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和歌山ラーメンからつながる〜想い出からの新たなゲートウェイ〜


「次は高輪ゲートウェイ、お出口は右側です。」
と社内アナウンスが聞こえて、
私は思わずドキっとしてしまった。

そして、開かれたドアから
幾重にも重なる高架線の先をみる。

地理は、ざっくり港区「泉岳寺駅」の南側。

ちょっと時間は経ってしまったが、
東京オリンピックのため
東京の田町〜品川間に出来た新しいJRの駅だ。

実は今日は、
ラーメンを「食べることだけを目的」として
電車に乗った、人生初めての記念日。

大井町まで1人ぶらりと向かっていた。

先日TV番組で「和歌山ラーメン」
を紹介していて、なぜか無性に
食べたくなってしまったから。

秋葉原で京浜東北線に乗り換え横浜方面へ。

その道中、目的地の2つ手前の駅で、
さっきの「高輪」の名前を聞いてしまったのである。


しかし、とりあえずその事は忘れ、
今日本来の目的、大井町にある
和歌山ラーメン「のりや食堂」に向かう。

食堂という名前だが、
れっきとした和歌山ラーメン専門店だ。

最近の事情もあってのことか、Googleで
「和歌山ラーメン」と検索したが閉店してしまった
お店が多く、残念ながら近所にお店はなかった。

なので都内でも店舗が限られていて、
その中でも近場でクチコミが
好評のこのお店に向かったのだ。

初めての大井町駅。
地理感が全くないので改札をでた後
スマホの地図を駅員さんに見せ、
「どっちに行けばいいですかね?」と尋ねた。

左に行って
「ヤマダ電機とヤマダ電機の間の道を、
真っ直ぐ言って下さい」
と言われて「頭に疑問符?」が浮かんだが、

改札をでて左に向かうと、眼前に広がる
その光景はまさしく「彼の言葉の通り」だった。


「ヤマダのアイダの道」を真っ直ぐ突き抜けると
大通りにぶつかる。
そこを右に曲がればいよいよ目的のお店に到着だ。

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  ふぉとby :やっくんもっくんさん投稿より転用

店に入ると、お店の左手には3つのテーブル、
右奥には6人がけのカウンターが並ぶ小綺麗な店だ。

入店とともに若干、豚骨独特の香りが鼻をついたが、
そこまで気にするほどではない。

券売機でAセット980円(ラーメン&半チャーハン)
を押してカウンターに座り、
チケットを店員さんに渡す。

「念願の初和歌山ラーメン」は、
とろみのあるコッテリ豚骨スープながら、
キリッとしたあわせの醤油が効いている。

こくはありつつも、スッキリと食べられる。

顔をどんぶりに近づけた時の香ばしいスープ
のかおりに加え、ツルッと硬めの細麺と
細切りのメンマがさらに食を進めてくれた。

意外だっのが、セットの半チャーハンである。

ゴロっと大きめのチャーシューのかたまりと
焼き目のついたネギとタマゴ、鼻をくすぐる
こがし油のハーモニーうまし!

チャーハンがメインでもいける。
今まで食べた中でもトップ3の秀逸。
ラーメンとのベストマッチはもちろんだったが、
「俺は脇役じゃないぜ」とちゃんと主張していた。


しかし、
カウンターでラーメンを待つ間も、
食べ終わってからも、私の頭は「あのこと」
でいっぱいだった。

そう、さっきの「ゲートウェイ」に寄るか?スルーか?
どうやって行くのか?の思考が私の頭の中を
「ずーっと」占領していたのは間違いない。


肝心のラーメンの写真を撮り忘れるほど
気持ちは持っていかれていた、、

そして店を出た目の前の場所で、
私は母校「高輪」への道のりを調べ始めたのだった。


「ここから2駅だから歩いていけるか?」
とも思ったが、Google先生は徒歩54分
と割り出したので、ここからの徒歩は諦めた。

食後の散歩はまず、
大井町から「高輪ゲートウェイ」まで電車で戻る。
そこから歩いて「泉岳寺駅」を横目に、
母校への道を歩くプランで腹が決まった。

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「高輪ゲートウェイ駅」のホームに着くと、
何やら見慣れぬ洗練されたデザインの車両が
奥の線路に停まっていた。

そして改札への階段を上がると、
構内には「オルガン」と木をあしらった
「複雑な骨格のアーチ」が上空に。

吹き抜けの高い天井と無人のコンビニは
暖かさの中にも近未来のようすを奏でていた。

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ざっと構内をみたあとは改札をでて、
遠足のようにまずは「泉岳寺駅」を目指した。

