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『僕の家族の居場所』

「茶トラを見かけちまったんだ、だから思い出してしまったんだ」

私のデビュー作は「猫探しています」
デザインも文章も、素人丸出しのチラシだった。

今から13年前。
当時僕たち夫婦は子宝に恵まれなかった。
そんなこともあってか、いつしか「猫を飼おう」という話になる。

そこからの展開は早く、まずは保護猫を飼っている人を探した。

その後「どの猫を家族にするか?」を決めるため
車で30分かけ、捨て猫を保護している人のお宅へ向かう。

家の中に入ると、部屋のふすまや柱はキズだらけ。
10匹以上の多頭飼いだからか、なんとも言えない
複雑に入り混じった匂いに、思わず“ウッ”と息を止めてしまった。

実はこちらに行く前、事前に猫たちの写真を
見た時には「お目当ての子」がいた。
でも、いざその子に会ったのだが、なかなかなついてくれない。

結局どの子を迎え入れるのか決めかね
「ちょっと考えます……」と、お宅をあとにしようと玄関で靴をはいた。
そんな時、茶トラのあいつが、いやあいつだけが
ヒョコヒョコと玄関先まで来て、僕らのお見送りをしてくれたのだ。

その瞬間、2人そろって運命めいたものを感じた。
「この子に決めます!」我が子“ほうちゃん”の誕生だ!

名前の由来は、麻雀の役「天和(てんほう)」からとった。
天和とは、牌が配られた時点ですでにアガっているというもの。つまり苦労せずに“戦わずして勝つ”
という伝説の奥義。

聞くところによると、
あいつは工場で拾われたらしい。
だから「これからはもう苦労しないですむように」という、僕らの願いがこめられていた。

家にきた当初、「ここはどこ、君たちは誰?」と
警戒して隠れる様子もあったが、慣れるのにそんなに時間はかからなかった。

会社帰り、車が家の前に着くと、いの一番に
玄関まで迎えにきてくれた。

冬場は僕の布団にもぐりこんで真ん中で爆睡。
しょうがないので足を大の字にして寝るはめに。
変な体勢での寝苦しさも、朝起きた時の身体の痛みもまんざらではなかった。

毎日の話題の主役は間違いなくあいつ。
いるだけで家の中が笑顔であふれていた。

実家が洋服屋だったこともあり、
犬や猫といったペットは厳禁。
だから、僕にとって初めてのペットであり、
初めての猫。いつしか、かけがえのない家族になっていた。

2年後僕らに息子を授かったことで、
それ以降は「お兄ちゃん」と呼ばれるようになった。

「お兄ちゃんが帰ってこない……」
そんな我が家にとって大事件の電話を受けたのは、
あいつが家族になった日から5年ほど経った
ある春の夜、仕事帰りの車中だった。

私たちの家は地方の一軒家で、1階のリビングには大きな窓があった。

外の景色がバッチリと見えるのは、開放感があって良いのだが、どうやら猫には刺激が強すぎたようだ。
庭を通りすぎる野良猫と目が合い、
興奮するお兄ちゃん。

残念ながら僕は“猫語”は分からない。
でも雰囲気から察すると、ナワバリ争いでもしているのだろう。
「オレを早く出してくれ!」と言わんばかりに、
フンッフンと鼻を鳴らしていきまいた。

あれは、お兄ちゃんにとって大事な
“見回りのパトロール”だったのだろう。

もちろん「外はだめ!」と言い聞かしていた。
でも仲間であろうが敵であろうが、
猫という“同じ生物”の刺激に、僕ら人間はかなわなかった。

夜中でも甲高い声で泣き叫ぶ、我が子に疲れ果て根負け。
とうとう外に出してしまった。
「窓越しで泣き叫んだら、外に出してあげる」
いつしかそれが、我が家の当たり前の光景になっていた。

