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Aqua Timezのはなし。

早起きの習慣もだいぶ戻ってきた。毎日7時前には必ず目が覚める。人の慣れってすごい。

今日も7時に起きてこれを綴っている。
富士山が綺麗だよ。いい天気になりそう。太陽が光を配り、家々がどんどん目を覚ましているようだ。

今日も頑張ろう。わたしらしく。目の前のことを丁寧に。

それは誰かにとってちっぽけなことだっていい。わたしがやりたいこと、できることを、一生懸命にやればいい。

こんな風に思えるまでに長い時間がかかった。なんならまだ見栄を張ってしまうわたしもいる。
相変わらず生きるのがヘタクソだけど、でも確実にあの頃より生きるのが楽になった。

わたしはわたしでいていいんだ。
ここにいてもいいんだ。

そうやって背中をさすってくれたのはAqua Timezだった。

どこかで大きなことを成し遂げなければ生きている意味なんてないと思っていた。
自分はすごくなきゃいけないんだと思っていた。
そんな理想は自分の首をこれでもかってくらいに締め上げた。

でもわたしはなんにもすごくなかった。

探せば探すほど、恐ろしいほどになんにでも平均点な自分を知った。すごくなんかなれない。それを追い求めるだけの情熱すら持てない。

自分なんて。

そんな時Aqua Timezの音楽が、Vo.太志の言葉が、ゆっくりゆっくり解いていってくれた。なにも持ってなくたっていいんだって教えてくれた。わたしがわたしでいることをそのまま認めてくれた。

大袈裟ではなく、Aqua Timezがいてくれたから今わたしはここに居る。

毎日毎日その声を聴き、ライブ映像を見て、なんとか生きていた時もある。
叱咤激励なんて強いものじゃない。
あったかくて優しくてでも本当の意味で強い言葉たちが、そっと抱きしめてくれた。

だからわたしはわたしを捨てずにすんだ。

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たくさんたくさん足を運んだライブは、わたしがわたしの感情を素直に出せる唯一の場所だった。心の底から笑って、泣いた114公演。

初めて行ったライブのこと、今でもはっきり覚えている。体調が悪い中、どうしても直接会いたくて無理して参加した 2010.4.16 栃木県総合文化センター。

『ありがとう』の言葉の本当の温度を知った日。

あの日からわたしは太志の言葉と一緒に生きている。

2018年に解散してからも、ずっと。今も。きっとこれからも。

最後のライブはわたしの地元、横浜だった。今までで一番かっこいいライブだった。寂しさはもちろんあるけれど、後悔はない。
北海道から沖縄まで、都合がつく限りライブに行き、グッズを買い、手紙を書き、わたしの全部で応援したから。

必ず終わりが訪れる。

そう教えてくれた。だからこそ、今やりたいことができている。
自分の思いに嘘つくことがないように生きようともがいている。

だって明日死んじゃうかもしれないから。

それを頭の隅に置いておくだけで今の行動が少し変わる気がする。それでもただただ過ぎるのを願ってしまうような1日もあるけれど。

恩返しがしたい。勝手に。
だから、言葉を綴っている。

太志から預かったものを、今度はわたしが誰かに渡せるように。

こうして綴ることで、書くことで、話すことで。
そして、楽器を演奏することでも。

届けられることを信じているから。
言葉のちから。音楽のちから。

ずっとわたしの光でいてくれたから。

それは、
絶対にぶれない光。

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いつかわたしの言葉も誰かの光になれたら。
たとえ小さくてもほんのりあったかいひだまりになれたら。

さぁ今日も始めよう、ここから。
ひとつひとつ丁寧に。わたしができること。わたしがやりたいこと。

あの光にとどくまで。

                         2020/11/11 美空




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