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東京藝術大学と政治的無言 永瀬恭一

1.はじめに

東京藝術大学(以後、東京藝大)の東京藝術大学大学美術館(以後、藝大美術館)本館展示室で、2021年7月22日から8月22日まで開催されていた「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展は、表面的には政治的色彩がありません。明治以後、東京音楽学校、東京美術学校としてありながら戦後統合された東京藝大ですが、唯一のナショナル・アートスクールでこそ可能な、日本の伝統音楽の資料と美術作品を関連づけたコレクション展でした。

そして、西洋文化の流入する明治期、古来の文化伝統の維持・収集・保存に東京音楽学校、美術学校が関与した重要性が、会場を一巡する中で実感されてゆきます。興味深いのは、伝統技術の保持や資料収集が、明治以降の国策としての殖産興業、並びに対外的な日本のプレゼンスを示す経済・政治政策と並行してあったと思える点です。チラシやパンフレットに記載されている、雅楽資料や関連作品の紹介を本展の第一層、その下に見えてくる、日本近代化における東京音楽学校、美術学校の政治経済的役割の再確認を本展の第二層とすることができるでしょう。

しかし、それらを見ているだけではつかめない第三層があります。それは東京藝大が現在進行形で国の政策と関わっていることを想起させる点です。この結果、例えば天皇制が、東京藝大を含めた日本の文化政策を仲立ちにして、内外へ向けての「日本」の宣伝、そしてインバウンド需要喚起も含めた政策に結び付けられていく様子が伺えます。

東京藝大と国、とりわけ宮内庁の結びつきは、ある意味で今さらな話題です。2017年には藝大美術館で宮内庁協力の上で「皇室の彩」展なども行われています【註1】。しかし、こういったことは、当たり前である故に、その意味が忘れられやすいのではないでしょうか。同時に、そのような状況に、大学サイドでどのように対応がされているか、慎重に見る必要もあります。「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展について言えば、焦点は本展の持つ政治性について、東京藝大および藝大美術館がまったく説明もコメントも示していないところにあります。

大学の自治、あるいは学問の独立といった理念は戦前、政府が大学人事に介入した教訓から、日本国憲法の第二十三条「学問の自由は、これを保障する。」を根拠に尊重されてきました。ですが戦後幾度かの法制化や議論を経て2004年の国立大学法人化以降は、大幅に政治行政の影響力が強化されました【註2】。このような状況については批判が高まっています【註3】。個々の教育現場では公私に渡って多様な力学が働いていると想像されます。

大学に限らず様々な文化的遺産や美術館・博物館が文化芸術の保護収集・研究の拠点になる以上に「稼げる」興行として再編されようとしています【註4】。そんな中、皇室とその文化を含む天皇制も、戦後憲法に規定された「国民統合の象徴」を逸脱した、現在の「殖産興業」を推進するツールとなってゆく、その変換過程に大学行政を含む日本の文化政策がコミットしているならどうでしょう。一般市民はもとより、文化政策全般に影響を受け、場合によっては利益を得る美術・芸術関係者はこの動向に注意を払う必要があるでしょう。

以下では「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展を記述し、企画趣旨(第一層)と、近代日本の国策の一翼を担った東京音楽学校、美術学校の役割(第二層)を明らかにします。その上で、読み取りうる第三層、現在の皇室文化と天皇制が政治経済政策で有効化されていく状況の中、国立大学附属美術館の応答の様相を検討していきます。


2.「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」の状況

本展では、チラシ、出品リストと中綴じ8ページの簡易なパンフレットが配布されています。主宰者「ごあいさつ」後半を引用しましょう。本展の企画意図が示されます。東京音楽学校のさらに前身である音楽取調掛に、宮内庁楽部の楽人たちが第一期生として入学し、その頃から雅楽の楽器や関連資料の収集が始まったこと、また東京藝大邦楽科に1996年に雅楽専攻が加わったことが示されたあと、こう記述されます。

