見出し画像

『EBUNE 佐賀・有田漂着』レポート  じょいとも

有田は九州北西部に位置し、北に国見山、南に金山岳をはじめとする山々に挟まれた谷間にある町です。有田焼で知られており、そのはじまりは16世紀、豊臣秀吉の時代に遡ります。当時、陶磁器は輸入品に頼っていました。それは国内では生産に適した土が見つからなかったからです。そこで朝鮮出兵のおり、領主・鍋島直茂が陶工たちを朝鮮から肥前に連れ帰ります。望んで日本にきたわけではなく、拉致されたのでしょう。朝鮮人陶工たちは肥前の山々を調査し、陶磁器に適した土を探しました。そこで陶工の一人であった李参平は、有田の地を見出します。こうして有田焼が誕生し、有田は江戸時代を通じて陶磁器の産地として発展しました。[1]


陶山神社

5月15日、『EBUNE 佐賀・有田漂着』の11名の参加者は、有田町の東にある陶山神社に集まりました。先の朝鮮人陶工、李参平を祀る神社です。手前の通りには店や民家が軒を連ねますが、人通りは少なく静かです[2]。空は厚い雲で覆われ、時折に雨が降っていました。鳥居を抜けて境内に入ると、駐車場と社務所に挟まれて参道が延び、小高い丘にある拝殿へと続いています。


画像2


参加者には事前にパンフレット[3]が郵送されていました。役場に並ぶ観光パンフレットのような凝った作りです。地図をふと見ると、赤いマーカーの手書きでしるしが示され「2021.5.15/16:30」と書かれています。これが集合場所と時間に違いありません。また、パンフレットとともに薄い陶片が同封されていました。


画像2

画像3


定刻になると、KOURYOUは巫女姿に似た白いシャツに赤く大きなスカート姿で参道に現れました。手にはジュラルミンケースを持っています。『EBUNE 佐賀・有田漂着』の始まりです。

早速KOURYOUは挨拶し、「限定グッズです」と言いながら参加者ひとりひとりに小袋を渡していきました。
小袋の中には、ビー玉ほどの大きさの白い球体が二つ。それぞれに紐が結ばれていました。同封のしおりには「EBUNE 佐賀・有田限定グッズ!! 四式陶製手榴弾根付け」とあります。


画像4


陶製手榴弾とは何でしょうか。
太平洋戦争の頃の話です。戦争が長引き金属が不足するにつれ、その代用品として陶器に注目が集まりました。そこで有田においてもさまざまな陶製品の発案が試みられます。陶製水筒、陶製缶詰、陶製郵便箱、陶製硬貨、等々。そのなかで陶製手榴弾が作られました。陶製手榴弾は球形中空の陶器に爆薬、雷管、導火線等を封入したもので、マッチ組成の擦掻部から着火します。[4]


画像5


KOURYOUから受け取ったのは、その陶製手榴弾の小さな模型だったのです。その不穏な「限定グッズ」を参加者に渡し終えたKOURYOUは、有田の歴史や陶山神社の謂れを簡単に紹介しました。
話を終えると、KOURYOUと参加者たちは陶山神社の参道の石段を登りました。その先には陶製の鳥居や狛犬があります。奥には拝殿が見えます。


画像7

画像7


KOURYOUは拝殿の前に立ち、有田の町に多く設置されている陶製の観光看板やこの鳥居などは退色などの劣化に強く、同時期に石で作られた建造物と並ぶと時間感覚が狂う事を話し、手にしていたジュラルミンケースを地面に置きました。ケースの表面には、丸い半立体の文様が埋め込まれていました。
KOURYOUは参加者に、事前に送った破片を出すように指示します。11人の参加者たちは、それぞれ懐から石や陶でできた破片を取り出しました。それぞれ違う形状のものです。ジュラルミンケースの表面の文様と破片は、ケースを開くためのパズルだったのです。
参加者は苦心しながらもパズルを完成させます。KOURYOUはその締めとして鉄の文様にプラグを突き刺し、ケースを開きました。


画像8



ケースの中には、参加費を入れる空間、次の会場へ向かうための手紙、消毒液、サイコロがありました。11人の参加者は、サイコロが振られた順番で参加費を納め、手紙を受け取り、手指の消毒を行います。


画像9


手紙を開くと次のようにあります。


パンフ1_2


『EBUNE 佐賀・有田漂着』第一の密会、陶山神社はこれで終わりです。
参加者たちは解散し、次の集合場所へ向かいました。


金刀比羅神社

陶山神社から東に15分ほど歩き、JR佐世保線上有田駅から下り列車に乗車。有田駅で松浦鉄道に乗り換え、3駅目の蔵宿駅で降車します。
八坂神社は駅のすぐそばにありました。小高い丘の上に清潔な拝殿が見えます。
参道から左手を見ると、山の中に進む坂道が見えます。その先に、第二の密会の場となる金刀比羅神社があるのです。参加者たちは坂道を登りました。道にははじめコンクリート舗装がされていましたが、間も無く自然石の石段となり、続いて踏み固めただけの泥道となりました。雨上がりで地面は濡れ、枯葉が積もっています。


画像11


道の脇にはときおり小さな石仏が並んでいました。その姿は薬師如来、釈迦如来と多様ですが、地蔵を思わせる赤い前掛けを一様につけています。


画像12


10分ほど山道を歩くと頂上につきます。脇を見下ろすと有田の町が見えました。頂上には5メートル四方ほどの小さな平地があり、その中央に金比羅神社はありました。神社とはいっても、墓石ほどの社と石灯籠が並ぶだけの簡素なものでした。


