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MOTアニュアル2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ--東京都現代美術館

現代の表現の一側面を切り取り、問いかけや議論の始まりを引き出すグループ展、MOTアニュアル。18回目を迎える本展では、大久保あり、工藤春香、高川和也、良知暁の4名のアーティストを迎え、言葉や物語を起点に、時代や社会から忘れられた存在にどのように輪郭を与えることができるのか、私たちの生活を取り巻く複雑に制度化された環境をどのように解像度をあげて捉えることができるのかを共に考えます。
パンデミックや理不尽な攻撃が横行する不条理な事態が続く中、善悪の行方があやふやになりつつあります。異なる背景を持つ者同士の差異に目を向け、そこから生まれる誤解や矛盾を自分ごととして捉えるにはどうしたらいいのでしょうか。わかり合えない他者を受け止め、許すことはできるのでしょうか。言葉は、文化を共有するための手段であると同時に、その差異が対立の要因となることがあります。言葉による記述の外で、忘れられる存在もあります。本展では、語ることや記述の困難さに向き合い、別の語りを模索するアーティストたちの試みを取り上げます。

プレスリリース


16日(土)に本年のMOTアニュアルが開幕した。「現代の表現の一側面を切り取り、問いかけや議論の始まりを引き出す」を主旨に若手からベテランまでさまざまな作家を紹介するMOT恒例のグループ展。『私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ』と題した今回の企画は我々の社会、あるいは個々人が抱えるさまざまな問題へ言葉や物語を使ってアプローチするアーティスト四名を起用。いまだ収束しないパンデミックなど不条理が溢れる現況の世界が「善悪の行方があやふや」になりつつあるとして、観者へ以下のように問う。
「異なる背景を持つ者同士の差異に目を向け、そこから生まれる誤解や矛盾を自分ごととして捉える」
「時代や社会から忘れられた存在にどのように輪郭を与えることができるのか、私たちの生活を取り巻く複雑に制度化された環境をどのように解像度をあげて捉えることができるのか」
4人の応答はそれぞれで、一部極めてセンシティブな内容の作品も含む展覧会だ。主に15日の内覧会とプレスツアーの記録を作家のプレスリリースと引きあわせ、鑑賞の契機となるささやかなレポートとして提供する。




プレスツアーでラップをする高川とFUNI


高川和也ーー《そのリズムに乗せて》

内なるものを言葉にし、表出することで何が起きるのかを探る約50分の映像である。ただ記述することを課して書かれた高川自身の過去の日記。そこには、おもてに現れるはずのない自己の欲望や苦悩がそのままに書かれている。高川は、ラッパーのFUNIの力を借り、日記の言葉をラップに変換しようと試みる。日記の読み解きをおこなうグループワークでは、書かれた言葉について話されることで、過去の高川が書いた日記が複数の人に共有され、書いた本人やその時の感情から離れ、誰のものでもなくなっていく。言葉は表出されることで、自分自身の、あるいは他者による次の言葉を起こさせる。何を言い表せているかに関係なく、理性を超えた感情を外に出す行為が私たちの心に作用する。その時、メタファーによる言い換えや韻を踏むことで、言葉同士の思わぬ結びつきが生まれ、限定的な意味がずらされていく。リズムに乗せて声に出し、自分の外側にあるものに合わせ、形にしようとする時、自己からの解放の可能性が開かれる。

ハンドアウトより

プレスツアーにもゲストで登場した、本人曰く「世界一腰の低いラッパー」FUNIを在日三世というその出自、活動と共に紹介しつつ、高川が自身のテキスト(過去の日記)を彼の協力を得ながらラップにする過程を追ったセルフドキュメンタリー作品。言葉を意味や内容に限定して捉えず、リズム、トーンなどの点にも発話者の固有性が宿るのではないか、という関心からはじめた「ラップ変換」に苦労する高川と、あくまでラッパーとして寄り添いながらサポートするFUNI。50分を超える尺のため、内覧会で全編を視聴することが叶わず、その状態での「感想」にはなってしまうが、カメラワークなどテクニカルな要素も含めて映像としてのクオリティは高く、FUNIのおおらかでありつつ誠実な語りもあって、とても魅力的な「映画」になっていた。是非、時間を作って全編を観てみたい。


