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目的地探しは続く

ふと、一番最初の投稿を見返してみた。 仕事に行き詰まって、就活当時を思い出してみたら、本心で希望していた会社じゃなかったと気付いたという内容。あれ、今どこに向かってるんだ?っていう。 自分で選択する人生を歩みたいと思うようになったよーってことが書かれてあった。 「自分で選択」の一つが転職だったのは確かだ。自分の基準で選んだ、進んだ道。 だけど、「どこに向かってるんだ?」は今もある。 明確な「こうなりたい」が見つかって転職した訳じゃないし。 それでも、その時その時の自分に素

    • 今日がインフィニティ

      えっちゃんの「今日がインフィニティ」という曲。 公開されたときから刺さりまくっていたのだけど、さっきofficialであがったライブ映像を見て泣きそうになった。 心の内を出しまくっていると思う。 永遠とか無限とか、ふわっとした感覚が気持ちよくてどこかに閉じ込めたくなる。そんな感覚が分かるような気がする。 今日がインフィニティと思って生きたい。 過去の自分を燃料に今日を燃やしていくんだよな。 私はこれを見てそう思いました。 何を考えてこのとき歌ってたんだろうなあ。

      • 自覚のない感情

        日々それなりに生きてる。 不満はない。 平日はちゃんと働いて、土曜日は友達と会って、日曜日は自分の好きなように過ごす。 いい感じに生きてると思う。 でも、こんなふうに生活するのでいいんだっけ? と不意に思う。 悲しくも寂しくもないのにちょっと涙が出るときがある。 そんなときに、 あれ、今自分ってどういう感情なの? って分からなくなる。 小さい頃に想像してたOLと、現実とのギャップで、知らず知らずのうちに不安になっているのかもしれない。 もう少し時間を有意義に使ったほうがい

        • 「私は繊細」

          心の持ちようを書いた本をネットや本屋でよく見かける。 検索アルゴリズム?か何かで私がよく見るだけなのかもしれないけど。 そういう類の本に救われたことがある。 でも同時に違和感を抱くこともある。 違和感の1つがこれ。 「私は繊細」と公言するのってどうなんだろうと。 どうしてもスッと咀嚼できなくて、心のどこかがもやっとする。 私はひねくれた人間。 これを大前提に置こう、ここからは個人的な戯言です。 「私は繊細です」と言うこと。 それは感受性が豊かで、視野が広い、色々なとこ

        目的地探しは続く

          会話

          形のない気持ちをなんとか言葉にして その言葉が通じないとき、 上手く伝わらないとき、 とても悲しい。 涙が出るほど。 それが 普段は話せないような、 心の奥にあった気持ちだとしたら尚更。 言葉にせずとも気持ち分かってほしい なんて贅沢は言わない。 がんばって言葉にするから、 せめてその言葉は伝わってほしい。 反対に 言葉が、気持ちが伝わったとき とっても満たされる。 うれしい。 涙が出るほど。 誰かが必死に吐き出した言葉を 受け取れる人でありたい。 会話が、 きちんと

          それからのこと

          転職して1か月が経った。 振り返りつつ記録。 就活はがんばってたはず。 どこにも所属できないのではないかという恐怖の中で、 入ってみないと知り得ないことを必死に知ろうと、どうにか頭と心と体を動かしていた。 あれ以上の就活はできなかったと思う。 だから最初の会社に入社したことに後悔はない。断じて。言い聞かせてるわけでもなく。 でも自分が自分を発揮できる仕事は別のところにあると感じていた。 人生で一番自分のことを考えた数か月だった。 会社に所属しながら次の職場を探すというの

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          やるかやらないか

          自分は慎重で、危ない橋は渡らない、保守的な人間だと思っていた。 たしかにそういう部分はあるけれど、案外直感を大事にしている節もあるなあと思うようになった。 なんでだろう。 そう考えたとき、小学校の先生がずーーっと言っていたことを思い出した。 「出来るか出来ないかじゃなくて、 やるかやらないかだ」 6年生のときの先生が事あるごとに言っていた。 25歳くらいの男の先生で、熱い先生だなあと子供ながら見ていた。 本当に暑苦しいくらい熱い人だった。 でも記憶に残っている。 頭の片

