脱植民地化の技法(アート):東アジアのポストコロニアルな文脈におけるソーシャリー・エンゲージド・アートの可能性について 第2回 山本浩貴
第1回より続き
ソーシャリー・エンゲージド・アート:社会改良の媒体としてのアート
1990年代前半以降、社会に関与することを選択した世界中の現代アーティストたちの動きが盛んになってきた。彼らは、自らの芸術実践を美術館やギャラリーを越えて拡張し、公共空間へと参入してきた。公共空間の複雑さに介入するために、「社会に関与する」アーティストたちは、しばしば高度に領域横断的なアプローチをとる―これが美術史家のシャノン・ジャクソンが「美的雑種性」と呼ぶ際立った特徴である(Jackson 2011, 14)。その流行を表す用語は驚くほどたくさんある:「ニュー・ジャンル・パブリック・アート」、「カンバセーション・ピース」、「ダイアロジック・エステティクス」、「コラボレーティブ・アート」、あるいは「パーティシペートリー・アート」はその一部にすぎない(Morris and O’Neill 2014, 9–10)。加えて、「ソーシャル・プラクティス」や「ソーシャル・コーオペレーション」といった、もはやアートに関係する語彙を含まない専門用語は、アートと社会の境界を曖昧にしたい、あるいは抹消してしまいたいという欲望のリバイバルの信号となっている。[19]この論文では、私は一貫して、現代アートの社会的実践を指す包括的な用語として「ソーシャリー・エンゲージド・アート」を使用する。
キュレーターのニコラ・ブリオーによって書かれ、元々は1998年にフランス語で出版された『関係性の美学』は、この芸術上のトレンドに無視できない影響を与えた。「リレーショナル・アート」を「人間の相互行為とその社会的文脈を理論的地平とするアート」と定義するなかで、ブリオーはそれをギー・ドゥボールによって理論化された「スペクタクルの社会」に対する芸術的抵抗の一形式として捉えている(Bourriaud 2002 [1998])。[20]パオロ・ヴィルノの要領を得た解釈では、スペクタクルとは、「商品と化した人間のコミュニケーション」 である(Virno 2004, 60)。こう考えたとき、私たちは、なぜブリオーのリレーショナル・アートが、人間の関係性が単なる商品と化してしまう現代社会において、「隣人との可能な関係を作り出す」ことに意義があるのかを正しく理解できる(Bourriaud 2002 [1998], 45)。
2000年以降のソーシャリー・エンゲージド・アートについての議論は、多かれ少なかれ、引き続き『関係性の美学』との関連により練り上げられてきた。それを批判し、問題化した者もいれば、その議論の一つの側面に焦点を絞った者もいる。ここで強調しておきたいのは、近年のソーシャリー・エンゲージド・アートをめぐる論争の中心的なターゲットは、関係性を作ることそれ自体から、アートによって創造される関係性の質や内容、あるいは関係性を構築する過程や手順へと移ってきているため、私の研究は、クレア・ビショップ、グラント・ケスター、あるいはトム・フィンケルパールといった、さまざまな仕方でブリオーの考えの核を発展させてきた論者らの著作により多くを負っているということである。
現代アートのコラボレーション型メソッドの熱心な支持者としてよく知られるグラント・ケスターは、『関係性の美学』で旗振られたインタラクティブな性質を展開させてきた。アートの自律性に問いを投げかけるため、ケスターは、「(静的な)オブジェクトとしてのアート」という伝統的で超越的なコンセプトの外部で活動するアーティストやアート・コレクティブによる作品、プロジェクト、パフォーマンスを論じている(Kester 2011, 14)。『カンバセーション・ピーシーズ』(2004)や『ザ・ワン・アンド・ザ・メニー』(2011)で、彼はコラボレーションがアーティストとコラボレーターの双方にもたらすであろうものについて肯定的に論じている。彼は、「近年のコラボレーティブ・アートの実践の決定的な特性のひとつは、芸術実践としての美的自律性の再思考である」と指摘し、芸術の主権や覇権の再考の必要を繰り返し強調している。彼によれば、アートがいかに外部にいるたくさんのエージェントに反応し、互いに関係し合っているかをより注意深く見ることによって、私たちはアーティストと非アーティストの間の悪名高いヒエラルキーを破壊し、芸術制作の過程において、両者の間に創造的平等を打ち立てることができる。ケスターの見方では、アートにおいてこの民主主義的な過程を実現する一つの方法がコラボレーションである。「うまくいった」コラボレーションは、アートとアーティストに「参加者のユニークな知識と経験が作品の内容と発展にきわめて重要であるような、参加者への互恵的な開放性と参加者との対話」の要素を提供する(Kester 2013, xvii)[21]。