大学美術館では、本学と雅楽のつながりの中で収集された楽器類とともに、東京美術学校ゆかりの雅楽に関連する作品を多く保管しています。本展覧会は、それらの中から、楽器や舞楽装束、絵画や彫刻、工芸作品を「雅楽特集」として本学所蔵の名品とともに展示するものです。また名品の筆頭には技芸の守護神「伎芸天」や音楽の女神ともいわれる「弁財天」を展示いたします。藝大コレクションの知られざる一面をお楽しみいただければ幸いです。
なお、本展覧会は、令和2年(2020)4月に新型コロナウイルス感染予防のために開催を断念した御即位記念特別展「雅楽の美」から着想を得、本学の作品を結集させたものでもあります。【註5】

後段の実現しなかった「御即位記念特別展」が、この展覧会の下敷きにあることを頭の片隅において、展覧会場を見てみましょう。本展は4つのパートに分かれます。筆者が会場でメモをした作品配置図を[図1]として掲載しておきます。


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[図1]「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展 配置図(筆者のメモによる。建物の構造などは反映されない、おおよその概略図であることに注意)。


1.名品Ⅰ(きみどり)
2.雅楽特集
 舞楽(みずいろ)
 奏楽する供養菩薩(こんいろ)
 雅楽の楽器と絵画作品(むらさき)
3.名品Ⅱ夏の名品(みどり)
4.付属:映像資料(だいだいいろ)

「雅楽特集」を中心に前室の「名品Ⅰ」後室の「名品Ⅱ」は左右に空きのある可動壁でゆるやかに仕切られていますが、「名品Ⅰ」「名品Ⅱ」も音楽・雅楽に関連する作品があり、また一部出品作は設置箇所が分散していて、これらの分節は展観時にそれほど強く意識されません。ことに「名品Ⅰ」に所属する、竹内久一作《伎芸天》(1893年/明治26年)が、入り口正面にシンボリックに置かれていることに注意しましょう。本会場が「雅楽特集」、「名品Ⅰ」「名品Ⅱ」を含めて総合的に見られることに繋がるでしょう。また、《伎芸天》が明治26年、1893年のシカゴ・コロンブス万国博覧会出品物であり、その左隣の巨勢小石《伎芸天女》(1890年/明治23年)が、藝大美術館収蔵品台帳の最初期の登録であることは、配布パンフレットに記載されています【註6】。

付属の映像資料は、展示室1を使った資料作品展示とは別に、向かい合う別室の一部を使って大型モニターで流されます【註7】。受付でチケット半券を切られると、会場係の方から展示室と映像資料室があることが示され、まず展示室へと誘導されます。

会場では前室の《伎芸天》に向かって右手から巡回するように案内板が設置されています。最初に展示されているのは国宝《絵因果経》(8世紀後半/天平時代)、ことに奏楽する飛天が描かれた箇所が開かれています。出品リストでは中頃「奏楽する供養菩薩」の章に記載されているものですが、最初に国宝を見せることで展覧会の質的高さをアピールする役割もあるでしょう。雅楽について、パンフレットから引用します。なお、引用文中の〈〉内は印刷物ではルビとして表記されています(以下同じ)。

雅楽は、日本古来の歌と舞[国風〈くにぶり〉の歌舞〈うたまい〉]、千年以上前にアジア大陸から伝来した器楽と舞を日本化したもの[管弦〈かんげん〉、舞楽〈ぶがく〉]、およびその影響を受けて作られた歌謡[催馬楽〈さいばら〉、朗詠〈ろうえい〉]の総称で、平安時代中期には今日の形に完成したとされる。【註8】

この基礎知識を元に、配布された出品リストに沿って展示を見てみましょう。

2-1 雅楽特集 舞楽

永倉茂《光明皇后》(1903年/明治36年)と《正倉院御宝物 巻第五》があります。《光明皇后》は明治36年に描かれた日本画で、光明皇后が舞楽の太鼓と共に描かれています。正倉院の宝物は、聖武天皇の七七忌に遺物を光明皇后が東大寺へ奉献したことに由来していますが【註9】、この宝物のうちの楓蘇芳染螺鈿槽琵琶を写した明治期の図面を並べて示されていることで宮廷文化としての雅楽の有り様と、古いものを保存記録する事業の双方が示されます。

