「展示」と「フェミニズム」が交差する場で ― レヴュー:「フェミニズムズ/FEMINISMS」・「ぎこちない会話への対応策―第三波フェミニズムの視点で」 中嶋 泉 

フェミニズムと展覧会

 グリゼルダ・ポロックは2021年の『美術手帖』のインタヴューで、(現代のアート界には)「女性を展示したいというフェミニスト的衝動」はあるものの、キュレーターたちは、「女性アーティストに興味がある」という以外の方法で自分たちがフェミニストであることを示すのをつねに恐れている」と述べている。近年、女性美術家に注目した個展、グループ展は目に見えて増えている[1]。これは国内外で見られる動向であるが、国内に限ってみても、昨年は、森美術館で開催された「アナザーエナジー展:挑戦しつづける力—世界の女性アーティスト16人」が七十代以上の女性アーティストのみで構成された展覧会として話題を呼び、京都国立近代美術館と水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された「ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-」展が多くの観客を動員した。今年に入ってからも、神奈川県立近代美術館の朝倉摂展、オペラシティ アートギャラリーの篠田桃紅展など、その重要な仕事の検証が不足していた女性美術家の展覧会が実施されている。もちろん、女性の美術家たちについて知る機会が獲得されたことじたいが、これまでのフェミニズム運動の成果であり、美術界(史)の多様化に繋がる出来事だ。だがこれらの展覧会が、ただちに女性たちの作品にフェミニズム的意味を与えるわけではない。なぜなら、特定のアーティストを展示するという試みは、それがたとえマイノリティを対象としたものであったとしても、伝統的な美術史に則った解釈に基づいて個人主義的な成功を祝うことにとどまり、視覚文化の諸制度に対して疑問を投げかけるどころか、同調してしまうことすらあるからだ。批評家・キュレーターの丸山美佳は、女性アーティストが見直される風潮について、「どのような物語のなかで見直されているのか、どんな文脈や背景でそれが成し遂げられたのか、あるいは単なるレトリックなのか、その効果はそれぞれ異なっている」[2]と注意を促した。これは美術展のテーマとなったときの「フェミニズム」にも当てはまる考えだろう。つまり一貫したコンセプトのもとに作品を展示し、価値や意味を付与するという形式の展覧会と、多様な価値観を持つフェミニズムの姿勢が一致しないことがあるのは当然であるとして、極端なことをいえば、美術展とフェミニズムはときに矛盾するプロジェクトにもなりうるからだ。

 「フェミニズムズ FEMINISMS」展(以下「フェミニズムズ展」)と「ぎこちない会話への対応策―第三波フェミニズムの視点で」(以下「ぎこちない会話への対応策」展)は、2021年10月16日から、2022年3月13日まで、金沢21世紀美術館で開催された。今回の二つの展覧会は、フェミニズムを一つのショウケースに収めるのではなく、美術展とフェミニズムの間に議論を生み出し、さまざまな折衝が試みられる場だった。そのような考えに及んだ理由の一つは、「フェミニズムズ」展と「ぎこちない会話への対応策」展が一つの展覧会から分かれて、二つの別の展覧会として企画されたという経緯を、2021年8月の『美術手帖』に掲載された対談から事前に知っていたからだろう。筆者はそのときの議論の複雑さと、多彩な展示作品を整理する言葉をみつけることがなかなかできず、展覧会評を即座に書き出すことができなかった(のでこれほどに遅くなった)。だが、企画者や出展作家が参加する同対談から読み取れた見解や立場の違いは、昨今の日本の美術状況とフェミニズムの関係を再考するにあたって、重要かつ興味深いものだった。とはいうものの、両展に出品された作品を全て論じることは本展覧会評の手に余る。そこで本稿では、個々の作品について熟考するよりも、いくつかの「展示」を見ることで、「フェミニズムズ」展と「ぎこちない会話への対応策」展が、フェミニズムと美術、展覧会の関係をどう表し、変更しようとしているかという問題に焦点をあててみたい。まず両展覧会のテーマの取り扱いに注目し、その後、それぞれの展覧会の会場を二つ取り上げ、その特徴を見ていく。


