「私は繊細」
心の持ちようを書いた本をネットや本屋でよく見かける。
検索アルゴリズム?か何かで私がよく見るだけなのかもしれないけど。
そういう類の本に救われたことがある。
でも同時に違和感を抱くこともある。
違和感の1つがこれ。
「私は繊細」と公言するのってどうなんだろうと。
どうしてもスッと咀嚼できなくて、心のどこかがもやっとする。
私はひねくれた人間。
これを大前提に置こう、ここからは個人的な戯言です。
「私は繊細です」と言うこと。
それは感受性が豊かで、視野が広い、色々なところに気が遣えるタイプの人間ですよというアピール?
普通より繊細で傷つきやすいから、雑に扱わないでほしいってこと?
そういうことじゃないよな。
じゃあ、
みんな自分と同じくらいの繊細さ持ってるでしょ?そんなに人の気持ちがわからないのって変だよ!ってこと?
そういうことじゃないか。
いや、そういうことじゃないこともなくて、
その人の心を開けて、ひっくり返して全部見てみたら、こんな感じの気持ちの欠片くらいは見つかるんじゃないだろうかと思う。
ぶりっこな女の子を見てるときと同じ気持ちになる。
繊細を振りかざすようになったら、
繊細はもはや武器なんだと思うけどな。
どう思います?
日常のなかで
ちょっと引っかかってしまうことを書いてしまいました。
ごめんなさい。
ひねくれを治したい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?