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山形美術館常設展示 ―4つの常設コレクション 志田康宏

1.山形県の中心的美術館

よく誤解されることだが、山形美術館は県立美術館ではない。1964年、当時の山形新聞・山形放送社長であった服部敬雄氏が中心となり、地元経済界、山形県、山形市が協力して財団法人を設立し開館した民営の美術館である。1968年には別館を開設、その後開館20周年記念事業として新館を建設することになり、県内鶴岡市田麦俣に残る「多層民家」をイメージした3階建ての新館が1985年にオープンした。以来、日本・東洋美術および郷土関係美術にフランス美術を加えた3つの柱を中心とした作品収集にあたり、充実した収蔵品と常設展示を誇る。また、全国を巡る人気の巡回展など、山形県内で大規模な美術展を開催する中心的な施設として県民に広く親しまれている。2024年には開館60周年を迎える歴史ある館である。

山形美術館には、4つの常設コレクションがある。それぞれ美術館の長い歴史の中で構成されてきた意義深いコレクションである。館公式ウェブサイトの常設展示のページではそれぞれのコレクションが丁寧に解説されており、他の館でもなかなか見られないほど充実した内容となっている。今回は、地域の中心的展示施設としての役割を担いながら充実した常設展示も持つ館として、山形美術館が誇る4つの常設コレクションに焦点を当てたい。


2-1.長谷川コレクション

1968年、別館の竣工に合わせ、山形銀行の長谷川吉郎元会長より、重要文化財の与謝蕪村《奥の細道図屏風》を含む、(山)長谷川家が収集してきた美術品163点が寄贈された。また1995年には、現在の当主長谷川吉茂氏より川合玉堂《細雨》など7点の県指定有形文化財を含む48点の寄贈を受けた。1994年には、殖産銀行会長長谷川吉内氏の遺志を受けたご子息の長谷川憲治氏より(谷)長谷川家の美術品81点が贈られた。2つの長谷川家からなるコレクションは、江戸時代の狩野派、文人画、円山四条派を系統的にたどることのできる内容となっている。

与謝蕪村《奥の細道図屏風》は冒頭の「月日は百代の過客にして……」で有名な『奥の細道』全文がしたためられ、9図の挿画が描き込まれた蕪村64歳の作。国の重要文化財に指定されている。


与謝蕪村《奥の細道図屏風》1779年 (山)長谷川コレクション


横山華山《紅花屏風》は、江戸時代に「最上紅花」の名で知られた山形の特産品である紅花の栽培から収穫、紅餅に加工する作業や上方へ運び取引する様子を描いた「耕作図」である。


横山華山《紅花屏風》右隻:1823年  (山)長谷川コレクション
横山華山《紅花屏風》左隻:1825年(画像下) (山)長谷川コレクション


2-2.新海竹太郎・新海竹蔵の彫刻

新海竹太郎とその甥・新海竹蔵は、明治~昭和時代に活躍した山形市出身の彫刻家である。竹太郎は近代彫刻の先駆者のひとりとして文展・帝展で活躍し、帝室技芸員、帝国美術院会員となった。皇居・北の丸公園内にある北白川宮能久親王像は竹太郎の作品である。竹太郎の甥の竹蔵も、彫刻家として日本美術院同人のちに国画会会員として活動し、清新な作風を展開した。なお竹太郎の息子・覚雄も洋画家として活躍した芸術家である。山形美術館では、竹太郎・竹蔵の作品を郷土を代表する作家として収集し、充実したコレクションを持ち、1907年の第1回文展に審査員として出品し竹太郎の代表作となった《ゆあみ》(山形美術館ではブロンズを所蔵。東京国立近代美術館が所蔵する石膏原型は重要文化財。)をはじめ両者の足跡が概観できる。


新海竹太郎《ゆあみ》1907年


2-3.服部コレクション

1985年の新館開館を機に、20世紀フランス絵画の系統的収集と常設展示の方針を打ち出し、ジョルジュ・ルオー、パブロ・ピカソ、マルク・シャガールらの作品を購入した。さらに、当時パリ画壇で活躍していた現代作家50名の選定を故ピエール・マザール(ル・フィガロ誌美術記者)に依頼し、各作家1点ずつ作品が収蔵された。選ばれた作家のなかにはモーリス・ブリアンション、ポール・アイズピリ、ベルナール・ビュッフェなど日本でも親しまれている作家が含まれており、具象を中心とした戦後のパリ画壇を概観することができる。美術館の創設者であり1991年に没した理事長兼館長・服部敬雄氏の業績を称え、これらのコレクションからフランス絵画60点とロダン、ブールデル、マイヨールの彫刻4点を「服部コレクション」と名づけ、1階ロビーを「巨匠の広場」として一部作品を展示している。