類似の例として、「コーオペラティブ・アートとは、能動的なアーティストから受動的な観客に向けられたものではなく、『共有された行為』を通じて創られる」とフィンケルパールは言う(Finkelpearl 2013, 343)。以下の引用が示すように、フィンケルパールは、新たな、予期しない方向へと芸術作品の最終形態を導きうるような、非―あるいは反―ヒエラルキー的、互恵的な過程を持つアートプロジェクトを高く評価する:「本質的な、互いに称揚できるような何かが、創造的な過程を開き、ローカルな知識や想像力を活性化させることによって形成される(Ibid.)。」まとめると、ケスターとフィンケルパールにとって、彼らの美術理論的なコンテクストにおける「コラボレーション」や「コーオペレーション」は、アーティストひとりでは思いつくことができないであろう、新しい形態のアートを、他者の創造性やイマジネーションの助けを借りて、共同で産出するための一風変わったメソッドなのである。東アジアにおける物議をかもすポストコロニアルな問題に取り組む異なる方向性を切り拓くために、私はオルタナティブな洞察と対話を生みだしうる、このコラボレーション型・協働型のメソッドをアートプロジェクトに取り入れ、固着させる。
一方、美術批評家のクレア・ビショップが2004年の論考「敵対と関係性の美学」のなかで「仮にリレーショナル・アートがもろもろの人間的な関係を産出するのだとして、その次に提起されるべき論理的な疑問は以下のようなものである。すなわち、そこではいかなるタイプの関係性が、誰のために、なぜ産出されるのか」と述べるとき、彼女は典型的なリレーショナル・アートの実践においてたびたび作り出される空間は、その中では人間の関係性が芸術制作のための単なる一構成要素に還元されてしまうような、人々の間の意味のある、生産的な交換の少ない準公共的な空間であることを痛烈に批判している(Bishop 2004, 65)。さらに、ビショップは、「リレーショナル・アート」が一般的に鑑賞者に提示するものは、コンセンサスを基礎として建てられるユートピア的な共同体であると主張する。これにより彼女が問題視しているのは、その共同体が「その実現を妨害ないし阻害する人々の排除の上に成り立っている」という事実である(Ibid., 68)。簡潔に言えば、彼女は「リレーショナルな」実践が作るコミュニティを排他的でエリート主義的であると考えている。それに応じて、彼女は、あるコミュニティ内の意見の相違や対立としての「敵対」を関係性的な実践に導入することを提案し、「この関係性としての敵対は、社会的調和をその基礎とするのではなく、この調和らしきものを維持する際に抑圧されたものを露呈させることをその基礎とする」と主張する(Ibid., 79)。[22]要約すると、「敵対と関係性の美学」の要旨は、敵対は、関係性の美学の双方向的な性質と混ざり合い、うまく絡まり合ったとき、ともすると隠蔽されたままの社会のなかの問題を、見えるように、触知できるようにすることができるということである。
ビショップは、アートの枠組みにおける敵対概念を拡張した『人工地獄』(2012)の中で、多くの人々の関与を伴う「政治化されたワーキング・プロセス」としての「パーティシペートリー・アート」について論じている(Bishop 2012, 2)。コラボレーティブ・アートやパーティシペートリー・アートの政治的な可能性を考察する中で、彼女はアート界におけるその新しいトレンドのいくつかの問題点を提起している。第一に、ビショップは、コラボレーション型・参加型の実践が「そのいずれもが重要な抵抗の『芸術的』ジェスチャーとして認識され」、それゆえに―理論上は―その分野では失敗作や質の低い作品やプロジェクトが存在しえないことを問題視している(Ibid., 13)。これに対して、彼女はコラボレーション型・参加型の芸術実践を批判的に分析し、比較することが必要であると主張する。第二に、彼女はコラボレーティブ・アートやパーティシペートリー・アートがしばしばその過程におけるコミュニケーションやインタラクションを重視しすぎるため、作品やプロジェクトのビジュアル的な側面を軽視しがちであることを指摘する:「今日のパーティシペートリー・アートはしばしばはっきりとしたイメージやコンセプト、あるいはオブジェクトよりもプロセスを強調することに骨を折っている。それは目に見えないものに価値を置く傾向がある。」(Ibid., 6)