「第三波フェミニズム」のジレンマ

 二つの別の展覧会になったとはいえ、両展には「第三波フェミニズム」という共有されたテーマがあった。「フェミニズムズ」展のキュレーターである高橋律子が述べているように、展覧会の構想は、彼女が「ぎこちない会話への対応策」展のキュレーターである長島友里枝の著書『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』(2020)を読んで共感し、1990年代の「ガーリーカルチャーをフェミニズムから捉える」[3]という視点に興味を持ったことからはじまった。「ガーリー・カルチャー」とは、男性中心主義的文化に対抗する若い女性(ガール)たちによって1980年代以降、主に特に英米で広まった文化運動で、第三波フェミニズムと関連が深い。この運動の特徴の一つは、これまで第二波フェミニズムが「女らしさ」を搾取するものとして否定してきたポピュラー文化を、「再流用」することによって自分たちのものへと取り戻していく点にある。近年日本でも、1990年代に若い女性を中心に広まった文化、例えば、男性中心文化を奪取する英米圏の女性パンクバンドや女性ラッパーの音楽や、『オリーブ』に代表されるオルタナティヴな少女性を提案するファッション文化が「第三波フェミニズム」として見直されている[4]。長島は上述の著書をはじめ、こうしたフェミニズム研究の更新に貢献しており、「ぎこちない会話への対応策」展もそうした活動の流れとともに企画されている。

 だが、すでに多くの指摘があるように第三波フェミニズムは、ほかの「フェミニズム」と同じように、一枚岩ではなく、深刻なジレンマを内包している。というのも、若い女性(ないし「少女」)の表象を積極的に支持していく第三波の活動は、それが戦略的に行われている場合でも、資本主義との親和性が強く、ポピュラー文化における男性支配と危うい関係に陥る可能性があるからだ。それゆえ、現在、「第三波フェミニズム」と呼ばれる1990年代の女性文化は、1)ポップな商業主義文化のなかに女性の自己表現力を訴え、自発的に居場所を獲得するいっぽうで、2)消費文化に吸収されることに継続的に抵抗していなければならなかったもの、として理解されている[5]。両展は「第三波フェミニズム」のこの問題をそれぞれ別の面から取り扱っていたように見えた。

 カタログ論文でも触れられているように、日本のガーリー・カルチャーに造詣が深く、これまでも少女文化に関連した展覧会を企画してきた高橋は、「フェミニズムズ」展を、現代美術におけるガールズパワーを見つけ、ポジティヴに見直す機会とみなしていたように見受けられる。彼女の「私自身、女の子として自由にポジティブに生きることが正義であると信じ20代を過ごしてきた」[6]という言葉は印象深い。「フェミニズムズ」展には女性以外の出展作家も参加しているが、全体的に目指されていることは、現代美術を「ガール・カルチャー」の自己肯定的実践に関連づけ、その価値観を美術史に引き入れつつ、「ガーリー」な美術の系譜を提案することであったのではないか。「フェミニズムズ」展は、集められた作品に対し、「第三波フェミニズム」のうちでも、商業主義を逆手にとりつつ自分の場所を切り開くポピュラー・フェミニズムの可能性を見出そうとしているように見えた。

 他方、「ぎこちない会話への対応策」展における第三波フェミニズム考は、1990年代に「女の子」文化と呼ばれたものの別の側面に焦点を当てている。長島が言及するように、1990年代の文化において、「女の子」という枠組みは、若い女性を一時的に持ち上げるいっぽうで、彼女たちの創造性を限定的で劣ったものとして扱った。ゆえに、「ぎこちない会話への対応策」展で紹介される作品の多くは、ポピュラー文化の中にいながらしてその社会的構造に批判的な目を向けるものとして紹介される。ここでの第三波フェミニズムは、ポピュラー・カルチャーをアイロニックに利用して別の解釈可能性を開く運動として提示されており、長島は別のところでこうした90年代の動向を外からの名指しである「女の子文化」と区別して、林央子が1990年代に提唱した「ガーリー・カルチャー」と関連づけている[7]。さらに、展覧会タイトルが示すようにここでの「フェミニズム」は、立場の異なる個人が「ぎこちなく」会話をしながら、アドホックな連帯をつくって状況にその都度「対応」していくことによって成される。そこにはフェミニストを自称することを躊躇するような態度も含まれるのであり、「フェミニズム」は常に自らを問うていくプロセスとして示される。「ぎこちない会話への対応策」展も作品の特性はバラバラで、一貫して名付けられる傾向は見出せない。しかし、のちに述べるように、出展作品の多くが女性(少女)一般というアイディアに挑戦する姿勢を示している。