画像13


定刻になると、山道からKOURYOUが現れました。陶山神社と同様、白いシャツと赤いスカート姿です。KOURYOUは、この金刀比羅神社が高麗人たちの密会場所であったようである、と述べました。高麗とは朝鮮半島の昔の国名で、朝鮮人陶工たちもルーツである高麗の祭事の復活を望んでいたそうです。高麗人の祭事や密会の内容がどのようなものであったかは、史料としてほとんど残されていないとのことでした。

また、KOURYOUの服装は生活韓服であり、その赤いスカートは山道に並ぶ石仏群の赤い前掛けと同色であることを明かしました。

ここで私は思い出します。第一の密会の場である陶山神社の近くに、李参平の陶像がありました。その仙人めいた風貌の李参平像は、白く輝く衣服を身につけていました。


画像14


KOURYOUの赤いスカートが石仏の前掛けであるとすれば、白いシャツはその陶神の衣服に違いありません。そして金刀比羅神社に集まった我々も、高麗人たちの謎めいた密会の参加者に他ならないのです。
こうして、石仏であり陶神でもあるKOURYOUは、参加者たちに小箱を渡し始めます。


「あなたの大事なときに爆発させてください」


画像15


そう書かれた小箱を開くと、そこには陶製手榴弾がありました。陶山神社で渡された小さな模型ではありません。それは実物大の模型、いやむしろ、爆薬を詰めていないだけの、本物の陶製手榴弾なのです。


画像16


『EBUNE 佐賀・有田漂着』第二の密会、金刀比羅神社はこれで終わりです。KOURYOUは参加者を連れ、最後の会場に向かいました。


Genius Loci

山を下りて15分ほど西に歩いた先に、最後の会場であるGenius Loci(ゲニウス・ロキ)はあります。Genius Lociはアーティスト・岩永忠すけが支配人を務めるホテルと美術館、ショップを兼ねた複合施設です。そこに向かう途中、KOURYOUは道端の地蔵や社に触れながら、有田の町におきた事件や謎について語りました。朝鮮人陶工の祭り、江戸期の大火事、明治の廃仏毀釈。それはまさしく、有田に潜む地霊<ゲニウス・ロキ>を呼び覚ましながらの道中でありました。


画像17


間も無くしてGenius Lociに到着しました。倉庫のような大きな建物です。一部は牛舎を改装して建てられたとのことでした。このGenius Lociに、EBUNEが漂着しているのです。夕刻を過ぎた曇天の中、あたりは暗くなり始めていました。


画像18

画像19


Genius Loci内ショップ「EMERALD」の中に入ると、三角形の構造物が二つ見えました。その間には、白い丸、歪んだ棒、鉄の錐形、透明なキューブ、木の小箱、薄い三角形、コップ、葉、壺、透明なピラミッド、木片、赤い網形、割れた壺、白い棒、毛髪、そのほか形容しがたい様々なものが置かれています。
Genius Lociに陳列されている様々なオブジェと混然一体になっており、どこからどこまでがEBUNEであるのか判然としません。
半ば散らかり半ば整列され、彫刻とも、オブジェとも、インスタレーションとも言い難い。未だ不定形の、EBUNEの寝姿とのことでした。


画像20

画像21


最後にKOURYOUは参加者を集め、突如として、EBUNEの中に置かれた赤い陶製手榴弾を手にし、床に投げつけました。手榴弾は粉々に割れ、四散しました。


「あなたの大事なときに爆発させてください」


陶製手榴弾はこうして「爆発」したのです。


画像22


こうして『EBUNE 佐賀・有田漂着』は幕を下ろしました。


その後、希望者はGenius Loci内のレストラン「星 Star Spice Curry」で食事をし、予約した参加者は「Ammonite Hotel(アンモナイトホテル)」に宿泊。EBUNEと共に眠りにつきました。


EBUNEの漂流はこれで終わりではありません。『EBUNE 佐賀・有田漂着』は、瀬戸内国際芸術祭2019において女木島で展示された『家船』の前日譚です。有田を出発したEBUNEは、瀬戸内海の女木島に漂着しました。そしてはまた、東に向かって漂流を始めたそうです。遠くない日、EBUNEはまたどこかの町に漂着するのです。


[1]有田歴史民俗資料館の展示資料を参照。
[2]コロナ禍によるものと考えられます。普段は観光地であり、メインの通りでは盛大な陶器市が開催されるそうです。
[3]漂着前の5月6日~9日に、EBUNEウェブサイトにて、三毛あんりによるEBUNE佐賀・有田漂着の物語が漫画連載されていました。郵送されていたパンフレットには物語に登場する場所が三毛あんりの作品と共に紹介されています。
https://ebune.net/replaysaga1/
[4] [1]と同様。


画像 撮影:じょいとも、一部EBUNEより提供

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


EBUNE 佐賀・有田漂着
2021年5月15日
屋外公演、展示:Genius Loci ショップ「EMERALD」
https://ebune.net/info-exhibit/


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

じょいとも
キュレーター。主な展示企画に2019「ループアニメーションの世界」、2016「バラックアウト」(共同企画)


レビューとレポート第25号(2021年6月)