しかし、結果的に“行方不明”という悲劇をまねいてしまったのだ。

「我が子らしき猫を見なかったか?」、「捕獲された猫はいないか?」
役所など、いたるところに電話。

もちろん、夜仕事から帰ってきてからは懐中電灯をもって、近所の草むらなどを探し回った。

でもそれだけじゃ“いてもたっても”いられない。
あいつの写真と特徴の羅列、私の電話番号。
そして「猫探しています」のタイトルをパソコンで入力。

それらを詰め込んだデータを印刷屋さんに持ち込み、人生初のチラシを100部印刷してもらった。

あいつがいなくなってからもう3日。
「早く見つけなきゃ」と、とにかく必死。

お店のスタッフが「早く見つかるといいですね」
と、温かい声をかけてくれた。
聞こえてはいたが、僕の気持ちはそこにはなかった。

「どこか遠くに行っちゃって、帰ってこられないのかも……」
街中のいたる所に貼らせてもらえるよう、電柱の前のお宅にピンポンを押しては、お願いして歩き回る。

通販でゲージまで買って、捕獲も試みた。
チラシの甲斐あって、「それらしき茶トラを見ましたよ」といった目撃情報を、何件か寄せてくれたのはありがたい。
連絡をくれた方に会いに行き、見かけたという現場近くにゲージをしかける。

次の日、仕事帰りにゲージに行ったら、
茶トラが入っていた!
夜遅くに「捕まえたよ!!」と、喜びいさんで家に持ち帰る。

しかし翌朝、改めてゲージの中の顔をみたら愕然。
中に入っていたのは茶トラ違い。
「ごめんね」といって、元の場所に帰してあげる。

それから1ヶ月ほど経ったある日、
妻が「違うネコ飼おうよ……」と僕に提案してきた。

それに対して「なんで、簡単にあきらめるんだよ!」「もし、見つかったらどうするんだよ」
と言い、揉めてしまった。
今思えば、“良かれと思って”言ってくれたことなのかも。

でも当時はそんな事を考える余裕などない。

それにあいつを諦めて新しいネコを飼うということは、僕にとって裏切り以外のなにものでもなかった。

それから僕らは、つまらないことでケンカが多くなり、すれ違いが増えてくる。
ボタンの掛け違えなのか、ついにはその数ヶ月後、
僕らは別々の人生を歩むことになってしまった。

思えば、あいつを迎え入れたことで僕らの仲が深まり、あいつがいなくなったのを機に、僕ら家族はもろくも崩れていってしまった。
まるで幼稚園児が作った、できそこないの砂の城のように。

そんな思いがけないトラブルのせいで、大好きな
息子ともしばらく会えなくなってしまった。

僕は発狂した。決して例えではなく。

布団のなかで
天井の木目の1点を凝視してもがいた。

愛猫を失った悲しみに追い討ちをかけるように、
息子と離ればなれになるなんて微塵も考えたことがなかった。

悪いことって続けておきるもの。

切り傷に塩を揉み込むような、“これでもかの痛み”に僕の身はもだえた。
気がつけば、4人家族が1人ぼっちになっていた。

しばらくして、
息子と会うことは条件付きで許されることに。
でも、とうとうあいつがいつもの“見回り”から戻って来ることはなかった。

猫が大好きなのに、あれ以降何年たっても飼う気にはならず。
猫カフェにも一度も行ったことがない。
なにかそれをしてしまうと、あいつを裏切るような気がして。

痛みを忘れるためには、痛みを越えるだけの試練と、没頭する何かが必要だった。

だから今まで胸にかかえていた「ライターで起業する」という目標を改めて決意。
土日も休みなく血眼になって活動した。

サラリーマンの仕事のかたわら、ライティングの
勉強とクライアント獲得に奔走。仕事で有給をとり、経営者団体にも積極的に参加した。

身体はぼろぼろだったが、予定をミッチリつめていないと、悲しさと不安に押しつぶされそうだったのだ。

難関なハードルとぎゅうぎゅうのスケジュール。
苦しみから逃れる術はそれしか分らなかった。

ある時クライアント獲得活動のなか、頼んでもいないのに“お見合い”をセッティングされたことがあった。
知り合いの女社長とその友達、と私。
なぜかその3人で食事をすることに。

しかし、女社長は「ちょっと仕事がたてこんでいて……」といった連絡をよこし、いつまでたっても
店にこない。
「はめられた……」と気づいたが、いまさら帰るわけにもいかない。

「待っているのも何なので、ご飯食べますか?」と、私からきりだした。
ほとんど面識もない女性との2人きりのディナーはきつかった。
初対面にも関わらず「どうして別れてしまったんですか?」なんて言われた。「あの社長、どこまでしゃべったんだよ」

野暮な質問に嫌気がさし「まあいろいろ……」と、
そっけない返事をして飲んだくれた。
2時間後、女社長がニヤニヤしながら登場したので、思わずにらんでしまった。
独り身を心配したのか分からんが、
せめて趣旨を伝えて欲しかったよ。

