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ポリネーターより、シエニーチュアン

はじめに

ワタリウム美術館で開催中の梅津庸一個展、ポリネーターについて、わたしの書けることはあまりに多すぎる。パープルーム予備校という梅津が主宰する共同体は今年でもう8年目、わたしが関わって3年と半年です。私たちの人間関係には名称がありませんし、考える行為すら滑稽に思えます。今後、梅津には多くの展評や論考が与えられていくことが予想されますが、わたしの文章は歴史のふるいからこぼれ落ちていくほど小さなものかもしれません。みぢかな視点から些細な情報の媒介者として、うめつさんについて、覚書。


1章、うたかたの日々 ーポリネーターのほとりでー

妙にからまわったような彩度の毛の短いじゅうたんと壁に囲まれた会場は、2004年から現在まで17年間の作家の仕事が全体を通して、あるかないかのとぼけた名称のセクションに分かれて点在している。目に見えない瘴気となまったるけた空気でいっぱいで、余剰の部分のないまでに連綿と空間を埋め尽くしていた。[fig.1]

全てがひとのはだの温度に似て生っぽく、カラフルな色や、アロマティックな幻想の全てが梅津のソーシャルなパーソナルスペースの上に渾然一体とひしめきあって目眩がする。
それは作家の仕事の全貌といってはあまりに判断が早すぎるが、美術の膨大な時間の流れの中を、ひとりの作家の一生、作品の一生を考えさせるには充分な空間である。
梅津の作品を、画業を通してまとめて見ることははじめてでもあったし、それはわたしにとって少し残酷なことでもあった。

ひとまず目に飛び込んでくるのは、かれの裸の自画像だが、それは以前からわたしの中で渦巻いていた曖昧な誤解を解いた。かれは意図的にヒントを発生させたりごまかしたりするのがうまいが、それに加え冗談のユーモアもあることを忘れてはならない。また、作家の言葉がいつのときでも二律背反だということも。[fig.2]

初期作品の資料といえば『ラムからマトン』という2015年に梅津による編著で、アートダイバーから出版された書籍がある。わたしはそれに対してよけいな自意識から、関心のないような態度でいたが、本当は前に、同じ施設に住んでいるわきもとさんの部屋に落ちていた、外カバーもないぼろぼろのをバレないように内緒で読んだ。今更買うのも気恥ずかしく思うのだった。そこには梅津のこれまでの画業についていろんな人の言説がまとめられており興味深い内容だった。一方、日頃大事にしている制作や会話はいびつに解像度が高すぎて、もはや生活の営みに懐柔されてしまうのかもと切なくもなるのであった。
ものごとの本質と本音と建前、生活と公共性のバランスにはいつも翻弄されてしまう。
だからこそそういった、作家の大作を縫うようにして、いたるところに配置されている紙のドローイングやパームツリー、花粉濾し器などの陶の作品は、会場の中で、作家の一生の生々しさをいっそう加速させ浮かび上がらせる。

生活とは一体なんなのだろう。わたしはそのことを人に聞きたい。

例えばわたしは、いつか梅津の言った「わたしだって本当は、自分の裸なんか恥ずかしくて嫌だよ。」という冗談めいた言葉がひどく印象的で忘れられない。言葉が、半分本当で半分嘘だということを前提にしても無視できないような情報量がここには含まれているように感じて、その日はあまり眠れなかった。美術史の中に、最小単位であるプライベートな生としての自身の裸を捧げることや、代わって《霞ヶ浦航空飛行基地》(2006)や《戦闘機》(2009)などのメタルポイントにみられる、自らに身体的な消耗を強いる行為は、かれにとって美術に関わる際の手続きに必要不可欠の血肉の通行料のようなものだったのかもしれない。そうでもしないとなにかを引き受けることも、ましてや参加することすらできないという呪いのような感覚、ペインティングがこんなに手垢にまみれているのに、確実に全部自分で描いたのに、わたしと絵の間に風が吹いただけで帯びる公共性で一気に手元から離れていく感覚は、いつもわたしをいっそう悩ませ、壮大な何かへの好奇心を駆り立てる大事な一つの要因だ。[fig.3]

美術という不確定なものの、ぐにゃぐにゃした粘膜が上から幾重にも波打ってつぎつぎ押し寄せて、その間の暗闇に潜り込んでいってしまうような。それがひどく切なくて羨ましくてたまらない。

美術とは一体なんなのだろう。わたしはそのことを人に聞きたい。

2015年からの不詳シリーズを経て、紙のドローイング、今作の陶の作品群にいたるまで、手放しにとは言わなくとも、かれが制作の快楽に注力したようなそぶりを自己に許可するまでに課した相当な時間と負荷、そこから獲得した梅津の豊かな熟成は、わたしたちが年をとることを助けてくれる。

しかし、実際に会場で作品に対峙しないとわからないことがある。うわずるような軽やかな筆触とアロマミストのようなてんてんの集積、作品が手仕事だからこそ出てしまう本音の一部と絵を描くことの喜びは、やはり初期の作品から通底して全てに十分感ずることができる。

また、かれのつつしみぶかい絵肌の肌はこちらに凸さないことで保湿されていて、クライオニクスの低温冷凍装置のように優秀な装置だなとわたしはいつもどきどきする。初期の恥ずかしいドローイングは霊魂を。粘土をつかみ、ぎゅっと握った跡ののこるまま焼かれた陶たちはエネルギー量を補完して。

