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「困った時の手がかりの見つけ方」

「はい今日から山岳部な!」
とニヤニヤしながら担任のA先生は言った。

物語は20数年前に遡る。
始まりは私が高校2年生の春、昼休みの教室。
「おい、井上ここに名前を書いてくれ!」
と言われたので、先生が立つ教壇に私は行く。

「紙の上のほう」が先生の手で押さえられていた。

良く分からないけど、「いいっすよ!」と二つ返事で先生の手元におかれた紙にサインをしたのが始まりだった。

その紙は山岳部の「入部希望者の申し込み書」だった。

そこからは引き釣り合戦。
「そういえば、△△も入りたいって言ってましたよ」と出まかせを言って気の合う仲間を先生のもとに呼び出す。

「よし、そうか!△△ちょっとこっち来てくれ」
そして次のやつは「あいつも、あいつもと」言って
思ってもいなかった恐ろしい連鎖が広がる。

そして、ものの10分で新入部員は充分集まり
山岳部入学者はめでたく6名になった。

実は私の高校の山岳部は3年生が卒業したことにより
部員が2名になってしまった。
だからこのままでは「廃部の危機」ということだったらしい。
しかしそんなピンチを我が担任は「悪知恵」でさらりと乗り越えた。

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次の日の放課後には神保町に皆で向かっていた。
初めての山靴を路上で「集団試着」して大きめのザックを買う、という急展開。


昨日まで山のことなんか「ちーっとも」興味なんか
なかったくせに、なぜかみんな嬉しそうな表情。

知識が全くないから店員さんに言われるがまま、
オススメを即決。
良いカモが6人もやってきた。

値段も決して安くなかった。
おそらく2つで6万円はゆうに超えていた。
毎月のバイト代が3万円の私にとっては2ヶ月分の手痛い出費。

でもみんななぜかにこやかだった。

それは我が男子校は、「本当に気の合う仲間が多くいて」そいつらと同じことをやれるんだったら何でも良かったから。

あとは、なんだかんだ文句言いながらも先生の事を
「どこかで慕っていた」からかもしれない。


先生は元新聞記者から教師になったらしい。
国語教師には「決して必要のない量」の筋肉を全身に纏い、特に腕が「太腿のように」異常に太かった。そして肌が浅黒い30代漢。

当時男性としては珍しく、趣味でエアロビもやるマッチョで面白いけど、怒らせたら怖い「我らが担任兼山岳部」の顧問だった。

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入部間もなく、ろくに練習もしないままいきなり僕らの山登りの日々が始まった。
素人の僕らは山岳地図の見方もコンパスの正しい使い方も当然わからないのに「まず登らせる」。

そして山岳部に入ったは良いが、
指導は「元々いた登山マニア」に任せていて、
卒業まで先生に「登山のイロハ」を教えてもらった覚えが無い。

その上なぜか、
燕岳(つばくろだけ)、谷川岳、南アルプスといった素人が登るにはハードルが高すぎる山を指定してくる。

でも「素人とは恐ろしいものだ」。

それがどれだけ厳しい山なのか、どれだけ「僕らにはまだ早い」山なのかもわからない。
だから「いいっすよ」と軽い感じで夏山登山のOKを出してしまったのだ。

そしてついに8月の初旬、
僕ら山岳部は大した情報も与えられぬまま
3000m級の山に挑戦することになる。

免許取り立てがF1レースに出るようなものだった。
いやほぼ山登り無免許状態。

「僕ら新メンバー」は元帰宅部やバンドマンも多かったので、みな運動なんてしばらくしていない。
私は地元で水泳をやっていたのでまだ良かったが、体力不足の奴がほとんど。
当然のごとく山では脱落者が続出していた。

素人がたいした練習もせずにいきなり山に登ったってそんなに「現実は甘くない」


早朝登り始めのふもとでは「確かに8人だった」パーティーが、途中で6人になり4人になり3人2人に。
昼過ぎに気付いた時には「私の前にも後ろにも」誰も見えなくなっていた。

先生は「僕らのペースなどに」気を使うことはなかった。後ろを歩く「僕ら可愛い生徒」には一切目もくれず、慣れているからスイスイと登って行く。

その頃の私は体力には自信があったが、所詮は登山初心者。
ペース配分など分からないし、重い靴とリュックの荷物が時間が経つにつれ堪える。標高が高いから息も絶え絶え。

「なんで素人にこんな高いレベルの山を登らせたんだよ!」と先生に対する怒りは当然あったが、
「ちゃんと帰れるのか?」といった不安の方がだんだん強くなっていった。
気を抜いたら「遭難」の不吉な2文字が頭をよぎる。

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登り始めて4時間くらいたったそんな時、
目の前には「手がかりもない」断崖絶壁の岩場が立ちはだかる。

いったい「どこに手をかけ、どこに足を乗せるの?」か全く見当がつかなかった。

まるでリ○ビダンDのCMかと目を疑う推定傾斜45度以上の岩場が眼前に広がる。

「これを進むの?」
と嘆いても山岳地図が読めないし、仲間も周りにはいないし、後戻りは出来ない。
文字通り僕らが生き残る道は「この道を行ったであろう」先生の後を行くしかなかった。

