現代カウンセリングの出発点は、80年前のアメリカにあり。そして、当時のトラウマ、原因論へのアンチテーゼでもありました。では、現在のトラウマセラピーとは?

カウンセリングオフィスを立ち上げて、ふと、そもそもカウンセリングとは?というところに意識がむき、そして、大学院生の頃(20年以上前なんですね…)に読んだ、現代カウンセリングのスタートのビッグネームである、カール・ロジャースの、Counselling and Psychotherapy (1942)というタイトルの古典的な名著を思い出しました。

今、日本で「傾聴」といわれる技術や、いわゆる、カウンセリングという基本的なスタイルは、このロジャースを出発点としています。

ところで、欧米では、カウンセリングと、セラピー(サイコセラピー)は区別されています。セラピーの方がより、治療的な意味合いが強い言葉となります。そして、カウンセリングの方は、治療という文脈に関わらず、ひろく、使われるサービスという意味合いが強いです。

EMDRという枠組みは、欧米の目線からすると、セラピーという色合いが強いと思うのですが、日本という文脈で相談のオフィスを立ち上げることを考えたとき、よりよい生活、より生き生きとした人生を応援するという意味で、カウンセリングという名称の方を選択しました。

脱線しましたが、懐かしくなって、Counselling and Psychotherapy の序文に目を通しました。

そこでは、当時のアメリカを中心とした、精神医療、福祉、教育といった分野が、あまりにも、診断や検査への偏重があり、個別のケースをカテゴリーに分類することへの危惧が記載されていました。

つまり、個々の人は、それぞれが自分の個性をもっているのに、「個人」の視点が欠けているという指摘でした。

序文には明確には記載されていないのですが、これは、精神医療の主流の学派であった「当時の」精神分析的心理療法のスタイルが権威主義的すぎるのではないか、もっと、それぞれの個性を尊重する必要があるという、臨床上の態度姿勢についての批判でもありました。

精神分析という考え、心理療法のスタイルはフロイトに端を発するのですが、心の傷、という意味でのトラウマという言葉を世に広めたきっかけになったのも、フロイトの精神分析理論がスタートといってよいと思います。

その、精神分析理論におけるトラウマの位置づけは、とても複雑で簡潔には言い難いのですが、誤解を恐れずに評価すると、トラウマという原因によって、現在の困難が引き起こされるという、因果関係の中でトラウマが位置付けられていました。

ロジャースとしては、過去と現在の関係をあつかうよりも、クライアントの自己成長を促す、カウンセラーの役割を重視しました。そして、そのことで、カウンセリングの主人公は、クライアント本人なのだという、現在の相談支援の現場での常識となっている、クライアントの自己決定を尊重するという流れへとつながっていったのでしょう。

ここまで振り返って、あらためて私が日々実践している、EMDRによるトラウマケアですが、過去と現在の関係を、トラウマ体験があったがゆえに、トラウマという心の傷が今あるということと、来ていただいた方の自己決定を尊重することは両立するのです。

どういう流れで、来ていただいた方の自己決定を尊重するかというと、過去の出来事が、今に影響していることについて、カウンセラーとして決めつけることはせず、過去のことを聞きすぎることなく、ご自分として実感があるかどうかを一緒に確認を進めます。

また、EMDRという技法は、トラウマ体験の処理の段階では、左右交互の眼球運動などを通して、体験が脳で処理されるのを促すのですが、そこで推奨される、カウンセラーの態度・姿勢は、クライアントのペースで、自然な流れで処理がされるよう、言語的な介入は最小限であることが標準的なすすめかたです。

眼球運動を通して、クライアントの内的な世界では、いろんなことがうかんだり、感情が変化したり、体の感覚の変化もおこります。それは、クライアントごとで異なるのですが、そのクライアントのプロセスを最大限尊重するという意味で、ロジャースがクライアント中心にカウンセリングを進めるという姿勢と通じるものがあります。

今日は、少し、マニアックな話になりましたが、カウンセリングの歴史にも触れた内容となりました。なんらか、皆様の一助となりましたら幸いです。



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