 展覧会時に配布されたリーフレットやカタログ論文から、二つの展覧会の構想から受ける印象を以上のように述べたが、実際この二つの展覧会にこうした傾向があったとしても、多種多様な作品を伴う両展を特定の図式のもとに読むことはあまり意味がないし、おそらくうまくいかないだろう。そのような考えのもと、両展で試されているフェミニズムの実践がどのようなフェミニズム(ズ)を提案しているのか、「展示」という概念を軸としてとしてもう少し見ていきたい。


1990年代美術のフェミニズム

 例えば、両展が主眼としている90年代文化にかかわる作品群の展示は、フェミニズムをどのように意味づけていると言えるだろうか。どちらの展覧会でも、「第一室」にあたる展示室7(「ぎこちない会話への対応策」展)と展示室14(「フェミニズムズ」展)は、1990年代当時に話題となった作品を取り上げてほかの作品と組み合わせており、それぞれの展覧会の一つのステートメントとなっていたと言える。

 「フェミニズムズ」展から始めてみれば、まず出会うのは「ピンクの部屋」である。この部屋に集合させられた作品のピンクの分量は、一見して「女の子」のパワーを視覚的に印象付けるように見える。しかしそんなインパクトとは裏腹に、この展示室を構成する西山美なコの《TELEPHONE PROJECT ’95 もしもしピンク~でんわのむこう側~》(1995/2021)、《♡ときめきエリカのテレポンクラブ♡》(1992/2021)と、ユゥキユキの《「あなたのために、」》(2020)という三つの大規模インスタレーションにおいて、「ピンク」はそう簡単には意味付けられない。西山は、ピンクが「女の子」の象徴であったと同時に、性的な記号として機能してきたことを、可愛らしい塗り絵の図柄とピンクチラシを付き合わせて明らかにする。ユゥキがつくる編みぐるみはその規模と中が空洞になっているという形状から、ニキ・ド・サンファルの《ホン》(1966)を思わせるが、そこに母性の礼賛はなく、母親と制作したというピンクの巨大な赤ん坊の編みぐるみが示す巨大で威圧的な母性と、そこから逃れようとするかのように表される男装する女性同士の性愛が、従来ピンクが示してきた理想的母親・女性・少女イメージを解体していく。

 この展示室についてもう一つ注目したいのは、この空間が持つインティメイトな空気である。円形のギャラリーは西山の作品の一部であるレース模様のシートに囲われ、装飾によって閉じ込められたような濃密な空間をつくっている。そしてそこには編みぐるみや切り抜かれたチラシなど、手作りの品々が溢れている。そうした光景をみていると、閉じられた部屋のなかでせっせと手を動かす女性たち、内職のように集めたチラシをバッジの中に詰める女性のイメージが目に浮かばないだろうか。このようなDIYの作業風景もまた1990年代のガーリー・カルチャーの特徴とされた。つまり、「男子」のようにストリート(公的空間)ではなくプライヴェートな部屋(私的空間)で、密やかに別の方法で主流文化に抵抗する実践が行われてきた、その様を想像させるのである[8]。この部屋に充満するピンク色は一見「少女らしさ」「女性らしさ」を表象するかに見えて、その実、女の子らしさを象徴してきた「ピンク」文化への分析的な視点を提案し、1990年代の女性(少女)カルチャーを多層的な試みとして見直す視線を導く。