高川和也 MOTアニュアル2022展示風景 


高川和也 MOTアニュアル2022展示風景 


高川和也 MOTアニュアル2022展示風景 


高川和也 MOTアニュアル2022展示風景 



工藤春香ーー《あなたの見ている風景を私は見ることはできない。私の見ている風景をあなたは見ることはできない。》

都市部への水と電力の供給をおこなう相模湖。その湖にほど近い障害者施設で事件は起きた。工藤は、産業の発展の一方で移動を余儀なくされる人々の存在に目を向ける。重ね合わされた年表のおもて側でたどる優生政策の歴史からは、誰もが時代の中でつくられてきた制度と社会構造の上に立たされていることに気づかされるだろう。女性の権利のために戦う女性たち自身が優生思想との間で揺れ動くように、その構造の中で、各人の立場は両義的である。本作では、表裏を成す歴史として、障害当事者運動の年表がその内側に対置されている。当事者があげる声が次の声となって広がり、変化を獲得してきたことが、現在の、障害者の自立生活を支える諸制度へとつながっていることが示される。工藤はこのたび、施設を出て自立生活を始めた方とその介助者の方たちをたずねた。みなに同じように開かれている目の前の景色も、それぞれが別々の仕方で知覚しているということ。言葉を介さずとも、触れ合う他者がいることによって、互いの生を照らし合っていることへの気づきがあらわれている。

ハンドアウトより


プレス向けツアーで解説する工藤春香


2017年の個展「生きていたら見た風景」(旧優生保護法成立の経緯と、それによって産まれなかった子供の視点を想像した作品で構成)と、2020年の個展「静かな湖畔の底から」(相模湖の歴史と2016年の相模原障害者施設殺傷事件がテーマ)の延長線上にある複合的なインスタレーション。主展示室中心に川のごとく曲がりくねって浮かぶ年表の片(表)面には、1917年から2022年までをたどる国の障害に関わる政策や法制度の主な動きが記され、もう片(裏)面には1878年から2022年に至る障害当事者の運動史がまとめられる。浮かぶ年表は再現された障害者施設の共有スペースを囲み、裏手のぬいぐるみの置かれたソファや机は、やまゆり園で襲撃の被害にあった尾野一矢氏が現在介助を受けながら一人で暮らす自室が再現される。壁には今回の展示にあわせて尾野氏を取材した工藤の言葉や、湖の開発と、都市からそこへ隔離される障害者について思考する映像、そしてフェミニズムの活動家でありながら全米で産児制限の活動を同時に行っていたマーガレット・サンガーと、来日したサンガーの影響から産児調整運動をはじめ、参院議員へ転じたのち優生保護法法案を提出した加藤シヅエの肖像画などが設置されている。さまざまな情報とイメージにあふれる展示だが、ともかくも、年表の「表裏」(どちらが表で、あるいは裏なのか?)に記された事実の対比が突きつけるわたしたちの社会について、誰しも深々と考えざるを得ない。まぎれもなく、それはわたしたちの選択の結果である。


