レーズンサンドと祖母
23年、5月。
春と夏が混ざった風の吹く頃。
福岡・天神の岩田屋に「ノーレーズンサンド」がやって来るという。
大好きなフードエッセイストである平野紗季子さんが
ディレクターを務め、立ち上げたお店だ。
ポップアップ初日にはご本人が店頭に立ち、
開店前から整理券が配られるという。
平野さんにお会いしたい気持ち5、
レーズンを克服したい気持ち5、
東京のおしゃれなお菓子食べたいミーハー心1。(いや、1多いな?)
前日の夜から家族にも「レーズンと仲良くなってくる」と宣戦布告をし、
当日の朝もソワソワして二度寝もかませず
極度の緊張からお腹を壊し、
結局のところ出発予定時間も大幅に遅れてしまった。
そう。
何を隠そう、私はレーズンが嫌いだ。
どうして干してしまったのか、
干したというのになぜまた水気を加えたのか。
人間のエゴは果てしなく、理解に苦しむ。
そしてそれが世間から歓迎され、崇め奉られているのも気に入らない。
(個人の見解です)
しかし、御年三十三。
同じ数字が2つ並ぶのはこれから先長くても6回しかないわけで。
歳を重ねることで味覚の変化が訪れるという
パイセン方の言葉に騙されてみようという覚悟を胸に、
レーズンという敵を克服したいと思うようになっていた。
それは亡き祖母が好きだった味を
自分の好物にしたいという身勝手さからだった。
祖母はレーズンサンドが大好きだった。
大腸がんを患い、手術をせずに
じっとその時を待つと決めた日から祖母は食べたいものを食べ、
後悔しないように生きていく姿勢を見せた。
当時、失業保険をもらっていた私にとって
祖母の通院の付き添いとハローワーク出頭(?)が
唯一の仕事といっても過言ではなかった。
朝9時予約の定期健診。終わると10時半。
それから車を走らせて時間ギリギリに滑り込む
星野珈琲のモーニングが月2回のルーティンになった。
祖母は珈琲のお替りもそこそこに、
お手洗いに立った隙にレジ横のカゴをチェックしては
「まだあるたい。」と口角をあげて在庫の共有。
さすが、腹を括った人の気迫は他と違うものがある。
帰り際には必ず買い求め、
お店側に余裕がありそうな時は
自分用にも関わらずプレゼント用に包装してもらう。
家に帰って珈琲を淹れ直し、大切に味わいながらテレビを見る。
コロナ禍で面会も制限され、最期の挨拶が出来ないまま
向こう側に行ってしまった祖母へ送った最後の差し入れも、
星野珈琲のレーズンサンドだった。
ずっと隣にいたのに、
分け合うことの出来なかったもの。
「○○は苦手やけん、おばあちゃんひとりで食べるけんね。」
一袋全部は多いからと、
半分は明日の自分にとって置いた、あのサンド。
レーズンサンドを見る度に祖母のほころんだ笑顔が浮かび、
胸が締め付けられ、私はますますレーズンという食材を
自分から遠ざけていた。
しかし、そんなレーズンをはじめて美味しそうだと思った。
革命が起きるかもしれない、そう期待した。
端正に包装された化粧箱の中に2列きちんと整列したサンド。
1列に3つずつ並んだサンドの右はレーズン、左はレーズン以外。
”レーズンが好きな人も嫌いな人も一緒に楽しめるおやつの時間”
という言葉とともに、私の前に現れた天使・平野紗季子様。
これだ。
祖母の顔が浮かび、少しだけ目を閉じた。
岩田屋に向かい、平気なふりをしながら
ちょこんと(失礼)カウンターの中にいらっしゃる
平野さんに話しかける。
「ポッドキャスト拝聴しています」
「レーズンが得意ではないのですが、食べてみたくて」――
天使はやっぱり天使で、一緒に写真に撮り、
丁寧に紙バッグに入れて送り出してくれた。
紙バッグをかばうような形で人混みをくぐり抜け、
地下鉄からJRへの乗り換えも無事成功。
やっとのことで家までたどり着き、コーヒーを淹れ
大事にしている波佐見焼のお皿にひとつ、レーズンサンドを乗せる。
ここまで来れば、もはや儀式。
呼吸を整え、手を伸ばし、もしゃりと一口。
衝撃が走る。
苦手だったはずのその人は、
濃厚なクリームに包まれてよそ行き顔をしている。
― お主、もっとクセありだったはずだろう?
少し遅れて、鼻が熱くなる。
私の舌は拒否をせず、もう一口かぶりついた。
次はもう少し大きく。
これが、祖母が好きだった味。
ずっとひとりで食べていたもの。
祖母の食べていた味と今ここにある味。
もちろん、味は違うだろう。
それでもあの時、
椅子に埋もれるような格好でテレビを見ながら
マリメッコのコーヒーカップを片手に
少しずつ少しずつ食べ進めていた
可愛らしくて大好きな祖母の背中に
触れたような気がした。
葬式ばりに泣いた。
帰宅した家族は驚いていたが、
察したのか背中を擦ってくれた。
おばあちゃんに会いたいよォ、と
子どものように泣きじゃくって疲れ切ったのか
その日は化粧も落とさず眠った。
次の日の朝、
ファンデーションでくすんだ肌に
目の下を黒くした自分の顔を見て思わず笑った。
残りのサンドは昔の写真を見ながらたいらげた。
悲しい味にはしたくなかった。
母にレーズンサンドが食べられるようになったことを
電話でしんみり報告すると、
『え、食べれんやったと?初耳~HAHA』と
あっけらかんと言われ、拍子抜けした。
結果的に自分が
サンドを食べられるかどうかは
気分次第、ということが判明した。
(つまり、克服はしていない)
あと2年早かったら、
レーズンとノーレーズンの半分ずつ入った
「ノーレーズンサンド」を分け合えていただろうけれど
別に後悔はない。
祖母の好きだった味を知れただけで十分なのだ。
今度実家に帰る時は
ノーレーズンサンドを買っていこう。
家族でサンドを囲うのだ。
【20230510】