もっと、ずっと知らない遠くで再開できるように、わたしも準備しようと思う。

 

2章、信楽と相模原


初夏、梅津は信楽に行った。本格的に窯のあるスタジオとアパートを借り、それは単身赴任のようでもあり疎開のようでもあった。当時、神奈川県ではまん延防止等重点措置が取られ、夜八時以降は飲食店の営業禁止、看板の明かりも消灯を徹底していたが、信楽は全くそんな様子はなかった。かれは二十年ほど相模原を拠点に活動しており2013年にはパープルーム予備校という私塾を模した共同体を運営していることから、こんなに長い間この場所を空けることは今までなかった。パープルーム予備校、現にわたしもそれに加担しているひとりであり、相模原に来てからかれこれもう3年半経つ。梅津が信楽に行ってしばらく経つ頃には、相模原の様相も少しずつ移り行くのであった。パープルーム予備校の立ち退きが決まったり、思い出の喫茶店や近所のジョナサンがつぶれたりした。たまに夜中に長電話をした。いつも夜中でもスタジオにいるようで作陶の片手間に双方の近況報告をするのだった。一瞬にして朝になった。かれは制作と並行して信楽の窯業について独自に調査をしているようだった。わたしはその電話の最中、たまにドローイングの傍ら無意識に聞いた情報をメモしたりしていた。メモというより手が勝手に動いたような後で見てもいまいち要領の掴めないものが多いが、少しここで紹介しておきたい。信楽の調査報告といっても実は、たんに牧歌的な窯業や手作りの世界が広がっているだけでなく、ぎらぎらしたアートの世界のかけらも嫌ほど転がっているようであった。


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2021年7月末頃  無意識に書いたメモ


知らない土地でいろんな場所に赴いてそれぞれの店の人たちと関係を築きつつ、信楽の情報を集めたり、車でしか行けない場所に案内してもらったり、さながらRPGゲームのような立ち回りをしている様子であった。六古窯の一つである信楽は、今や量産品やたぬきの置き物のイメージが強く思い起こされがちだが、実は現代アートのプレイヤーも意外と多く散見される。梅津のスタジオは陶芸の森から少し離れたところにある。陶芸の森では海外からの作家のレジデンスも受け入れており、フランスから作陶にきていた湊茉莉さんをパープルームギャラリーにご招待して湊さんの個展を開催するなどそういった繋がりもできた。梅津は友達がいない。しかし、遠い信楽でもいろいろな人と出会い交流を深める様子からは、かれの周りをとりまく人間関係やいびつな絆を垣間見ることができる。


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2021年8月頃  封筒の裏に無意識に書いたメモ


後々読み返すとも、ましてや発表するとも思っていなかったので解説するのが難しいが、左側は信楽の粘土や釉薬を扱っているお店の図である。
精土(図:せいど)は信楽で一番大きい粘土屋で、鉱山を所有しておりオリジナルの粘土を開発している。陶芸の森と精土の共同開発で生まれた「陶芸の森ブレンド」という粘土は大作向けであり梅津の特大の花粉濾し器に使用されている。また同じ敷地内に釉陶(図:ゆうとう)という釉薬屋さんがあり、そこでは釉薬の研究開発をしているそうだ。梅津もオリジナルの釉薬を調合してもらっており梅流紋釉という名前がついている。品質管理がしっかりしており何より信頼感がある。一方、かね利(図:かねり)は2番目に大きい粘土屋で、精土と違ってこちらの粘土は山から切り出したままの良い意味での不純物込みの粘土。オーガニックさが特徴で土の醍醐味を感じられる。梅津はこちらの粘土が好みみたいで二つのお店の粘土を使い分けている。丸二(図:まるに)というお店は和陶芸の歴史のある釉薬を取り揃えている。民芸運動に深く関わっていた河井寬次郎も贔屓にしていたお店だとのこと。釉陶より気難しい釉薬が多い。やはりそんなことを聞いているといつの間にか朝になっていることが多い。わたしは布団にくるまって晴天の窓越しに隣のマンションの照り返しを見ていた。反対に電話越しに作陶する音やスタジオで素早く動く音、ザーザー雨の降る音がした。今朝は半分うとうとしながら時差のあるほど遠い場所だと信楽を思った。土まみれのかれの手を想像し、電話はこちらから切った。


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[fig.1]2階インスタレーションビュー

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Photo by Fuyumi Murata

[fig.2]入り口から入ってすぐ目の前の壁。梅津の裸体とおはようの文字

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Photo by Fuyumi Murata

[fig.3]《霞ヶ浦航空飛行基地》(2006)や《戦闘機》(2009)などのメタルポイント作品

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Photo by Fuyumi Murata


注 : 筆者の意向で造語をそのまま表記しています。


シエニーチュアン (1994–)
愛知県生まれ。23歳当時、梅津に誘われ彼の主催するパープルーム予備校に加入(2018年)。
ポリネーターの会期中である2021年9月29日から10月9日に、パープルームギャラリーとみどり寿司で自身の個展「視ることのアレルギー」を開催。
twitter https://twitter.com/shieneychuan2


レビューとレポート第30号(2021年11月)