さらに同じ壁面には修復された土佐光信伝原作の《舞楽屏風 模本》(制作年不詳)が掲げられます。今回の雅楽特集の中でも目玉であり、パンフレットでは中央見開きで解説されます。古来の宮廷での楽器や舞人の姿が図鑑のように描かれます。土佐光信の原作というのもあくまで「伝」であり、さらにそれを写した制作年不詳の模本ということで、《舞楽屏風 模本》の価値は資料的なものでしょう。江戸期のものである藤原貞幹《信西古楽図 模本》と併せて、江戸時代以前の宮廷舞楽がどうであったかを示すと考えられます。

以下、「舞楽」のエリアでは明治期に復元された舞楽衣装や面、またこれら史料を基に描かれた絵画が展示されます。最も目を引くのは明治44年に、国華倶楽部主催の「上宮太子祭」で演じられた舞楽「陵王」「胡蝶」の装束と面です【註10】。小堀鞆音の《蘭陵王》(20世紀/明治時代)、高村光雲の《蘭陵王》(1911年/明治44年)は共に千頭庸哉《陵王》(1926~1927年/大正15~昭和2年)とあわせ全て同主題の絵画と彫刻ですが、ここでは「陵王」由来の作品が多いことに注意しましょう。

2-2 雅楽特集 奏楽する供養菩薩

「舞楽」エリアと接するようにあるのが「奏楽する供養菩薩」エリアです。パンフレットには出品作《當麻曼茶羅縁起 下巻 模本》(製作年不詳)の図版とともに以下のように説明されます。

描かれている楽器は、拍板〈はくばん〉、角笛〈つのぶえ〉、銅鉢〈どうばち〉、方響〈ほうきょう〉、箏〈そう〉、箜篌〈くご〉、篳篥〈ひちりき〉、鉦鼓〈しょうこ〉、太鼓〈たいこ〉など種類が豊富で、これらは西域やインドなどからシルクロードを経て唐(7~10世紀初頭に中国を支配した王朝)に伝わった楽器である。現在では伝承が途絶えているものもあるが、古い時代の楽器の姿を絵画作品に見ることができる。【註11】

仏教における奏楽の様相が見られるだけではなく、楽器の形態などがどのようであったかが示されます。白鳳時代の《繍仏裂 簫》《繍仏裂》(重要文化財)は、本展で最も古い時代のものです。本展は主に明治、また古くても江戸期にオリジナルを模写したり復刻したものが中心ですが、仏教伝来期のものがあることで、仏教と音楽の長い歴史を想起させる効果があります。2つ並んでいた《菩薩面》は鎌倉時代のものでした。

「わからない」事実に誠実なキャプションだったと信じますが、推定年代も記さない「制作年不詳」の品が多いのは気になります。いずれにせよ残りづらいものが、模写や模造によって今に伝えられていることは理解できます。

2-3 雅楽の楽器と絵画作品

会場壁面の展示ケースを中心に雅楽楽器と、それらが登場する絵が並びます。「絵画」と表記されたのは《百鬼夜行絵巻》《鞆の観音堂縁起絵巻》(ともに江戸時代)以外が明治の日本画や図案であるからです。個々の楽器の音色は別室の映像資料のコーナーで演奏の様子とともに確認できます。絵画は福富常三《平経正》(1907年/明治40年)や小堀鞆音《足柄山/下図》(1917年/大正6年)のような、武士と楽器の組み合わされた構図が目立つことに留意しておきましょう。

注目されるのはこのエリアの最後に掲げられた山田於菟三郎の図案《徳川式室内装飾》(1893年/明治26年)です。パンフレットによれば東京美術学校第一期生の山田による卒業制作作品で、江戸時代の室内装飾が描かれ、調度品に雅楽の楽器や舞楽図(陵王)の描かれた衝立があります。制作の背景として卒業の前年に岡倉天心の下でのシカゴ・コロンブス万国博覧会への東京美術学校の全面的参加があるとされ、以下のように説明されます。