エコール・ド・パリで活躍した女性画家マリー・ローランサンの《犬を抱く少女》は、優雅で官能的でありながらどこか憂愁を帯びた作家の特徴的な作風を示す1枚である。


マリー・ローランサン《犬を抱く少女》1921年 服部コレクション


2-4.吉野石膏コレクション

吉野石膏株式会社(本社:東京・丸の内)は、山形県旧吉野村(現・南陽市)にあった吉野鉱山で石膏原石の採掘を開始したことから社名がつけられた大手住宅建材メーカーである。1991年、同社が収集してきた印象派を中心とするフランス近代絵画が山形美術館に寄託された。その後も追加寄託が続き、ジャン=フランソワ・ミレー、エドガー・ドガ、ポール・セザンヌ、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワールなど、バルビゾン派、印象派、キュビスム、抽象絵画、エコール・ド・パリの作家による国内有数の良質な作品群を構成している。また、同コレクションの日本画コレクションの一部は本連載でも取り上げた天童市美術館に寄託され展示活用されている。2008年には吉野石膏美術振興財団が設立(2011年公益財団法人に移行)され、現在は同社および財団から百数十点のフランス近代絵画が寄託され、一部が常設展示として公開されている。

人気のクロード・モネ《睡蓮》は、穏やかな水面とそこに映る木立と曇り空、白・黄・赤に咲く睡蓮と、連作の特徴をよく示す一品で、展示室の中心に展示されている。


クロード・モネ《睡蓮》1906年 吉野石膏コレクション


3.展示室の変更について

山形美術館の持つ4つのコレクションは長らく別館などを使って展示されていたため、従来の展示場所になじみのある人も多いであろうが、2020年頃を機に展示場所に変更が加えられた。別館1階で展示されていた長谷川コレクションと同2階で展示されていた新海彫刻コレクションは、本館1階第1展示室に移動した。それにより2階第3展示室から通路で続いていた別館は展示室としての使用を終了した。また2階奥の第4展示室に展示されていた吉野石膏コレクションは本館1階第2展示室に移動した。これにより、主に企画展会場として使用されていた本館1階でコレクションの常設展示が展開されることとなり、企画展や特別展は主に本館2階第3および第4展示室で展開されることになった。1階ロビーは従来通り服部コレクションの一部作品の展示が続けられている。また2階の西側には彫刻作品の常設展示があり、佐藤忠良《帽子・冬》など名品の展示が続いている。


佐藤忠良《帽子・冬》1979年


山形美術館のコレクションは4つのコレクションだけではなく、美術館が主体となって集めたコレクションももちろん存在し、小松均や椿貞雄、菅野矢一など郷里ゆかりの作家を含む日本・海外美術の良質な作品群を所有しており、所蔵品展などの際に活用されている。また高橋由一《鮭図》の寄託も受けているなど、4つのコレクションに加えさらに充実したコレクションを誇っている。


高橋由一《鮭図》1878年頃

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4.コレクションの意義

県立美術館でなくとも、それに匹敵する規模と歴史、またそれ相応の役割を担ってきた山形美術館が質・量ともに充実したコレクションを持ち、それらが常設展示でいつでも鑑賞できる環境を整えていることは、県民のみならず日本全体にとっても大いなる財産であり功績であるといえる。地方館が共通して持つ「これだけの常設展示をアピールできる発信力がもっとあれば」という悩みにも共感するが、作品を保管し後世に伝えるというミュージアムの機能という観点から言えば、コレクションを持っているということ自体が基本的でありながら大事なことである。そしてそれらが常設展示されているために、いつ訪れてもこれだけの上質なコレクションに接することができる館であることは、広い展示室を持つ館であることが活かされたとても重要で意義深い美術館活動であるといえよう。


第2展示室 吉野石膏コレクション展示風景


トップ画像:山形美術館外観
画像提供:山形美術館

※長谷川コレクション、服部コレクション、吉野石膏コレクションの展示作品は、テーマにより変更されます。山形美術館ホームページなどでご確認ください。

常設展示担当学芸員:岡部信幸、白幡菜穂子、黒澤匠




山形美術館
WEB http://www.yamagata-art-museum.or.jp/




志田康宏(栃木県立美術館学芸員)
1986年生まれ。栃木県立美術館学芸員。専門は日本近現代美術史。主な企画展覧会に「展示室展」(KOGANEI ART SPOT シャトー2F、2014)、「額装の日本画」、「まなざしの洋画史 近代ヨーロッパから現代日本まで 茨城県近代美術館・栃木県立美術館所蔵品による」、「菊川京三の仕事―『國華』に綴られた日本美術史」(栃木県立美術館)など。artscapeで「コレクション」を考えるを連載中。




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レビューとレポート第38号(2022年7月)