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柳生忠平インタビュー-【連載】家船参加作家 / CLIP.14-

作品「家船」は多数の作家と地元住民、様々な協力者によって共同制作されている。この作品への参加作家が個人では普段どのような活動や制作をしているのか、レビューとレポート第10号(2020年3月)「家船特集」を皮切りに、各人へのインタビュー記事を連載形式で掲載する。
今回は柳生忠平へインタビューを行った。




撮影:本間寛

柳生忠平(やぎゅう ちゅうべぇ)
妖怪画家・妖怪美術館館長。1976年小豆島生まれ

2019年

  • 個展「柳生忠平 妖怪絵圖」(六本木 ストライプハウスギャラリー)

  • アーティストインレジテンス「柳生忠平 妖怪絵圖 邂逅」(フランス ノワイエ La Porte Peinte)

2020年

  • 個展「柳生忠平妖怪絵圖」(六本木 ストライプハウスギャラリー)

  • 個展「モノノケたちがつないだ縁」(敦賀 きもの庵なご)

  • グループ展「百鬼夜行」(京橋 メゾン・ド・ネコ)

  • 2人展「二人展」(銀座 ギャラリー青羅)





(聞き手=KOURYOU)

ー柳生さんの今までの活動や作品についてご紹介いただけますか?

柳生:活動開始から約10年間わたしは「絵描鬼」(えかき)と名乗っていました。絵描鬼なるモノが、妖怪たちを描かせる存在として、わたしに取り憑いているという……。
しかし妖怪たちとまじわる時間のつみかさねのなかで、少し変わってきました。わたしの頭の中には「妖怪製造装置(ようかいせいぞうそうち)」というものが実在するのではないか、と思い始めたのです。


ー私に憑いている妖怪「玉寄せ」も描いていただきました。こうして描いていただくと、確かに私は出会う方々に恵まれているし、そうだったのか!と納得しました。お会いして日が浅いのに凄いなぁと。

柳生:私は基本的に個人制作、個人発表というのが活動の主とするもので(団体行動がニガテというのも理由の一つ)その妖怪活動とでもいいましょうか、そこに賛同してくれて応援してくださる方、協力してくださる方に非常に恵まれてまして、それと同じような感覚をKOURYOUさんにも感じたというわけです。
「妖怪風似顔絵」というお客さまを妖怪に見立てて描く活動もしているのですが、約15分という短い時間の中でお話ししながら描いていき、お客さんの見た目や話している内容から妖怪的要素を感じていくという、警察での取り調べや探偵の聞き込みにも似た行為をやりながら描くものですから、イベントなんかで一日中やっているとそれはそれはもう疲労困憊です……それが作品を作り上げていくためのアイデアをいただく良い機会であったり訓練であったりするのです。


妖怪美術館が開催したイベントにてKOURYOUの妖怪似顔絵を描いた作品
撮影:KOURYOU


柳生:小さい頃から彼らの存在を信じて疑わなかったわたしは、なかなか姿を現してくれない彼らに対してしびれを切らし、それなら描いているうちにわたしの存在を認識して会いに来てくれるのではないかと思っていたのです。実家の裏にある小さな神社や洞窟の霊場、廃屋や山の中や海辺なんかが妖怪探しの遊び場であり、そこにどのような妖怪がいるのかと頭の中をぐるぐるとナニカが動いてよく想像?妄想?していました。
そのナニカというのが「妖怪製造装置」だったのではないかと思うのです。目の前にいつも現れるのは妖怪図鑑には載っていない名もなきモノたち。緑色の一つ目の大きなおじいさんとか、顔のようなものがいっぱいついていてあたりをフワフワと浮遊しているモノだったりとか……。


ー日本には伝承妖怪がたくさんいますが、柳生さんは図鑑に載っていない独自の妖怪をたくさん描かれていますよね。

柳生:かつては憧れであり、画家になったばかりのころは表現方法でもありました。どちらかというと、妖怪たちは、アートにかかわる自分の思いを表現し、かわりに演じてもらう想像力の器のようなものだったのだと思っています。
けれどもいまは、目にみえない「モノ」たちが呼ぶ声にこたえて、あたまのてっぺんからつま先まで全身これ一本の筆となり、ただひたすら妖怪のすがたを描きつづけること、この世に召喚することが使命であり、至福の喜び/悦びなのです。
なので絵描鬼は取り憑いて私に描かせる存在だけではなく、妖怪製造装置を動かすための技師たちを束ねる存在でもあると思うのです。


ー作品を拝見して、大きな自然災害や、現在のコロナ禍の目に見えない状況などをテーマに描かれているのが印象的でした。

柳生:
昔から妖怪(もののけ、ばけもの)は、民間伝承や迷信や昔話などからみるに、祀られていないだけで神々と同じような存在であったように思えるのです。
そもそも日本の神々は自然現象を司るものが多いと思います。風神・雷神が日本では有名ですが、妖怪と呼ばれるモノたちのなかにも自然現象に関係する妖怪たちはたくさんいます。
例えば、強いつむじ風によって巻き上げられた小石や枝などで傷を負うと「かまいたち」、日照りが続くと「魃」(ひでりがみ)の仕業とされたり、落雷とともに現れるのは「雷獣」、水に関するものだと「河童」を中心に「水虎」や「獺」(かわうそ)「人魚」「海坊主」などなど。
またコロナ渦となり、目に見えない疫病への恐怖の対策として「アマビエ」「アマビコ」「神社姫」なんかが心の平穏のための祈りの一部として流行るというのは、遥か昔から変わらないんでしょうねぇ、おそらく医療や科学が進歩してもこの先ずっと神も妖怪も祀られてるか祀られてないかだけの差しかないのかも知れませんね。表裏一体といいますか。


ー海外でも制作展開されている事を伺いました。妖怪は恐ろしいというだけでなく、対象をユーモラスに変換する包容力があって、素晴らしい表現方法だなと思っています。

柳生:わたしの制作活動のなかで「みちしるべぇ」というオリジナルのキャラクターが登場する作品が近年増えつつあります。最初はわたしたちが営む「妖怪美術館」というものがありまして、それは迷路のまちという場所に点在しています。その迷路のまちの案内人として「みちしるべぇ」は誕生したのですが、それによって日本をはじめ様々な国の人たちに出会う機会を与えてくれました。みちしるべぇは細胞分裂して「ちびしるべぇ」を生み出すのですが、そのちびたちが大きくなるとまた「みちしるべぇ」になって日本全国、あるいは世界各国にちらばっていこうとしています。ただ単に道案内人としての存在ではなく、人と人、場所と場所、人と場所を目に見えない赤い糸を操りつなげて行く存在でもあるのだと気づきました。(日本では東京や福井、名古屋などで壁に描かせていただいたり、作品として手元に置いていただいたり。海外ではレジデンスに参加したフランスのアートセンターの壁に描かせてもらっています。)

そしてこれは妖怪を「YOKAI」という世界語にするための妖怪美術館の活動ともうまくリンクしてきており、こういった日本人ならではの宗教観や風習、文化から生み出された彼らによって、ゆくゆくは互いの民族性を認め合える、争いのない世界へとつなげていけると確信を持って活動しています。
これからも「妖怪製造装置」をフルに動かしその動力源となる調査や日々の鍛錬を怠ることなく、目には見えない妖怪たちの声を聴き、この現世に召喚していきます。


「妖怪タチハ船ニ乗ル 第二話 扉絵」制作年2021年



表紙画像

「猫又を愛でる紳士」2020年制作



「レビューとレポート」 第36号(2022年5月)




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