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常設展レビュー番外編3 新しいミュージアムのあり方の提示と実践―慶應義塾ミュージアム・コモンズ『交景:クロス・スケープ』― 志田康宏

東京都心のビル街の中で堂々たる威容を誇る慶応義塾大学三田キャンパス東門からビルを2つ挟んだ南側に新たなビルができた。慶應義塾ミュージアム・コモンズ(略称:KeMCo)である。2021年4月、慶應義塾の160年を超える歴史の中で集積してきたさまざまな文化財や学術資料を収蔵・展示するとともに、それらを活用した教育・研究活動を行う拠点として開館したこのミュージアムは、慶應の新たな文化発信交流拠点としての役割を期待される最新の施設である。4月19日~6月18日、グランド・オープン記念企画展『交景:クロス・スケープ』の開幕とともにお披露目となった。
特徴的な経緯で開館したミュージアムであるため、その展示や施設のあり方を探りたく取材した。


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慶應義塾ミュージアム・コモンズ

エントランスをくぐり、階段を上って展示室に向かうが、途中の踊り場で振り返った先にいかにもありがたそうな仏像が1体展示されている。また収蔵庫の前室(荷解室)がガラス張りとなって透けて見えているなど、かなり変わった構造の建物であることが見て取れた。同館専任講師本間友氏にお話を伺ったところ、学内外に開かれた施設であることがコンセプトであるとともに、学生の実習などで使うことも想定されている施設であることから、ミュージアムの構造として欠かせない収蔵庫とその実際的な作業場所である荷解室を可視化することで、バックヤードにおける「もの」と「ひと」の動きを可視化する実践になるという。「オープン・デポ」と名付けられたこの前室は、施設の理念を端的に体現する空間であると言えよう。


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 <第一景>文字景会場風景


展覧会は3階に2室ある展示室と、8階・9階の2エリアに分かれている。
3階は「<第一景>文字景 —— センチュリー赤尾コレクションの名品にみる文(ふみ)と象(かたち)」の会場である。
センチュリー赤尾コレクションとは、出版大手・旺文社の創業者である赤尾好夫氏が築いた古典籍や美術・工芸作品のコレクションである。1979年、言語及び言語に係わる文化の理解と普及を目的としてセンチュリー文化財団が設立され、1991年から2020年まで都内でセンチュリーミュージアムとして公開されていた。2018年、すでに寄贈されていた資料に加え、財団からの申し出により慶應に2,325件の美術資料が新たに寄贈されることになり、それらを一括して収蔵し展示するための施設として建設されたのがミュージアム・コモンズである。
ルーム1では「i 承ける―漢字の伝来と展開」また「ⅱ つなぐ―ひらがなの文化」として、古代中国や平安時代の日本の貴重な文化財が展開される。漢や唐の時代の古鏡類や近衛信尹による賛が楽しい三十六歌仙図屏風もさることながら、藤原道長が自ら書写し、弥勒菩薩の現れるという56億7千万年後にも残存しているようにと吉野の山奥に埋納した《紺紙金字法華経断簡(金峯山埋納経)》や、平安時代の仮名切を中心に貼り込んだ名品手鑑である《武蔵野》、伝藤原公任筆《石山切(伊勢集)》など、国宝や重要文化財に指定されていてもまったく不思議ではない貴重な文化財がずらりと並んでいる。
これらはセンチュリー赤尾コレクションの中でも漢字に注目したラインナップで、中国・日本の歴史の中で漢字がどのように受容され活用されてきたかを示す重要な文化財の数々である。
ルーム2は「物語る―テキストとイメージ」また「認める―文房具」として、源氏物語や平家物語、また文房具に注目したコレクション展示が展開される。
目を引くのは江戸時代初期の『源氏物語』豪華揃本である。54帖の揃いの写本が梨地に蒔絵の豪華な黒漆箪笥に収められた豪奢な逸品である。これは江戸時代の大名家や公家などで嫁入り道具に用いられた豪華仕立ての一群の書物であるそう。また、『源氏物語』最古写クラスの写本の一部である伝藤原俊成筆「宿木」断簡など貴重な文化財が多数展示されている。なおこれらの作品は三田メディアセンター(慶應義塾図書館)の所蔵品である。センチュリー赤尾コレクションが慶應に寄贈された背景には、これら日本文学史研究における貴重な写本が多数収蔵されており、一流の研究活動が行われてきた実績もあるという。
また、伝俵屋宗達《源氏物語橋姫図》、伝岩佐又兵衛《朧月夜内侍図》など、美術史的にも貴重な作品が含まれており、とても貴重な展示内容となっている。