正直相手が誰であれ、そういう気にはなれなかったし、また同じ過ちを繰り返してしまうようで怖かったのだ。

あれから6年が経ち、環境は変わった。

勤め先も住む場所も変わり、努力の甲斐もあり、
コピーライターになることができた。
そして先日まだ1年目ながら、とあるコンテストで賞をいただくことに。
一見、順風満帆な日々。

でも入賞の手紙を受け取った僕は、
膝からガックリと崩れ落ちてしまった。
「今まで必死こいてやってきて受賞したのに、
なんで嬉しくないんだろう?」

「何かが足りない……」

その時気づいた。お金でも、成功でも、認められることでもない。
僕が1番欲しかったのは、
横にいて一緒に喜んだり、共感したりしてくれる
仲間や家族の存在だったのだと。

そんな時、偶然あの茶トラを見かけたんだ。

1年ほど前から、僕は仕事帰りに近所の公園を
散歩するのが日課になっていた。

受賞の連絡を受けた翌日、公園に行くと
その子はイチョウの木の下の茂みにいた。

”チッチッ”と舌を鳴らすと近寄ってきて、
僕の歩くほんの1メートル先を先導して
”ひょこひょこ”と歩く。

30メートルはお供しただろうか。
そんな時、つい「お兄ちゃん!」と呼んでしまった。
そうしたら茶トラは立ち止まって振り返り、
僕の顔を「じーっ」と見る。
その子は首輪をしていた。

当時住んでいた場所から30Km以上離れていて、
あれから6年も経っている。
こんな場所にいるはずないのに。

6年ぶりに猫のあごの下をなでると、
目を細めて気持ち良さそうな顔をしている。
「ああ懐かしい、この感覚」と感じた次の瞬間、
ボロボロと涙がでてしまい嗚咽した。

誰もいない暗がり。にぶく黄色い光の、
古びた街灯だけがぼんやりと木を灯す公園で。

「おれにしばられるな」
「そろそろ自分のために歩き出せ、新しい家族でもみつけろよ!」
まるで、目の前の茶トラからそんなことを言われているようだった。

「ばかいえ、そんな簡単にいったら苦労はしないよ・・・」
すすけた枯れ葉と木の枝がまぶされた砂利の上、
寝転ぶ茶トラにつぶやいた。

99.999%、この茶トラはあいつではない。

そんなこと分かっている。
でもこんなタイミングに現れて、
なついてくれた君は他猫ごとではないんだ。

あれ以降何度も同じ公園に行ったが、
もうあの猫に出会うことはなかった。

「ほら、やっぱりあいつだったんじゃないか」
って、思いたくなる気持ちが止まらない。

そしてあの茶トラに会った翌日、
不思議なことが起こった。

先日息子から、もうすぐ運動会だと聞いていた。
だから「“〇〇に頑張ってね!”と伝えてください」と元妻にメッセージを送る。
そうしたら思いがけない返信が返ってきた。

「良かったら来ますか?」

小学校に入って初めて見る行事。
6年生、最後の運動会に声をかけてもらった。
息子は思春期だからか照れ臭そうで、
ちょっとそっけなかったけど。

10月なのに、30度を越える晴天の荒川の土手。

ジリジリと焼け付くなか、リレーとフラッグを使った組体操をみた。
「いつの間にか、大人になってきたな……」
嬉しさと切なさが入り混じる。

本当に声をかけてくれた元妻には感謝だ。
時間はかかったけど、お互いのちょっとした思いやりの積み重ねだろうか。
以前ほど関係はギクシャクしなくなっていた。

それにしても、偶然にしては出来過ぎている。

もしかしてこれは、“お兄ちゃん”が呼び寄せてくれたのかもしれない。
姿は見えなくなったけど、あいつは今も僕らを
応援してくれていたのだと思った。

「僕らは目に見えないと欲しがるくせに、
そばにあると有り難みに気づかない」

家族って色んなカタチがある。
離れて暮らしていたって、もう2度と会えなくたって、家族なんだ。

これから先がどうなるかなんて、見当もつかないけど、目の前の道をほんの少しだけ前に進もう。

運動会は無事終了。
校舎に戻る息子を見送り、土手の階段を登った。
帰りしな、誰もいなくなったグラウンドを一瞬だけ振り返る。

県境の橋からは
季節はずれ、突き抜ける青空が広がっていた。


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