これらの問題に対するビショップの対抗策は、敵対の概念をコラボレーティブ・アートやパーティシペートリー・アートについての彼女の議論に導入することであった。アートと社会的なものの間には常に、すでに根絶不可能な緊張関係がある。その緊張関係を「敵対」として捉えることにより、『人工地獄』では、ビショップはコラボレーティブ・パーティシペートリー・アートが独自の多様な方法で「芸術的な批評と社会的な批評を緊張関係のうちに保つ」ことができると主張する(Ibid., 278)。この敵対的な緊張関係の中にこそ、ビショップは社会改良のためのアートの特異な潜在可能性を見ているのである。私はアートにおける敵対が、社会変革や政治改良をひきおこす可能性を備えているということに相当程度同意するが、『人工地獄』で論じられているサンティアゴ・シエラ、トーマス・ヒッチュホーン、アルテュール・ジミジェウスキや他の議論を巻き起こすアーティストの過度に挑発的で、時に不快感をひきおこす作品やプロジェクトを見ると、それは他者を傷つけたり、偏見を助長したりする可能性のある諸刃の剣であるということも同様に確かである。[23]私のアートプロジェクトが扱うイシューが、政治的に論争を生むデリケートなものであることを考慮すると、この敵対的なバランスをいかに取り扱うかは、このリサーチにおいて、とりわけ中心的で避けられない問いである。
ある程度は、私は「ビジュアル・アーツにおけるソーシャル・エンゲージメントについての論争は、2000年代半ばまで、敵対とコラボレーションに二極化していたように思われる」という、広まっている意見に同意する(Doherty ed. 2015, 14)。しかし、私たちが見てきたように、敵対もコラボレーションもアーティストがよりよい方法で社会的に関与するために不可欠である。それゆえに、ソーシャリー・エンゲージド・アートの実践を熟慮する上で、敵対の要素とコラボレーションの要素をいっしょに考慮にいれることが重要である。
この論文の語彙では、「ソーシャリー・エンゲージド・アート」は、コラボレーション型・協働型・参加型・他の政治社会的なアートの実践を含む網羅的な用語として用いられる。実のところ、ソーシャリー・エンゲージド・アートの定義はアーティスト、キュレーター、研究者のあいだでばらばらである。例えば、メキシコ人アーティストのパブロ・エルゲラは「ソーシャリー・エンゲージド・アートを特徴づけているのは、社会的相互行為なしに成立しないということである」と述べる(Helguera 2011, 2)。他方で、スウェーデン人キュレーターのマリア・リンドは、それを「その地平が社会的・政治的変革に向けられている」アートと定義する(Lind 2012, 49)。エルゲラのものは「過程」に強調点をおき、リンドは「結果」におくことで、これらの定義は、ソーシャリー・エンゲージド・アートにおける「過程」と「結果」の二つの根本的重要性を暗示している。すなわち、過程に基礎づけられながらも同時に明確な目標設定をすることで、ソーシャリー・エンゲージド・アートの実践は、コラボレーション相手との、あるいは参加者間(アーティスト含む)の交換や交渉の「過程」を建設的な社会改革という「結果」へと変換しようとする。社会変革の動力を生み出すために「過程」と「結果」をつなぐ、このソーシャリー・エンゲージド・アートの変容的な性質は、私のアートプロジェクトの目的にとって不可欠である。
