいっぱいえこひいきをして出来た事に目を向けてめいいっぱい褒めて伸ばしていこう。

そういう話だ。

私は、この話が好きだ。

人は全員同じ事をやらせて、全員同じ成果が出せる、そんな事はありえない。

個性というものがあるからだ。
みんな違って、みんないい。

だから個性が突出して大人になった時に、色んな個が合わさり、とんでもない事を成せるようになる。

人が成長する過程には、心理的安全性が必要だと最近よく言われる。

簡単にいうと、褒められて伸びる人が大半という事。

しかし、厄介なのは頭ごなしや決めつけだ。

教育者側が、意図していなくても、良かれとおもっていても、色んな理由で決めつけてしまう。

自分が教わる時は、頭ごなしはやめてほしいと思っていても、そうして育った教育者は、頭ごなしに教育し始める。

心のどこかにあるのだろう?

私だって同じようにされたんだから、あなただってこうしなさい。と…

頭ごなしの指導は、逆効果になる。

私自身にも身に覚えがあった。

学生時代、1番問題のクラスに在籍していた。
担任の先生から、お前らは学校の癌だから期待もされてないよ。(今の時代ならアウトだ)

少しくらい真面目にやれよ(今の時代ならホントにアウト)

先生は必死に問題のクラスを鼓舞したかったに違いない。

しかし私たちは、その言葉で開き直って改めて悪い事を正々堂々と出来ると勘違いした。1番悪いなら何しても上手くいかないと開き直ったのである。

この時の私たちは、何て言って欲しかったんだろう?明確には覚えていない。

が、やはり褒めて欲しかったのだと思う。

頭ごなしや決めつけが、悪い方向に向かった体験を私はしていた。

それも個性と言ってくれる人があの時近くにいれば。
勉強ができない代わりに何に頑張るんだ?と背中を押してくれる人が近くにいれば。

そう悔やんでも過去は帰ってこないので、自分がそういう指導をしないようにと心掛けた。

沢山の本を読み、話が前向きな人の話を聞いた。

少しずつだが、褒めて伸ばす事とはどのような事なのか?

相手の立場に立つというのはどういう事なのか?
少しずつだが、わかるようになってきた。

しっくりくるのは、できる人、やろうと努力した人にはえこひいきをする事だった。

私自身が評価を得て、他にえこひいきされるにはまだまだ努力が足りない。

ただ、私の組織でそうした努力をしてくれたチームメンバーには思いっきりえこひいきをしたい。
そうして私はチームを成果に導いていく。

という教育の話。

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