「ラーメンを食べたから」だけではないだろう。

11月の季節外れの暖かい晴天は
ジャケットを脱がせ、シャツの腕をまくらせた。

左手に大きくそびえる白色の
「建設中の工事現場の長い囲い」を日除けがわりに、
くねった1本道を胸躍らせて歩く。

その向かいからは中学生らしき親子連れに
何組もすれ違った。
後から気づいたが、どうやらこの先の
学校の入学説明会だったようだ。

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5分位歩くと
懐かしの地下鉄浅草線、「泉岳寺駅の出口」
が見えてきた。


「東海大学付属高輪台高等学校」。

この一見、中国語かと思うような、
長い漢字の名前の学校が私の母校である。
当時は駅から長い坂を登って登校していたのだ。

もう当時の先生はとっくにやめてしまっていたし、
特段ここに「来る理由がない」から。
卒業以来、泉岳寺からは足が遠のいていた。


駅の交差点、国道1号線に出た時
目の前の景色に愕然としてしまった。

古びた「赤茶色のタイル貼り」の駅の出口
と、向かいの稲荷神社はさほど変わらないものの、

それ以外の場所は、
ごっそりと「記憶が取り替えられた」ように
26年前の面影は全くなくなっていた。


「高輪」と聞くと高級住宅地のイメージ
を持つかも知れない。

確かに当時も「高級」な雰囲気はあった。

しかし、その中でもところどころには、
昔ながらの民家や商店があったり。
また、寺町でもあったので、どこか「ノスタルジックな雰囲気」も併せ持っていた。


どうやら3年間通った「高校への道のりの記憶」
も怪しくなってしまい、よもや「困った時のgoogleマップ」を使うことになってしまった。

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駅そばのガソリンスタンドはアパホテルに。

当時通学時に菓子パンを買っていた
「コンビニもどき」の昔ながらの商店は
マンションになり。

道中にはNHK交響楽団のホール?のよう
な大きな建物がいくつもできていた。

まるで初めての街を訪れたウキウキと、
面影がないほど変わってしまった町並みへの
メランコリックが入り混じっていた。

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しかし、伊皿子坂の交差点の「石垣」を
みた瞬間、当時の光景が蘇った。

26年前、今日と同じような天気のよい
昼下がりの帰り道。
石垣の横の坂を下りながら、
「週末の日本ダービー何買う?」

なんて、たわいもない会話がフラッシュバックのように、「当時の2人の友達の映像」とともに
頭に急に飛び込んできたのだ。

高校は今までで一番楽しかった。
競馬も山登りも水泳も
バンドも学園祭でのライブも。

3年の間には、これでもかと「溢れんばかりの青春」
がぎゅっと濃縮されて詰まっていた。

友達にも先生にも恵まれた。

でもあまりにも楽しすぎたから、
「当時を思い出す」ことは、「この地に来る」ことは
なぜか後ろを振り返ることのような気がして
嫌だったのだ。

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高松宮御用邸を右手に坂を登ると
和菓子屋「とらや」の前の母校に辿り着いた。

当然、待ち合わせたわけでもないから
ここには先生も友達もいない。


校門の前に着いたら
校舎は新築されてしまっていたが、
通路の石の壁と、入り口左隣のクリーニング屋
は「そのまま」だったのが救い。

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校舎は新しく変わってしまったが、
26年前の私の校門の「記憶のスライド」とが
そのとき重なった。

「ああ懐かしいなぁ」と思ったそんな時、
背後からジャージ姿の女子高生が
母校に向かっていったのをみてびっくりした。

「なんで女子がいる?」

そうか、当時は男子校だったが、
だいぶ前に「共学になった事」を仲間から
聞かされたのを思い出した。

でももし当時女子がいたら、多分格好つけてあんなに
楽しめなかったよなと1人でニヤっと笑ってしまった。

意外と地味なゴールでしたが、
ずっと気になっていたことが思いがけず出来て、
これでスッキリしました。

なぜか今日やっと来ることができた。
やっとそういう気持ちになれたんです。

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駅への帰り、数少ない「今も変わらぬ」和菓子屋に
寄ったが、残念ながら「手土産用のお茶菓子」は
もう売り切れてしまっていた。

そして帰りに寄ろうと思っていた
「泉岳寺」の境内に寄るのもつい忘れてしまった。


今日、途中下車して寄ってみる、
という判断をして良かったと心の底から思った。

たまには
振り替えってもいいのかも知れない。
突き進むだけだと疲れてしまうから、
たまには思い出に寄りかかっても良いんじゃないかな。

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次回は和菓子屋で甘いものを買い、
いまだに入った事のない泉岳寺に寄るという
いい宿題ができた。


そうだ、あいつらに久々に連絡しよう。

こんな時期だから仲間ともなかなか会えないし、
そもそも同窓会という大人数の集まり自体が、
私は苦手で嫌いだ。

でも、「落ち着いたら会おう」なんて
社交辞令はもう言いたくない。
断られたって話すチャンスが出来たんだったら、
それでいいじゃない。

26年ぶり、紅葉に彩られた秋の高輪台は
私の静かで新たなゲートウェイになった。

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