万博会場には日本館として平等院鳳凰堂を模した建物が作られ、左翼廊、右翼廊、中堂のそれぞれの内装が、藤原時代、足利時代、徳川時代の様式で制作された。また岡倉自ら執筆した解説書も出版されている(図左上)。美術学校において、日本独自の美術様式を学んだ上で公共規模の室内装飾を手がける力をつけさせることは、フェノロサや岡倉の当初からの大きな目標だったことが分かっており、本作品はまさに、その意図が達成された事を示す重要な作例と言える。納入後120年以上が経過し、折れなどの損傷が見られたが、このたび修復が完了し公開する。【註12】

シカゴ・コロンブス万博は明治政府の貿易振興としてあっただけでなく、当時の国際的な万国博覧会の時代に、日本の立場を政治的に強化することも目的とした国家事業でした。それは日本側の臨時博覧会事務局総裁に、当時の農商務大臣の後藤象二郎や後に不平等条約を撤廃することになる陸奥宗光が就任していることからも理解できます【註13】。当時東京美術学校の校長であった岡倉天心は、この万博のためにパンフレットも英文で書き、ここで「鳳凰堂を模した建物」の内装に尽力したスタッフを書き込んでいます。高村光雲から川端玉章といった美術学校の主要教授だけでなく、横山大観、下村観山といった学生も仕事をしています【註14】。

「雅楽の楽器と絵画作品」のエリアで明治期の絵画が多いのは、極端な西洋化の後で伝統的日本美術の擁護を図る岡倉天心によって設立された、開校当初の東京美術学校の息吹のあらわれとも言えます。山田於菟三郎が、絵画ではなく「図案」(デザイン)として《徳川式室内装飾》を制作したのは、東京美術学校の生徒への社会的要請が、近代におけるナショナリズムと貿易を含めた産業の昂進にあったことは、了解されて良いでしょう。

笙や太鼓、篳篥といった雅楽楽器の実物を、ガラス越しとはいえみることができるのは貴重でしょう。笙は江戸時代1801年と、篳篥も1747年のものと明記され、それ以外の楽器も明治時代以前とされています。これらと《舞楽屏風 模本》などに描かれた楽器を重ね合わせれば、今にいたる史料の収集、保存や修復の意義は実感できるでしょう。

2-4 名品Ⅰ

このように本展の中心にある雅楽特集を見てみると、会場入ってすぐに眼に入る「名品Ⅰ」の、シカゴ・コロンブス万国博覧会出品物である竹内久一作《伎芸天》は、当然《徳川式室内装飾》と連続的に見られるものです。パンフレットに解説される「諸芸の守り神」という位置づけは、東京音楽学校、美術学校を統合した東京藝大の守り神であるという象徴性、さらに日本における明治期の殖産興業や、不平等条約の撤廃といった富国強兵の守り神でもありえたことは読み取っていいでしょう。

2-5 名品Ⅱ夏の名品(矢崎千代二《教鵡》の謎)

「名品Ⅱ夏の名品」は、雅楽特集との繋がりが直接にはわかりにくくなります。すくなくとも、この展覧会がかなりの「考え落ち」を含むものであることは看取されます。代表的な出品作として、矢崎千代二《教鵡》(1900年/明治33年)を挙げましょう。表面的には《教鵡》という画題の「音を教える」行為と雅楽特集の繋がりを見ることが可能なくらいです。

しかし、今橋理子氏による論考「白鸚鵡と美少女」【註15】を読むと、《教鵡》が、今回雅楽器として出品されている(そして冒頭《正倉院御宝物 巻第五》で正倉院御物から図案に写されている)「琵琶」と繋がることがわかります。簡単にしか触れられませんが、「楊貴妃教鸚鵡」という中国の説話が、日本で美人画の主題となり矢崎千代二や鏑木清方が描き出した経緯を今橋氏は解き明かします。矢崎の影響を受け肉筆画の《嫁ぐ人》木版画《鸚鵡》(ともに1907年)を描いた鏑木清方が、泉鏡花と懇意であったことは先の東京ステーションギャラリー「コレクター福富太郎の眼」展でも強調されていたところでした【註16】。そして泉鏡花は「琵琶伝」という小説を書いているのですが、この「琵琶」とは、小説のヒロインの飼う鸚鵡の名前なのです【註17】。このことはキャプションにもパンフレットにも記載されていません。