日本においても、ここ10年かそこらの間にソーシャリー・エンゲージド・アートは目立った流れとなってきた(Favell 2017)。田中功起が代表を務めた、2013年のヴェネチア・ビエンナーレ日本館は、日本の現代アートの社会的転回を示すよい例である(Favell 2011, 14)。その気鋭のアーティストは、2011年の東日本大震災に関する問題にコラボレーションやパーティシペーションのメソッドを通して取り組むなかで、ある共通の目的を持った共同体の新しいかたちを設計するために、「何人かの美容師が同時にモデルの髪を切る」や「5人のピアニストが一緒にピアノを弾く」といった遊び心のある、しかしチャレンジングな課題をコラボレーション相手に与えた。[24] 田中は、それ以降、アートを通していかに「共同体」概念を再考するかに関心をもち、参加者を刺激して新しく凝集させるような方法を探す実験的なプロジェクトを行ってきた(田中 2014, 40–43)。日本の現代アーティストたちは、田中と同様に、1990年代以降、作品やプロジェクトのなかで明示的・暗示的にさまざまな政治・文化的なイシューに取り組んできたが、日本のアート界におけるこの新たなトレンドは、ほとんど等閑視され、未研究のままである。同様に、一例を挙げれば、宋冬(中国)、キムスージャ(韓国)、陳界仁(台湾)といった、その幅広い実践が社会的・政治的に方向づけられている東アジアの現代アーティストや、文化生産者の高まる可視性と評価にもかかわらず、ソーシャリー・エンゲージド・アーティストを検討し分析する調査は、東アジアにおいてほとんどなされてこなかった。[25]
東アジアのソーシャリー・エンゲージド・アートに関する研究が不足している決定的な根本理由の一つは、おそらく、現代アート界における西洋中心主義の鳴り響く勝利である。タンザニア生まれのアーティスト・エヴァリン・ニコデムスの表現を借りれば、現在の美術史と美術理論における西洋中心主義は「欧米のモダニズムの時間軸を普遍的であると言い張り」、ゆえに世界の他の場所における複数の近代を無視してきた(Nicodemus 1994, 95)。1990年以降の東アジアのソーシャリー・エンゲージド・アートがヨーロッパやアメリカの実践と理論から本質的に影響され、形成されてきたことに(ほとんど)疑いはないが、それは、その地域に固有の社会文化的・地理歴史的な特徴も有している。そこで私は、その地域のポストコロニアルな文脈および地政学的なトランスナショナルな歴史記述と切り離せない結びつきを持つ、(主に日本を中心に)東アジアのソーシャリー・エンゲージド・アートの一つのありうるサイトスペシフィックな読解を提示するつもりである。
続く
註
[19]アートと社会の境界線を消去することによって、日常生活のなかに入り込みたいというアーティストの熱望は新しいものではない。例えば、アラン・カプローは1965年の時点で、すでに「芸術と生活の境界線はできるだけ流動的に、おそらくは曖昧にされるべきである」と言っていた(Kaprow 1965, 188– 189)。
[20]「スペクタクルの社会」については、Debord 1994 [1967]を見よ。
[21]私はここでコラボレーションはいつもポジティブな結果をもたらすわけではなく、それゆえに時として「不首尾に終わる」コラボレーションがあることをほのめかしている。コラボレーション型アートに対するケスターのいくらか楽観的すぎる見方は、アートプロジェクトにおけるコラボレーションの潜在的な危険性に関する批判的な視座を欠いているように思われる。
[22]「敵対と関係性の美学」において、ビショップは、シャンタル・ムフによって理論化された、政治哲学における「ラディカル・デモクラシー」を土台としてその議論を構成している。しかし、ビショップのムフの美術理論への応用には、重大な瑕疵がある。ムフは、「敵対と関係性の美学」以前に出版された、2000年の著作『民主主義の逆説』のなかで、「敵対性」と「闘争性」を識別可能なかたちで区別し、前者に「唾棄すべき敵のあいだの争い」、後者に「その異なり、食い違う考えがみな尊重されるような対抗者のあいだの争い」という説明をそれぞれ割り当てている(Mouffe 2005 [2000], 102–103)。ムフにとって、「民主主義的政治の至高の目的」は、不和がどのようにも根絶不可能である敵対性の状態を、食い違う解釈が民主主義的価値とより親和的になるような闘争性のそれへと変換することである。ビショップはこの重要な差異化を彼女の議論のなかで考慮していない。それゆえに、少なくとも2004年の論考では、ビショップは、アートが「関係性としての敵対」によって明らかにされた不和を、多様性の文脈のなかでどのように調停可能なものにすることができるかを考察すべき思考をさらに推し進めることができなかった。