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 カンファレンス・ルーム展示風景


8階のクリエイション・スタジオKeMCo Studl/Oおよび9階のカンファレンス・ルームは「<第二景>集景 —— 集う景色:慶應義塾所蔵文化財より」の会場となっている。塾内のあちこちから一時的に集められた近現代の美術作品で構成された空間で、慶應の歴史の幅と深さを示す展示内容である。
8階のスタジオでは、大山エンリコイサムによる作品が円柱の壁画とカーテンへの転写プリントで描かれている。大山は気鋭の若手アーティストとして世界的に活躍しているが、彼は慶應に学んだ卒業生でもある。
9階のカンファレンス・ルームには多数の美術作品が並んでいるが、美術館などのコレクションとは違い、これらは160年を超える教育活動における様々な人々の交流の中で集まってきた慶應の足跡そのものであると言える。各人の特徴的な作風がよく表れている作品が展示されている小山敬三・駒井哲郎・飯田善國・千住博らの美術作家は学生として慶應に在籍した経歴がある。また、展示作品の中ではやや異彩を放っているヘレニズム期彫刻の特徴をよく表している頭部大理石彫刻像は、大正時代に慶應に学んだ武藤金太が欧州留学中に購入したもので、慶應でギリシャ美術史を講じていた澤木四方吉が早世した時、澤木に深く師事していた武藤が「Sawaki Kopf(澤木の頭部像)」として捧げようとしたものであり、慶應の美術コレクションが単に価値のある作品を収集してきた結果のものではないことを示している。

 慶應ではこれまで、アート・センターのアート・スペースや慶應義塾図書館(新館)の展示室を利用して塾内の文化財や学術資料を展示することはあったが、美術品専門の本格的な展示収蔵施設を持ってこなかった。ミュージアム・コモンズでの今回展は、新設の施設および寄贈されたコレクションのお披露目という側面が強く、スタジオや会議室を展示に使うなど、今後の活動計画から見ればイレギュラーに近い方式であったとのことだが、慶應では初めての本格的な美術品展示収蔵施設をもつミュージアムであるということ、学生主体のプロジェクトも持っていること、センチュリーコレクションだけでなく慶應義塾全体のコレクションを展示するような交流拠点を目指していくということなど、他に類例のない非常に特徴的な施設であることが印象的であった。


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9階ロビーから三田キャンパスを望む


前世紀に全国各地に林立した美術館・博物館・資料館の類は、開館から数十年を経て多くの施設で収蔵庫が満杯になり、新しく収蔵すること自体難しくなっている状況がある。中には収蔵品を手放したり、処分せざるを得なくなっている事例も少なくない。
この度新たに登場した「ミュージアム・コモンズ」とは、さまざまな関連作品を一か所に集めることを主眼とした「展示室付き収蔵庫」としてのミュージアムではなく、域内に点在する文化財の情報を集積しながらも物的に一か所に集めることはせず、物体や情報を有機的に結び付け機能させるという新しい概念の文化施設であると言える。
杮落としとなった『交景:クロス・スケープ』は、そのような新しいミュージアムのあり方を端的に示す有意義な展覧会であったと言えるだろう。

担当学芸員:渡部葉子、松谷芙美、長谷川紫穂、小松百華、本間友


志田康宏
1986年生まれ。栃木県立美術館学芸員。専門は日本近現代美術史。主な企画展覧会に「展示室展」(KOGANEI ART SPOT シャトー2F、2014)、「額装の日本画」、「まなざしの洋画史 近代ヨーロッパから現代日本まで 茨城県近代美術館・栃木県立美術館所蔵品による」、「菊川京三の仕事―『國華』に綴られた日本美術史」(栃木県立美術館)など。

レビューとレポート第28号(2021年9月)