 他方、「ぎこちない会話への対応策」展の第一室では「女の子文化」というカテゴリーの欺瞞に目が向けられる。この部屋はヌード写真に囲まれている。最初に目に入るのは、長島の「Self-Portrait」シリーズ(1993)である。自身と家族をヌードで撮影した本作は作者である長島を含めた家族のメンバーが、ヌードになりながらも平然と家族写真の様式に収まっている。規範的な家族写真とヌードという相容れない要素がこの写真を解読しようとする視線を撹乱する。長島の隣に並べられている木村の《存在の隠れ家》シリーズ(1993/2021)は胸、胴や臀部の写真を水着やプレイボーイ・ラビットなど性的消費文化のアイコンに型取りしている。だがその「ポップ」な形に不穏な影を落とすのが、それらのイメージを染め抜く静かな青い色である。これらの作品が発表された当初、若い女性が自分のヌードを撮るということに過当な注目があつまっていた。だが、長島が繰り返し述べるように、被写体になってきた女性が自ら自分のイメージを作り出していくことの意味が議論されることなく、そのほかの女性写真家と一括して「女の子写真」と呼ばれたのであった。長島やその隣に展示された木村友紀、次の展示室に控えている藤岡亜弥は不当にもこの呼び名に当てはめられた当事者たちだ。

 長島が指摘するように、当時一世を風靡した「女の子写真」や「女の子カルチャー」は、実際のところ、女性の創作者の作品を「矮小化」[9]する言説であり、これらの写真作品が有していた批判的可能性を隠蔽するものだった。したがって、ここでは1990年代当時の「女の子文化」の無邪気で無自覚な称揚と、「ガーリー・カルチャー」の批判性の間に確固たる違いを見るべきである。それを助けるのは、長島、木村の作品とならんで、同じ部屋に展示された潘逸舟の《無題》(2006/2021)の存在だ。潘は図像学的に馴染みのある「横たわる裸婦」の構図を、男性的身体を持った自分のポートレイトに援用した。そしてそこに「花嫁が顔を隠す」というかつて中国の村の女性たちが経験した古い風習をはめ込み、異化作用を引きおこして、身体を晒すことのジェンダー・ポリティックスを問う。若い女性の裸体はなぜ当たり前のように観賞対象であり、商品とみなされるのか。女性が自らの裸体を取り扱うとき、性的興味が優先され、ほかのことが見落とされるのはなぜなのか。若い女性が有名になることが、消費されることと引き換えだったことを問題視する視点はなぜなかったのか。「ぎこちない会話への対応策」展は、約30年の時間を経て、彼女たちの作品の意味を「女の子写真」からガーリー・カルチャーの「フェミニズム」の文脈へと移し、この作品が90年代の日本に生まれたことの重要性を問い直している。「ぎこちない会話への対応策」展にはそうした、読み直しを導く作品と解説が示される。


展示とフェミニズム

 二つ目の会場に目を移してみよう。次に注目したいのは展示の方法である。
 作品に読み取られる「意味」は、展示の方法にも大きく依存する。マルクス主義フェミニストの美術研究者キャロル・ダンカンは1999年に、美術館は特定の儀礼的シナリオを通じて「社会的、性的、政治的なアイデンティティに関する価値観や信念を提示する」「儀礼の構造」であると論じ、その「儀礼的シナリオ」が白人男性中心的な価値や信念に基づいていることを明らかにした[10]。この結論から眺めれば、フェミニズムと伝統的な美術館の制度、美術展の儀礼はおそらく激しく矛盾する。とはいうものの、ダンカンが論じているのは20世紀半ばまでの近代美術の展示についてであり、20世紀末以降のいわゆる「現代美術」の一部は、性、人種、文化といった幅広い人間的経験を問いはじめているため、美術館と美術展は従来的な「儀礼」を書き直して新たな問題意識を提起する場になり得ていると言っていい。なかでも近代美術を批判してきたフェミニズム美術は、真っ先に美術館や展示の制度とそれがつくる構造に問題を提起してきた。だがその試みは一通りではない。現代のフェミニズムがそうであるように、そこには既存の方法の流用や転用から、折衝、拒絶までさまざまな方法があるのだ。
 実際、両展の「展示」は二つのフェミニズム(ズ)による、異なった立場や提言を暗示するもののように見えた。

 今度は「ぎこちない会話への対応策」展からみてみたい。本展は全体を通じて写真作品が多く、その多くが観客の目の高さに設置されている。意図的か否かにかかわらず、この位置がつくる作品との距離は、近代の美術展示が拒絶してきた作品への個人的な思い入れや社会的関心に観客を誘い込む。この展示方法は、展示室7の長島や木村から、藤岡亜弥の展示室8の展示の一部へと続いており、そこに映される人や風景と作者のつながりに思いを馳せ、展示物に従来とは異なる方法で自分を関連づけることを呼びかける。この空間でみる彼女たちの写真は、「女の子写真」というかつての言説が見落としてきたもの、つまり彼女たちが社会とどう対峙し、そこへと応答してきたのかを考えさせるだろう。

