憧れとの健康的距離感(アイドルと仏像は同じ)

アイドルというジャンル、というかフォーマットに対して、興味が少しずつ薄れていること自体にもあまり関心を持たないでいた程度には疎いのだけど、訳あって、先日あるアイドルユニットのライブに行った。好きな活動をしている人がたまたまユニットとしてアイドル活動をしていて、歌って踊る姿を一目みたいと思ったという訳です。

美しいステージだった。組み合わさっただけで奇跡であるようなその二人が、二人にしかできないようなやり方で、歌やダンスの練習をして、仕草や指や目線の運びまで研究をして、勉強したり磨きをかけたりしてきた姿さえも目に浮かぶような、そんなライブだった。

人は、自分以外の誰にもなれないというのは大前提。アイドルとは信仰のようなものだったんだな、と初めて思う。"idol"という言葉が意味する通り、何かや誰かを「偶像」として崇めることで掴める種類の希望がたしかにあって、それはお寺の仏像を見て「あれになりたい。なのになぜ自分はいつまでたってもなれないのだろう?」と焦ったり憤ったりしないことと似ている。競争をしなくていいし、プレッシャーを感じる必要もない。「なれない」ことが、絶望でもなんでもなく当たり前のこととしてあるときの希望。

憧れの人と同じようになりたいとか、近い人間になりたいとか、一瞬でも思っては終わり。なぜなら人は自分以外になれないのでそれをすると「なれない苦しみ」で死に至る。仏像や太陽や月や星や花や動物や布団やケーキに対するような距離感を保つのが丁度いい。ここで重要なのは、神様に仕立て上げてしまわないことだと思う。神様を崇めること(特定の宗教の話をしているのではなく)によって、あらゆる価値判断を他者に委任してしまうことが救いになる状況もある。それは否定できないけど、思考していればいずれ必ず訪れる「神と意見が違う」事態が起こった時に、混乱するか、最悪の場合自分の考えを無視してしまうリスクを孕んでいるので、そういう時は自分を全否定せず、すぐアジャストもさせず、なぜ自分はそう思うのかを一度落ち着いて静かに見守ってみてよいです。(相手を神と思っていなければ、かなりスムーズにできるはず)

昔みたいに、誰かのようになりたいと心から思うことはもうないかもしれないな。アイドルたちだってファンの人に「憧れになれないこと」に苦しんでほしくて活動しているわけではない。「あなたのようになりたい」と、時々思ってもいいけど苦しまない程度がいい。アイドルは自ら偶像となることで、希望にしていいですよ、好きな人にしていいですよ、と言ってくれている優しい人たちなんだなとわかった。

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