人間らしい生活って
今日朝1番になぜかぼんやり考えたこと。
健康で文化的な最低限度の生活(日本国憲法第25条)
自分が学んできた分野でよく聞いている言葉だけど、この文面における「生活」ができる場所って自分の中では都市部から離れた環境での生活の方が断然当てはまるのではないか?と考えたりした。
前職は仕事時間は特に休憩て環境はないくらい、仕事で頭がいっぱいで休日はそれを一切振り切って遊びたくて、なんだかんだ自分の時間に今みたく振り返りを全く行うことがなかった。というかできなかった。
「何かしないといけない」焦燥感がすごかった。だから週明けは疲れていたし、ずっとそれを引きずっている感じ。
だから2024年が明けた時に、今年は余裕を持って動きたいなと目標の一つにしている
だけど“ここ“にきてとても時間にも空間にも「余白」が生まれた気がする。
余白が生まれたことで、自分が実はやってみたかったこと、これしてみたいと思ったことはいくつか出てきた。
疲れている時ほど「やってみようとする気持ち」は生まれないし閉鎖的な気持ちになることを自覚している。
気持ちなんて波があるから今もたまに閉鎖的な気持ちになる。だけどこの短期間ですでに色んなことに触れて、気づいて、ができた気がする。
ここにきてお花を育てはじめたし、野菜を植えさせてもらったし、楽器を久々に吹いたし。〜作ってみたいって料理してみたし。
苦手な食べ物が美味しくてびっくりしたこともある。
気持ちに素直になって、その感覚を忘れないようにどこか記録するってとても大切なことだと思う。
それができる環境で自分のペースで生活できるのは、今とても幸せな環境
ありがたい。
人と交流し、自分の率直な気持ちを行動にしてみる。困ったら聞いてみる。
人の顔色を伺わずにそのままの柔らかい気持ちで生活する。
ざっくりだけど
なんか前にいた環境よりずっとスッキリしている。
店も少ないし遊ぶ場所もないし
って思ってたけど、人と交流する場所なんてどこでも作れて、「何をするか」なんだろう
ごちゃごちゃした以前の環境よりずっと鮮明に自分の世界が見れる
そんな気がした。
まだまだ自分の知っている世界は一部でしかないから、ここは少なからず離れてしまうけれど、この気持ちは忘れずに、自分が何年後かに見返して、未来で生活する選択肢にしてもいいかもしれない。
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