 「ぎこちない会話への対応策」展の展示室8をみてみよう。この部屋の右側の壁から奥へと連なる藤岡の「城の物語」シリーズ(2000-2021)は、郷里の広島の風景と、そこにある「城」と彼女が呼んでいるカラフルな建造物を、近くから、遠くから何度も撮影した一連の写真から成っている。それらの風景は、戦後数多の写真家が撮ってきた「ヒロシマ」の公的記録からは想像できないパーソナルなイメージである。それらが目の前に並ぶのと対照的にかなりの高さにランダムに配置されているのは「私は眠らない」シリーズ(2009)である。藤岡が「女の人」と呼ぶ、顔の映らない匿名的な女性の日常生活の情景の合間に、印象的な女性の手の写真が挟まれ、視る者を戸惑わせる。顔の見えない写真と、それを埋め合わせるかのような表情豊かな手の写真の反復は、凝視を退け、女性の姿を「捕まえ」ようとする視線を躱し、女性を特定の意味の固定化から解放しようとしているように見える。どこだかわらかない風景写真と、誰だかわからない女性のイメージ。この一見互いに関係のないようにみえる写真シリーズは、「ヒロシマ」と「女」という、(主に男性たちがつくってきた)現代写真史のなかで過剰に意味がチャージされてきた対象を、従来の読み方から引き離し、ほかの意味の可能性に解き放つ。

 このようにはじまる展示室8は、長島が紹介するように、「エスニシティや国籍、地理的なバックグラウンドに起因するアイデンティティと向き合ってきた」三人の作家で構成されており、それぞれが第二次世界大戦後の日本の政治風景を取り扱っている。そして、三人の作品が共通して示す物語は、大文字の歴史ではなく個人の経験と感覚に寄り添うものである。面白いのはその表現方法がまるで異なっていることだろう。

 ミヤギフトシの作品は、壊されて粉々になった東京タワーのスノードーム(《Winter》(2009)、壁に釘で固定された毛糸の文字(《1970》(2016))、静かにあやとりをする作家の映像(《東京タワー》(2007))の三つで構成されているが、そのどれもが――《1970》の繊細だが真っ赤な毛糸が象徴するように――歴史のあわいにおちいりそうな存在のあやうさと確かさを暗示している。日本と米国のあいだで女性化されてきた沖縄を語ることの困難は、かわりに、「中央」を象徴しかつ男根的シンボルである東京タワーを様々な方法で壊し、解きほぐし、作り直すことで語り直される。

 対照的に、アメリカ人日系四世のミヨ・スティーヴンスーガンダーラは、家族の肖像の版画(《ガマン》(2018))や、緻密な刺繍で描き出された日系人強制収容所の光景の断固としたイメージ(《トパーズ強制収容所》(2021))を提供している。版画や刺繍というメディアが可能にする明暗の強いコントラストや物質性が、周縁化されてきた家族の歴史を力強く示し、ともすると消えてしまう記憶に強固な実存性を与えようとしているように見えた。

 長島が行なった展示は、すでにある現代美術の価値(だけ)ではかられるものではない側面を、出展作家の作品にみている。この三つの作品は、「現代美術」や「美術史」の審美主義的立場からは、分類ないし排除されてしまうかもしれない試みでもあり、この展示室は、美術展ないし美術という領域との交渉を実践していると見ることもできる。この展覧会でこれらの作品をともに鑑賞することによって、美術展示の脱政治的力は弱められ、歴史・社会的読みの可能性が重層的に浮かび上がる。

 長島の「ぎこちない会話への対応策」展が、制度のなかではないがしろにされがちな個人の物語を見えるようにする挑戦であったとしたら、高橋律子が企画した「フェミニズムズ」展は、美術館の空間を熟知するキュレーターによる、展覧会という構造の積極的な利用と言えるだろう。
 例えば、「フェミニズムズ」展で二番目に大きな会場である展示室11は天井の高さ、作品のサイズ、光の効果などが効果的に使われ、現代美術的なスペクタクルを提供する会場になっている。