          やるかやらないか

          転職します

          転職が少し前に決まった。 ちゃんと文字にして想いを残したいとは思っているけど、余裕がないのでひとまず今の気持ちだけつらつらと書こうかな。 決まってから課長と支店長に報告した。 そこからは役席しか知らない期間があったからすごく居づらかった。 みんなには言っちゃいけない期間。 少しして課の朝会で報告した。 みんな驚いてたけど、みんな応援してくれた。 エリア長に 「行動力があるんだね、言ってくれてありがとう、がんばれ」 と言われてうれしかった。 支店の先輩たちはみんな 「ち

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          頑張れる人に任せればいい

          ちょっと前に、 同じ仕事をする全国の同期160人くらいと オンラインで集まる研修があった。 現状や悩み、今後の目標を共有し合った。 先輩の話を聞いて、今どうがんばるのか意識を高める会。 そこで思ったことは、 「目標持って頑張れる人がこれだけいるなら、 この仕事はこの人達に任せよう」 ということ。 頑張れる人がいるおかげで今の会社は成り立ってる。その人たちに感謝して、私は私が頑張れる場所で頑張ろう。 これはきっと逃げじゃないよね。

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          年の近い家族

          今どういう状況で、今どういう気持ちなのか、おねえちゃんに話してみた。 かなり勇気が必要だった。 日常ではほとんど話さない。 お互い仕事で疲弊して、帰宅後は自分の時間を過ごす。 休みの日に二人で遊ぶことなんて年一回もないし、今恋人がいるのかも知らない。 でも誕生日や人生の節目には手紙を書いている。 数年に一度しかない手紙のなかで、 いつも応援してくれていることを実感する。 きっといいアドバイスをくれる きっと話したら気持ちが整理できる と思って打ち明けてみた。 適当に考え

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          謙虚が一番

          何するにも謙虚が一番。 これは言ってしまえば私の生きる術だと思う。 たとえ精神をすり減らしながら努力をして、 やっと成し遂げたことだとしても、 人間関係の中に身を置くのであれば謙虚が必要。 本当に生きづらい世の中。 「私なんて〜」 その思考自体は常に持ってなくちゃいけない。 どれくらい言葉として発するか、 そこを私自身のバランス感覚で調整する。 24年間で積み上げた経験からくる感覚だ。 得意なことはないけど、苦手なことも少なめな24年間だった。 基本的にはそれなりのこと

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          慣れたくない

          大企業特有の 「上から言われた施策に従うだけ」 が本当に向いてない。 と思う。 謎の注力施策が作られて、 上司が部下にこれやれと言う。 与えられた数字はとんでもない数字。 半分達成するのもたぶんむり。 その数字、根拠は? よくわからない。 おそらくだけど、 上司に「この数字は非現実的です。どこから来た数字なんですか?」とか聞いたところで、彼らは知らない。 だってその上司の、さらに上、さらに上…が決めたことだから。 指示された目標に対しては、手段までも決められていて、もう

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          強い気持ち

          従姉妹が凄まじい大手企業に内定してた。 母「○○ちゃん~に内定してたんだって。凄いなあ。」 祖母「○○ちゃん決まったん聞いた?すごいわあ。就職祝い買わなあかんね。」 私たちは受験、就職と、こうやって家族を満足させてきたんだよなあ。こういう家族孝行をしてた。 私が会社辞めたがってるのを知ったらどう思うかなあ。 もし、小さな会社に転職することになったら、気持ちよく応援してくれるんだろうか。 もう大人なんだから自分のしたいことは自分で決めたいと思ってます。 本当の意味でね

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          みんながんばってる

          みんな いろんなところで いろんな理由で がんばってる そんな当たり前のことに気付いたのは小学6年生の時。 受験に向けてひたすら勉強していた。 でも、どんなに頑張っても成績がついてこないときがあった。 毎週土曜日にテストがあって、翌週はテストの成績順の座席に座らないといけない社会。 今考えると、小学生にはあまりにも酷。 悔しいという気持ちの学習だったのかな。 ビリの席に座る1週間ほど辛いものはなかった。 決意の朝に/Aqua Timez この曲を聴いたとき、

          みんながんばってる

          選択肢を広げたままでいいのか?

          我が家は「幸せな家庭」だと思う。 これは間違いない。 両親は、私が幼い頃から「私の幸せのために」沢山のことをしてくれた。 そして幸運にも、両親の期待にしっかり応えることが出来ている。 順調な人生だと思う。贅沢な悩みであることは承知の上だけど、ちゃんと、しっかり悩んでいる。 それは、 自分の欲望で選択したことがない ということだ。 父親の転勤で田舎に住んでいた幼稚園・小学生の頃、両親は自然と触れ合う時間をたくさん作ってくれた。関西に引越しした時は、歴史と触れ合う

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