「ここに手を置けばいいのか?」
「いや違う、こっちか?」とまさしく手探りで手足の置き場を探しては確かめる。

「ここで指を離したらおしまいだ」と思うと、
指先、足先に今までの人生で入れた事がないような力が入る。

そして「尋常ではない集中力」
下を見てはいけない。
素人ながらそうしたことは重々解っていた。

そんな難所をどうにか潜り抜け登り始めてから5時間後、やっとの事で頂上にたどり着いた。
登頂時は感動出来るほどの「心身の余裕」は正直僕らには残されていなかった。

私の到着後、4人、5人、6人目のやつが到着した。
先に登りきった僕ら仲間の顔を見て、安心したのだろう。
「皆同じように」安堵の笑みがこぼれていた姿が今も脳裏に焼きついている。

しかし残り2人が来ない。

「これみんな無事揃うのかねー」と思いながらも、
口に出したら何か悪い事が起こるような気がしたのかみんな余計な心配は口には出さなかった。

僕の後ろで先生は夕暮れの山頂の岩の上で一言も言わず、なぜか「仁王立ち」している。

僕の到着から1時間半後、やっと残りの2人も無事到着した。

全員の無事を確認すると、
先生はニヤニヤしながら「おーみんな揃ったか!」と一言。

それに続いて出た言葉は
「じゃあメシ作るぞ」だった。

昔だから許されたかもしれないが、
今のご時世で同じ事をやったらPTAや保護者は黙っていない。
結果的に全員集合できたからいいが、これで僕らの身に「もしも」があったら先生はどう責任をとったんだろう。
根拠はないが僕らを信用してくれていたのだろうか?

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みんなが揃った頃には頂上は夕闇になり、
雨が降り出してきた。
雨の中カッパを着て「夕飯の焼きそば」を作った。
しかし調理に使う水が足りない。
みんな登山中「ノドの乾きに耐えられず」各々が必要以上に飲んでしまっていたからだ。

そこでみんなの「ポリタンク」を集めて水をどうにか確保して調理。
頂上で食べた、水が少なめの「しょっぱい袋入り焼きそば」の味は、今まで、それ以降食べた焼きそばの中で「間違いなく1番の美味しさ」だった。

「ないなら、ないなりに知恵を絞ってなんとかするもんだ」

でも食後の僕らにもう水はない。
登山による大量の発汗と「極上の焼きそばによる」ノドの渇きに耐えられず、大雨が降り頻る中、原生林の葉っぱにたまった雨水を夢中で飲んだ。

「高度が高いから水がきれいなはず大丈夫だよ!」と誰かが根拠のないことを言い、みな口を大きく開いて天にむけた。
「雨水を飲んだ」のは人生最初でそれ以降今のところない。

そして、「こっそり忍ばせてきた杏露酒」をみんなで飲んでいると、先生にあっさり見つかり取り上げられたので、僕らはもう横なぐりに雨が吹きつけるテントで寝るしかなかった。

翌朝には雨が上がり、その時僕らは
「3000メートルの空の中」にいた事を改めて知る。
あの高度でしか見る事ができない「晴れ澄み渡った空気の中」に降り注ぐご来光は、表現しきれない美しさで今でも忘れられない。

その時初めて
「人間やれば何とかなるもんだなぁ」と身をもって知った。

先生は決して細かなことを教えてくれなかった。
「まずは自分で考えろ」と言った。

僕らの山登りの仕方は命に関わるので
決してオススメ出来るものではない。
くれぐれもみんなには、ちゃんとした登り方で山を安全に楽しんで欲しい。

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「知識は大事だ」自分の身を守るヨロイになるから。

でも知識ばかり増えると頭でっかちになったり、
新しいものに飛び込むことを「必要以上に」恐れてしまう。

「装備は何が一番良いのか?
「どういうルートを通ると最適なのか?
と準備ばかり入念に考えていたら知識が増えれば増えるほど「山に登ることを恐れて」僕らは登れなかっただろうし、あの「日の出」にも出会えなかった。

厳しい環境に身を投じるとその中で「なんとかしようとする」もの。
そして昨日まで出来なかったことが「ほんの少しできるようになると」私たちの世界は
「ほんの少しだけ」広がる。

口数は少なめだったが、山登りを通して一人ひとりに「座学では得られない大切なモノ」を教えてくれたと今思える。

そこまで深い考えがあったのかは私には分からないが、厳しい環境に放り投げてくれた先生には感謝だ。

あの時は本当にむちゃくちゃきつかったけど
なぜか夢中で楽しかった。

学生時代以上に実社会では「手がかりがない」難題をいきなり現実として突きつけられる事がある。
でも躊躇せず一度登ってみよう、それでダメだったら仲間に頼ってみよう。

「僕らの生命力を信じて」、あまり朝日を期待せず
まずは山登りを楽しもう。
おそらく登っているうちに手がかりは、
思いがけずきっとどこかから現れるはずだから。


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雨の日をたのしく

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