雅楽を特集した展覧会の横に、そっと矢崎千代二《教鵡》が架かっていたとして、このような関係を解説抜きで読み取るのは難しい。とはいえ、一度この繋がりを見てしまえば、偶然と考えるのは難しいでしょう。「名品Ⅱ夏の名品」はかなり特殊な、こういって良ければ「書かれていないことまで考えて展示を見ないと分からない」と読み取り可能なエリアであることが分かってきました。

映像史料のコーナーは省略し、ここまででいったん「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展の記述を終えましょう。まとめれば、本展は主催者の意図に沿った、東京音楽学校、美術学校における雅楽と関連する美術作品の紹介が、特に修復や模写といった作業によって蘇った史料を中心に置くことでなされた展覧会でした。併せて、明治以降の国策としての殖産興業に資する、伝統的な日本の美術を保管・収集するのみならず、新たに海外へのプレゼンス強化も可能な「人材」の教育機関として東京音楽学校、美術学校が組織されていたことが、特にシカゴ・コロンブス万博への関わり合いから読み解けるものでした。


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「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展パンフレット(筆者が持ち帰ったもの)


3.「特別出品 昭和天皇立太子礼奉祝記念《御飾時計》」から探る東京藝大と政策的天皇制

3-1 中止された「雅楽の美」展と藝大美術館の位置づけ

東京藝大と宮内庁の関係については、本展の下敷きとなっていた御即位記念特別展「雅楽の美」展【註18】の段階では明瞭です。「雅楽の美」展は令和2年4月4日~5月31日に予定されていましたが、新型コロナウイルスの蔓延によって中止されました。カタログだけは作成されており、概要は掴むことができます【註19】。「御即位記念特別展」と明記され、宮内庁所蔵の雅楽関連史料や作品だけでなく、各地の国立博物館の所蔵品も集められるはずでした。開催されれば藝大美術館の全館を使っても手狭ではないかと想像される充実した内容となっていたでしょう。

ただ 「雅楽の美」展が、皇室文化の経済的活用といった政策上の意図を含む展覧会であったことは、カタログだけを読んでいてもつかめません。本来、宮内庁所轄品を中心として「御即位記念特別展」を組織するなら皇居内の三の丸尚蔵館こそがその舞台にふさわしかったはずですが、この展覧会が藝大美術館で準備されたのは、三の丸尚蔵館の建て替え事業があるためでした。三の丸尚蔵館は入場者と所蔵品の増大に伴って増築が計画されていましたが、2018年に有識者懇談会座長の宮田亮平文化庁長官(当時)が宮内庁に提出した提言【註20】では、増築ではなく建物を新設することと、以下のような目的が明記されていました。「4.今後の保存・公開の在り方」の「(1)収蔵品の内容精査を踏まえた保存・公開の在り方」「①皇室由来の貴重な美術品を保存・公開する役割・機能の充実」の項として

これからの三の丸尚蔵館は、調査研究、修理等の活動を一層充実・強化させ、貴重な美術品を将来に向けて保存し、継承していくとともに、皇居に訪れる多くの国内外の人たちに対して、優れた日本文化、そしてわが国における皇室の存在の重要性を文化の側面から紹介する場として、重要な発信拠点となることが必要である。

更に「(2)運営・組織の在り方」の「②国内外に向けたプロモーション、インバウンドへの対応」と明記された項には

皇室に継承されてきた品々は、それぞれに歴史的背景や制作背景に、その当時を語り、それが今日伝わっていることの重要性を含んでいる。その内容をしっかり伝えることが、皇室を中心とする日本文化について、内外に大きくアピールすることとなる。そのため、国内外への収蔵品とその公開についての広報拡充は、重要な検討課題である。
また、外国人旅行者の増加に対応した多言語対応や、その他の分かりやすく魅力的な展示のあり方を、他の美術館や博物館の取組も参考に今後検討する必要がある。