工藤春香 MOTアニュアル2022展示風景


工藤春香 MOTアニュアル2022展示風景


工藤春香 MOTアニュアル2022展示風景


工藤春香 MOTアニュアル2022展示風景


工藤春香 MOTアニュアル2022展示風景


工藤春香 MOTアニュアル2022展示風景


工藤春香 MOTアニュアル2022展示風景


工藤春香 MOTアニュアル2022展示風景



大久保ありーー《No Title Yet》

大久保は本展で、自身の過去の13作品を編纂している。これまでの作品で使われたテキストの抜粋とそれに関連するもので構成された回廊状の空間で、過去につくられたものが新しい物語の素材となって配置されている。しかし、ここで使われているオブジェや写真などは、かつて展示されたものとは限らない。現在の作者が、過去の作品を思い出しながら言葉と物を選択する中で、それぞれの作品の中に含まれていた異なる時制が、現在とも交錯していく。ここでいったん編まれた物語は、未来に書かれる小説の始まりでもある。内側が外側で、外側が内側の空間。意味は同じなのに書き方が異なる四つの言語。つくられたものと「ほんもの」のもの。それらが混じり合う中で語られる、記憶、幽霊、昔話、夢、諍いなど不確かで曖昧なものたち。この物語空間で、誰かの物語はやがて私の物語になる。捉えられない曖昧な輪郭の自己とそれを取り巻くものとが、「つくられたお話」によって像を描き始める。

ハンドアウトより


プレス向けツアーで解説する大久保あり


仮設の建材で組み上げられた巨大な回廊。柱やパネルの内と外に置かれ、貼られ、据え付けられた写真、映像、オブジェ、テキスト他あれやこれやは、大久保がこれまで制作してきた作品(物語)が、起点を十数年も遡る履歴として再編したものであり、辿って歩く空間と、展覧会用に特設されたウェブサイト(ariookubo.com)に載せられた「物語」の全体が新たな作品として観者へ提示される。総じて複雑に要素が行き来するインスタレーションだが、作品(物語)によっては、大久保本人や彼女の制作とかかわりを持ってきた人と、そうではない人のあいだには見え方、感じ方の差があるだろう。筆者はⅪ《私はこの世界を司る あなたは宇宙に存在する要素》の「日記」に他の複数の、知っていたり知らなかったりする幾人かの人々と共に「登場」するのだが、筆者と筆者を含むその物語が「ほんもの」であるかどうか、もちろん筆者は知っているが、それ以外の大部分の観者に確認するすべはなく、筆者の実在性さえも同様だ。筆者も、筆者の物語以外については同様である。世界の輪郭は曖昧であり、虚は実であり、実が虚であったりもする。彼女が制作を続ける限り、それは続いてゆくのである。


大久保あり MOTアニュアル2022展示風景


大久保あり MOTアニュアル2022展示風景


大久保あり MOTアニュアル2022展示風景


大久保あり MOTアニュアル2022展示風景


大久保あり MOTアニュアル2022展示風景


大久保あり MOTアニュアル2022展示風景



良知 暁 ーー《シボレート/schibboleth》

読み書きや発音など、時に言葉は識別のための装置として機能する。しかし、言葉が指し示すものや、その使用における差異は、識別しようとする対象とぴたりと重なるとは限らない。それなのに、あたかも明確な分断線が既定のものとしてあるかのように、線引きとそれによる排除がおこなわれることがある。良知は境界線の曖昧さやその狭間で失われるものの存在を忘れないために、識別のための言葉を想起のための装置へと転換する。作品を構成するのは、テキストの投影といくつかの物だけである。あかりの灯されていないネオン管や、ある時間を指したまま止まっている時計。記号として何かを指し示すはずのそれらの機能が一時的に保留され、その状態の前で立ち止まり、考えることを促す。日常の中でふと時計を見る時や、カードに記された発音記号に変換された一節を目にする時など、言葉とそれによる線引きによって失われるものの存在を思い出すきっかけが、この作品に触れるものに対してすでに手渡されている。