 ここには風間サチコ、青木千絵、碓井ゆいの作品が展示されている。入ると左手の大きな壁面に風間の、《虎の衣》(1998)と「肺の森」シリーズ(2021)の6点が現れる。大型の木版画であるこれらの作品では、煙や病気に侵される肺や肋骨をモチーフにして、菩提樹の下の恋人たちの姿から、戦車や「魔の山」まで不穏な光景が黒々と描き出され、壁一面を近代社会の暗黒部の風景が覆う。その奥には碓井ゆいの刺繍作品(《shadow of a coin》(2013-2018))が、細い糸で天井から吊るされている。薄く透けるオーガンジーでできた大小のフレームは、光を透過させて刺繍のデリケートな影を壁に映している。その手前右に設置されているのは、「BODY」と名付けられた青木千絵の立体作品4点(《BODY 20-1》(2020)、《BODY 19-1》(2019)、《BODY 16-1》(2016)、《BODY 21-2》(2021))である。暗く艶やかな漆で表面を覆われている身体が天井から吊るされ、台座や壁に設置されている様は重厚な存在感を放っていた。

 この部屋に代表される「フェミニズムズ」展の展示の特徴を、上述してきた「美術館」ないし「展示」と「フェミニズム」という論点に近づけて考えるとすれば、まずは、美術作品のオブジェとしての魅力を印象付け、審美的に価値あるものとして見せることに徹しているようにみえる。これを筆者は戦略的なやり方だと受け取った。現代美術の展示スキルを流用することで、女性の作品やフェミニズム美術という周縁化された存在を、現代美術の価値の枠内に滑り込ませ、文字通り視る人を魅了することができる。風間のドラマチックな版画、青木の彫刻の官能的な形態、碓井の布作品の儚さ。これらが強調される大型ギャラリーの展示のなかでは「フェミニズム」と名指されている作品も間違いなく「美しい」。なお「フェミニズムズ」展では写真撮影が許されていたことにも触れておくべきかもしれない。「映える」会場イメージはSNSを通じて拡散し、フェミニズムをポピュラーでライカブルなものへと変え、フェミニズムに対するバックラッシュ(「つまらない」「わからない」「こわい」)はおそらく避けられるだろう。

 そのいっぽうで、美術的見栄えとは、フェミニズム的試みとしては、何かと引き換え得られるものではないか。例えば碓井の刺繍作品は軽やかさを演出する高さのため、彼女の作品を理解するために重要な作品のディテイルを十分に見ることができない。彼女の円形のフレームが表すのは日本の硬貨である。碓井は国家がその価値を保証する硬貨の表面に、女性たちの家事(シャドウ・ワーク)――掃除機をかけ、アイロンをかけ、ハタキをかける――を縫い込んだ。女性たちが仕事をするそばから、「日本国」を体現する硬貨の文字や元号、象徴的な植物の模様は、取り除かれたり、消し去られたりしているのだ。そうしたイメージが女性の手仕事とされてきた刺繍によって生み出されている。碓井の作品は、その優しげな見かけにかかわらず、女性の仕事が国家のイメージを壊していくというユーモラスだが強烈なアイロニーを抱えている。

 その手前にある青木の《BODY》シリーズはどうだろうか。「BODY」が表す身体はどちらかというと、そのやわからな肉付きと滑らかな肌によって女性のそれに思われるが、作家自身の身体がモチーフとされるこの作品は、頭部から胸部を欠く表現で示され、「あくまでも人間の身体」としてあるという[11]。これらの身体は、不可思議で魅力的、誘惑的な身体である。だが、台座に置かれ、天井から吊るされ、カンヴァスに載せられて壁に設置された姿はむしろ、客体化されてきた女性身体の歴史と重なってはみえないか。《BODY》の示す、あいまいな女性性を感じさせる身体や、漆という異素材の効果、うずくまる姿勢に込められた感情は、おそらく女性の身体の理想化とフェティッシュ化を進めてきた彫刻の歴史に寄り添いつつも抗っている。こうした作品の鑑賞経験を、文化の新しい解釈や理解につなげていくには、展示の力がこれまで以上に必要とされている。「フェミニズムズ」展は、美術がフェミニズムに出会ったときの「展示」の更新にともなって生じる、こうした新たな問題を提起していると見ることができるのではないか。


