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選択肢を広げたままでいいのか?

我が家は「幸せな家庭」だと思う。

これは間違いない。

両親は、私が幼い頃から「私の幸せのために」沢山のことをしてくれた。

そして幸運にも、両親の期待にしっかり応えることが出来ている。

順調な人生だと思う。贅沢な悩みであることは承知の上だけど、ちゃんと、しっかり悩んでいる。

それは、

自分の欲望で選択したことがない

ということだ。







父親の転勤で田舎に住んでいた幼稚園・小学生の頃、両親は自然と触れ合う時間をたくさん作ってくれた。関西に引越しした時は、歴史と触れ合う時間をたくさん作ってくれた。

小学校高学年からは中学受験の塾に通っていたので、週の半分以上お弁当を作ってくれて、送り迎えもしてくれた。

中学受験に対しては色んな考え方があるだろうけど、将来の選択肢が広がるようにしてくれたことだと思うので、私は良かったと思っている。

努力すること、結果がついてくる嬉しさ、どうにもならないこと、悔しい気持ち…。この頃、小学生にしては相当な経験をしていたと思う。

結果自分自身で望んでいた中高一貫校に行けたし、両親としても大満足な進学先だった。

まじめに勉強することが得意だったので、中学での成績も全く問題なかった。友人関係で思い悩むことはもちろんあったけれど、「良い経験だった」と振り返ることができる程度のものだ。

しばらくして大学受験に向けて動き出す時期に突入した。将来やりたいことも特になかったから、まずは名の知れた大学に行こうという思いで有名私立大学を目指した。有名な大学に行けたら、就職先の幅も広がると考えていた。中・高・大と私立学校に進学することを許してくれたのは、とても有難い。学校での真面目さ・活発さを生かして指定校推薦を考えていたが、一般受験のための塾にも通わせてもらっていた。模試でA判定が出ると、両親はとても安心していた。

結果として、指定校推薦で第一志望の大学に進学することができた。私は嬉しかったし、両親も親戚も喜んでくれた。

別に、ドラマみたいに「お母さんに喜んでもらいたくて…!」と自分を追い込んで勉強していたわけではなかった。良い成績を出せた時は、ちゃんと自分の心で嬉しかった。プレッシャーなんて大して感じていなかったと思う。




大学は実家通いだったこともあり自立なんて一切しておらず、両親にすがりまくっていた。自立しなさいと言われることもなかった。両親からすれば、20歳を超えたとしても子供は子供なのだろう。守られた環境で大学生活を過ごした。

私は物わかりのいい子供だった。アルバイトや飲み会で帰りが遅くなることはあったが、連絡なしに朝帰りすることも、お酒やたばこで生活が荒れることもなかった。サークル活動も、友人関係も充実していた。

自由に遊べなくて反発することもあったけれど、帰ったら夕御飯が用意されている生活、金銭的にも助けてくれる生活のなかでぬくぬくしていた。

気が付けば就活の波が押し寄せていた。


大学でもやりたいことは見つからないままだった。

「地位」と「福利厚生」と「両親が喜ぶかどうか」を基準に会社を選び、ありきたりな志望動機を用意した。「私はここで安定を得ながら働きたいんだ」と言い聞かせていたのかもしれない。言い聞かせている自覚は全くなかったけど、きっとそうだと思う。

かといって、だらだら就活をしていたわけではない。むしろ軸をしっかり持って、自分の経験・強みをどう活かせるのか論理的に考えた。当時は正しい就活をしていると疑いもなく信じていた。

ちゃんと評価してくれる企業もいくつかあって、内々定をもらった金融大手への入社を決意した。満足だったし、両親も安心していた。




入社して1年間は覚えること、学ぶことで精一杯で気がついたら日々が過ぎ去っていた。

2年目になった今、立ち止まって考えることがある。

それは「どこに向かっているんだろう」ということだ。

将来いろんな選択ができるようにと頑張ってきた。両親も私の将来のためにたくさん愛情を注いでくれた。選択肢を広げるために、有名大学に入り、有名企業に入った。それはそれでいいけれど、そろそろ目的地を設定した方がいいのでは?と思い始めている。選択肢をたくさん用意しただけで、何も選択しないでどうするんだ。



自分の欲望で生きることを避けてきた。

自信がなかったから。

自分の選択に責任を持つ勇気がなかったから。

自信はきっと、選択をすることで生まれる。

なんでも好きなことを選べるようにこれまで生きてきたんだから、

そろそろ、何か選ばないと。

自立しないと。






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