ハンドアウトより
プレス向けツアーで解説する良知 暁


がらんとした空間にぽつんとネオン管、掛け時計、葉書の置かれた展示台、スライドプロジェクターが置かれた良知の展示は、台東区のspace dike(現在は移転)で2020年の末と、明けて1月、そして2月の数日だけ行った個展の要素を減らし、再構成したものだ。さまざまな事情から筆者はそれを観ることが叶わなかったのだが、偶々、友人の批評家による優れたレビューを当方の主宰するメディアに載せる機会を得た。(※)そのため、「観てはいないのにまた観た」という不思議な「既視感」に襲われた。まるで答え合わせをするかのように。
配置された各オブジェクトは、入り口で配布される良知のテキストを読まなければ大半の来訪者にとっておよそ意味不明な、なんだか間が抜けたようにも感じられるものだが、会場で一人1枚ずつ持ち帰るよう指示される葉書に印字されたraɪt frəm ðə left tə ðə raɪt əz juː siː ɪt spelt hɪə.の言葉や、15時50分で時を止める秒針を外した時計、そして《シボレート/schibboleth》というヘブライ語のタイトルが全て、人の人による排除と殺戮に関わるものであることを理解したあとでは、あまりにも広々としすぎるその空間の空かせ方も含めて、全てが異なって見えるだろう。是非、会場で確認して欲しい。

(※)中島水緒『言葉に灯りを点さない――良知暁「シボレート / schibboleth」についての覚書』
http://www.en-soph.org/archives/55461283.html


良知 暁 MOTアニュアル2022展示風景


良知 暁 MOTアニュアル2022展示風景


良知 暁 MOTアニュアル2022展示風景


良知 暁 MOTアニュアル2022展示風景


良知 暁 MOTアニュアル2022展示風景


良知 暁 MOTアニュアル2022展示風景


良知 暁 MOTアニュアル2022展示風景


良知 暁 MOTアニュアル2022展示風景



取材・撮影・執筆 : 東間 嶺




会期:2022年7月16日(土)- 10月16日(日)
休館日:月曜日
(7月18日、9月19日、10月10日は開館)、7月19日、9月20日、10月11日
開館時間:10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
観覧料:一般 1,300円 / 大学生・専門学校生・65歳以上 900円 / 中高生 500円 / 小学生以下無料
会場:東京都現代美術館 企画展示室3F
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館
WEB:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mot-annual-2022/




同時開催
MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mot-collection-220716/
ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/Jean_Prouve/




東間 嶺 
美術家、非正規労働者、施設管理者。
1982年東京生まれ。多摩美術大学大学院在学中に小説を書き始めたが、2011年の震災を機に、イメージと言葉の融合的表現を思考/志向しはじめ、以降シャシン(Photo)とヒヒョー(Critic)とショーセツ(Novel)のmelting pot的な表現を探求/制作している。2012年4月、WEB批評空間『エン-ソフ/En-Soph』を立ち上げ、以後、編集管理人。2021年3月、町田の外れにアーティスト・ラン・スペース『ナミイタ-Nami Ita』をオープンし、ディレクター/管理人。2021年9月、「引込線│Hikikomisen Platform」立ち上げメンバー。

近年の主な展示、ブックフェア、寄稿、企画、撮影
2022 企画:藤巻瞬『不完全な修復』、前田梨那『去来するイメージ/往還する痕跡』ナミイタ(東京)
2022 寄稿:「わたしのわたしのわたしの、あなた」Witchenkare vol.12
2021 撮影:「人工知能美学芸術展 美意識のハードプロブレム」アンフォルメル中川村美術館他(長野)
2021 企画:大村益三「"RESTORATION" 1983-2021」、山本麻世「イエティのまつ毛」ナミイタ(東京)
2020 《引込線/放射線:Satellite Final, or…》higure1715cas(東京)
2019 〈引込線/放射線〉第19北斗ビル、旧市立所沢幼稚園(所沢)
2018 吉川陽一郎+東間嶺+藤村克裕『路地ト人/路地二人々』路地と人(東京)
2018  吉川陽一郎×東間嶺『WALK on The Edge of Sense』」Art Center Ongoing(東京)
2017  「コウイとバショのキオク---吉川陽一郎」路地と人(東京)




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