おわりに

 展覧会は作品の意味生成に関与する。意味と価値を生じさせる構造に介入するのだ。
 「フェミニズム」を謳う美術展に参加するとき、私たちは、美術と美術の制度との新たな出会いの場を与えられている。そうした場に立ち会うとき、わたしたちは作品の知らなかった面を見出すだけでなく、自分たちのなかで新しい解釈と意味づけの回路が作り出される過程を経験するはずだ。
 最初にポロックを引用して述べたように、女性アーティストの作品を展示すれば即座に「フェミニズム」が「成る」わけではない。フェミニズムの展示が行われる場合、美術館とそこでの展示の慣習、すなわち、これまで女性を疎外してきた近現代代美術の規範にからめとられないために、コンセプト、作品のセレクション、展示を再検討し、それにどのように応答するかを考えることが求められる。そしてその方法は、フェミニズムが一つではないのと同様に、無数にあるだろう。したがって、この二つのフェミニズムの展覧会を生産的に鑑賞することとは、どちらがよりフェミニズム的かを検証することではなく、現代美術とフェミニズムが交差する地点に、どれほど複雑で多様な議論、課題、可能性が横たわっているかを目撃し、話し合う機会に積極的に応じることである。本稿はそれぞれの展覧会のほんの一部にしか触れることができず、語り残されていることはあまりにも多い。フェミニズム美術展と呼ばれるものの成立に貢献し、最終的にフェミニズム美術展を作り出すのは、今回の二つの展覧会が示した美術とフェミニズムを取り巻く問題にさらなる議論を尽くし、美術と美術展の更新に言葉を与えていくことなのだ。




[1] こうした観点から、ポロックは、現在の美術シーンにおけるフェミニズムブーム、女性美術ブームを、フェミニズムにとって、同時にプラスでもありマイナスでもあると述べる。グリゼルダ・ポロック「美術史におけるフェミニスト的介入という思考実践はなぜ必要なのか?」『美術手帖』2021年8月、pp.144-151.

[2] 丸山美佳「「女性アーティスト」はどのように評価されてきたのか:ジェンダーにまつわる問題を流行として消費しないために」https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/why_woman_artist(最終閲覧日:2022年6月25日)

[3] 高橋律子「複数形のフェミニズム––女子とか、もはや女子だけじゃないとか」『フェミニズムズ』(展覧会図録)、金沢21世紀美術館、2022年、p.4.

[4] 高橋氏自身、展覧会「Olive 1982-2003 雑誌『オリーブ』のクリエイティビティ」(2012年、金沢21世紀美術館デザインギャラリー)を手がけるなど、1990年代(女性)文化の見直しを推進してきた人物である。

[5] 田中東子は、アニータ・ハリスなどの論点を参照し、消費社会を前提とする現代の女性的主体性と、消費社会に文化的に抵抗するフェミニズムの目標について論じている。田中東子『メディア文化とジェンダーの政治学––第三波フェミニズムの視点から』世界思想社、2012年、pp.64-65.

[6] 高橋、2022年、p.4.

[7] 長島有里枝『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』、大福書林、2020年、p.344. (長島が言及する林の文章は、林央子「90年代の編集を動かすガーリー・カルチャー」後藤繁雄編著『NEW TEXT』、リトルモア、p.29)

[8] このような少女による私的領域での創作をアンジェラ・マクロビーとジェニー・ガーバーは「寝室文化(ベッドルーム・カルチャー)」と呼んで、少女による文化的抵抗の一種として論じた。田中東子の紹介による。田中、前掲書、pp.53.

[9] 長島「(フェミニストで)あるかどうかは問題じゃない」『ぎこちない会話への対応策――第三波フェミニズムの視点で』(zineの形態をとった展覧会図録)、株式会社赤々舎、2022年、p.150.

[10] キャロル・ダンカン『美術館という幻想―儀礼と権力』川口幸也訳、水声社、2011年。

[11] 「フェミニズムズ」展リーフレットより。


中嶋 泉
大阪大学人文学研究科准教授。著書に『アンチ・アクション―日本戦後絵画と女性画家』(ブリュッケ、2019、2020年度サントリー学芸賞受賞)他。




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