見出し画像

Destruction - セルフポートレート

2019年春
わたしはたまたま表参道を歩いていて見つけた
TOKYO MODELS展示会に訪れました。

撮影会モデルしかしたことのなかった
Sony a7IIIを肩からぶらさげた一人のアラサー女が
東京のPhotography communityに誰がいるのかも知らず
受付に座っていた男性に話しかけました。

画像1

わたしも出たいです!」とか
馴れ馴れしいことを言っていると

受付に座っていた方は出展者の紹介をしてくれて
ある方の作品の前で止まって

このカメラマンさんはセルフポートレートを撮っているんですよ。
あなたもセルフポートレートを撮ったらどうですか?
」と言いました。

へぇ〜やってみます。
と言って家に帰り
思い出しました。

画像2

わたしは小さい頃
人間は壊れないことに気が付いた。

言葉の綾だが
人間は物理的に、生命体として死ぬことができるが

スラング的な使い方で言わなければ
人間は壊れない。
おそらく壊れようがない。

その代わり機械や物は死なない。
果てる生命がない。

充電すれば元に戻るし
修復することもできる。

人間が壊れるというのはどのように見えるのだろうと
目をつぶって布団に潜っては
白いスタジオに一人壊れた人間が立っているところを想像していた。



そして数日後
昔Music Videoを撮ったことがあった神奈川県川崎市にあった
Kawasaki studioが解体されるとWebsiteで見て

急いで予約をして閉館する2週間前
1日スタジオに引きこもり裸でスタジオ内を走り回り
初のセルフポートレート撮影を行った

撮影していた時間は6時間ぐらいだったと思う。

画像3

普段ドライフラワーとの撮影を行っているカメラマンさんに
ドライフラワーをどう入手したら良いのか相談したりして


そこまでしておいて、新宿駅改札出口前の花屋の出来合いの小さなドライフラワーブーケを買って帰った。

画像4

この写真は2019年
2度展示したのでしょうか。

何度か

どうお腹を溶かしているの?」と聞かれましたが

好き放題に編集をしただけなので、お腹が溶けていることに気がつきませんでした。
Photoshopです。

壁のTextureがかわいかったものですから。

画像5

「人間が壊れる」様を表現するには
わたしの感覚では
わたしは肉肉しすぎたし
元気すぎたように感じました。

途中で

自分が目をつぶっていた時に見ていた景色を諦め
自分が表現できる最大に挑戦しようと転換した。

初夏にスタジオに一人でこもって6時間走り回っていると
汗だくで顔は見せられたものではなかった。


セルフポートレートは
モデル・カメラマンが
こんなわけのわからないテーマを提案してきても付き合ってくれて
6時間休憩なく走り回っていても文句を言われない。
危ないことをさせても罪悪感がない

モデル・カメラマンの関係性としては良いとは思うけど
わたしがモデルでは表現できないこともたくさんある。

もっとこんなモデルだったらとか
こんなメイクだったらとか
自分のできないこともたくさんあったけど

70点の作品を大量生産し、発表し続けることで
いつか100点の作品を作る

ということをモットーにしているわたしからすれば
最初のセルフポートレート撮影はこれでよかったのかもしれない。

自分の限界を知って
できないことがあるならば
見せられない部分があるのならば
どう回避して作っていくかを考えることができるから。


初めのセルフポートレート撮影から1年が経ち
今わたしは
東京のように便利な場所にはいない。
周りは山だらけで
夫が車を出す時に乗せてもらうことはできるかもしれないが
それもごく限られている

服も最低限しか持ってきておらず
買うこともできない
日常使い以上のメイク道具もない

限られたものしかない環境だからこそ
撮れるものがあるのかもしれないし
わたしの感情が爆発したら
今度は農地で裸で人様の牛でも乗り回しはじめるかもしれない。

Portfolio: https://annaclaire.pb.online/
Blog: https://ameblo.jp/bonbonnebonjour
YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCAiJuv7NzDivmI5ZFHclTSw
Instagram: https://instagram.com/missannaclaire

この記事が参加している募集

#カメラのたのしみ方

54,961件