[23]ここで私は、例えば、わずかな報酬のためにヘロイン中毒の売春婦に屈辱的な行為をさせるシエラのパフォーマンス作品「4人の人に彫られた160センチの線」(2000)や、アーティストが第二次大戦中に収容所の捕虜であった老人男性を説得して彼の腕に彫られた囚人番号をもう一度刺青させる、ジミジェウスキの映像作品「80064」(2004)を想定している。
2011年3月11日に発生した、東北大震災としても知られる東日本大震災は、[24]日本に住む人々にとてつもない衝撃をあたえ、科学的に文明化された社会に対する根深い不信を引き起こした。2015年の警察庁発表によると、死者数は15,000人を超えた。同じ日に地震による津波の影響で起きた原子力発電所の恐ろしい事故である、福島第一原発事故により、6つの原子炉のうち3つがメルトダウンを起こした。結果として、それらの原子炉からは放射性物質が放出され、歴史上最大の原発事故の一つとなった。その災害は、アーティストに大きな影響を及ぼし、社会的転回の重要な動力として機能した。
[25]ここ数年のあいだ、主に若い文化研究者によって著された、東アジアの社会的実践に関する学術的研究書の数が増えている。例えば、Tung 2013; Pan 2015; Wang 2016などが挙げられる。
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この論考は、筆者が2018年にロンドン芸術大学に提出した博士論文の序論と結論を日本語訳し、若干の加筆・修正を加えたものである。この論考では、近年、日本でも話題に上がることの多い「ソーシャリー・エンゲージド・アート」(現代アートの政治・社会的実践)が東アジアの「ポストコロニアルな」(植民地支配が残した)問題に取り組む上で、どのような可能性を有しているかを具体的な事例を交えながら検討している。なお、筆者は本博士論文をもとにして、これまで2本の英語論考を発表している。
“Decolonial Possibilities of Transnationalism in Contemporary Zainichi Korean Art” (2019)
http://situations.yonsei.ac.kr/product/data/item/1553949880/detail/0bdb035e13.pdf
“Socially engaged art in postcolonial Japan: an alternative view of contemporary Japanese art” (2020)
https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/21500894.2020.1752794
なお、引用に関して、邦訳文献があるものについては主にそれらを用いたが、論旨の流れに合わせて、一部改変した箇所もある。加えて、引用・参考文献のリストは、第3回分の最後にまとめて掲載する。
第1回→ https://note.com/misonikomi_oden/n/n4e847538e7aa
[編集註]
上記英文博士論文序論の日本語訳を3回に分けて連載します。今回はその2回目です。第3回で論文全体のPDFも掲載予定です。第1回より続きの文章のため、註の番号が19番からはじまっています。
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山本浩貴(やまもとひろき)
文化研究者、アーティスト。1986年千葉県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。2013~2018年、ロンドン芸術大学トランスナショナルアート研究センター博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラルフェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、2021年より金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社 、2019年)、『トランスナショナルなアジアにおけるメディアと文化 発散と収束』(ラトガース大学出版、2020年)、『レイシズムを考える』(共和国、2021年)など。
トップ画像 山本浩貴《他者の表象》(2015)
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