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依存について、考えてみた。

突然ふってきた問いかけ

「依存」ってなんだろう。


お酒を飲まないと寝付けない人はアルコール依存症。
タバコを吸わないとイライラが収まらない人はタバコ依存症。


こういうのは分かりやすい。
じゃあ依存ってのは、それがないと生活に支障をきたすという状態のことなのかな。


他の場合だったらどうなんだろう。


パートナーに依存している。母親(父親)に依存している。仕事に依存している。


これらを依存症と呼ぶかは、人の感じ方やその度合いにもよるだろうけど、さっきの例と同じ種類の「依存」かというとなんか違う。


パートナーや親や仕事などは、多くの場合、人が生きていくのに必要だし、少なくともあったほうがいいとされている気がするんだよね。


たしかに、根本的な衣食住に対して「依存している」とは言わないよね。

それは生きていくのに必要不可欠なものだから。


だとしたら、あるものに対する一般的な必要性が高いほど、わざわざ「それに依存している」という言葉を使わないんじゃないかな。


そっか。さっきの定義に、条件をつけたらいいのか。

それがなくても不自由なく生きていける人がいる一方で、その人はそれがないと生活に支障をきたす状態のことを、人は「依存」と呼ぶのかもしれない。ふふふ。


「依存」の定義をGoogleで調べてみよう。

他のものに依りかかることで、存在すること


なるほど。さっぱりしてるね。
それなら全ての生物は何かに依存していることになるよね。


自己以外のもの、例えば産みの親、育ての親、栄養、酸素、全部ひっくるめて宇宙に依りかかることで、存在してるもんね。


また、依存と中毒は日本語ではよく混同されるけれど、全く違うものだということも調べて分かった。


依存は精神と対象物との関係のこと。
中毒は身体と対象物との関係のこと。
だから、アル中は治ってもアルコール依存症は治りにくいらしい。


さて、本題。
かくいう一体私は何に依存しているのだろうか。


ここでは一旦

「依存」=それがなくても不自由なく生きていける人がいる一方で、その人はそれがないと生活に支障をきたす状態

としておく。


うーん。


まずは、自分の身の回りで特になくなったら困るなと思うモノやコトやヒトを思い浮かべてみよう。


次に、それが全ての人にとって必要不可欠なものか?と問いのふるいにかける。


すると、ふるいに残ったものは
コンテンツという5文字だった。


コンテンツって?何?内容?
てぽかんとしている人のために、私なりに翻訳するとしたら

小説・漫画・映画・動画・音楽など様々な媒体で伝達され受け手の心を動かすもの

になるかな。


よくよく振り返ると、
私の1日の活動時間の半分はコンテンツに触れている。


Youtubeを見て曲を聞いて、漫画を読んで、本を読んで、映画を見て、テレビを見て、気がついたら日が暮れておやすみなさい。


そんな1日が大半を占める自粛期間。
不要不休の外出を削減した結果、残ったものでもあるんだけれど。


家にテレビも本も動画アプリも、何もなくても普通に生活している人もいる。
けれど、私はその生活はきつい。


なにか生活のための他の作業で忙しくて、コンテンツを消費する時間がないとなったら、結構病んでしまうかもしれない。
その選択肢すらもともとない環境だったら、退屈で死んでしまう。
もしそんな原始時代に生まれていたら、早い段階でコンテンツを自作するに違いない。


と、こんなくだらないことをつらつらと書き連ねているうちにおやすみの時間になったので、今日はこの辺で。


あなたは何に依存してますか。


おやすみなさい。

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