とありました。無論これはあくまで三の丸尚蔵館についての話なのですが、同じ提言の「(3)施設整備の期間中の公開の拡充について」の項に、三の丸尚蔵館建て替え期間中の所蔵品活用として、以下のようなリストが上がっています。

・文化庁との協力
 平成30年度文化庁主催「新たな国民のたから」展への出品協力→来年度以降も継続
・東京国立博物館
平成31年3~4月頃の特別企画展示等を検討
・東京藝術大学大学美術館
「雅楽の美」をテーマにした特別展を検討(平成32年春で検討)
・京都国立博物館
「皇室名宝展」のような特別展を検討(平成32年秋頃で検討)
・九州国立博物館
「皇室名宝展」のような特別展を検討(平成33年夏~秋頃で検討)

したがって、開かれなかった「雅楽の美」展は「わが国における皇室の存在の重要性を文化の側面から紹介する場として」「国内外に向けたプロモーション、インバウンドへの対応」を実施しようとした展覧会の一端です。皇室文化を「国内外に向けたプロモーション、インバウンドへの対応」の道具として「活用」することが前提になっているのは2003年に小泉純一郎首相(当時)の観光立国を推進する施政方針演説【註21】、さらに直接には2012年の第二次安倍内閣での観光立国事業推進【註22】という政治的潮流があるからですが、東京藝大、藝大美術館はそのような政策の一翼を担うことが政治的に期待されていると考えていいでしょう。

経済資源として美術館・博物館の所蔵品を商業的に活用することについては、文化庁資料にあった「リーディングミュージアム」構想をはじめとして、専門家や美術関係者の間から批判、あるいは疑問視する声が存在します【註23】。まして、皇室文化を政策的に「活用」することの是非は、専門家だけでなく国民的に議論された上で是非が判断されるべきでしょう。こういった公的議論を行わずに観光立国政策から宮内庁所蔵品、あるいは皇室文化に関わる文物を「インバウンド需要」へとシームレスに繋げてしまう行為の危険性は、実施されなかったとはいえ先の東京オリンピック開会式に際して臨席した天皇に「○×クイズへの参加を求める演出案」【註24】などが本気で検討されていく空気の醸成に寄与してしまう点に現れます。

つまり、すでに一部では皇室文化に関わる文物を観光動員に組み込むだけではなく、天皇そのものを政策利用する動向が見え隠れしているのが現状です。このような政治的潮流を自明視し、文化庁や各国立博物館、国立大学が、批判や議論を経ず利用されていくことは問題だと、筆者は思います。が、しかし「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展については、あくまで「雅楽の美」展とは異なる論点が必要でしょう。

なぜなら「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展は、政策的に企画され東京藝大が従属的に利用された展覧会ではなく、あくまで大学コレクションを中心とした、東京藝大主体で行われた展覧会だったからです。東京藝大の意志はどのように示されたのでしょう。

3-2 「昭和天皇立太子礼奉祝記念《御飾時計》」の概要

筆者は陰謀論的な思考を避けようと思います。つまり「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展は、パンフレットに明記された主旨に基づいた資料・史料展だったと、一応は理解します。

しかし、展覧会主旨と「結果的に実現した表象的内実」は異なります。1点、付属的に特別出品された「昭和天皇立太子礼奉祝記念《御飾時計》」が、展覧会冒頭の竹内久一作《伎芸天》や永倉茂《光明皇后》とで会場を「サンドイッチ」したことにより、実態としての藝大コレクション展は、オセロのコマが一気に反転するように政治性を高めてしまったのではないでしょうか。だとしたら、どういったメッセージが発生する可能性があるでしょう。

ひとまず「昭和天皇立太子礼奉祝記念《御飾時計》」について記述しましょう。[図1]にあるとおり、展示場所は前室の「名品Ⅰ」、中央の「雅楽特集 舞楽」「雅楽特集 奏楽する供養菩薩」から、更に左右に空間のある壁面を挟んだ後室になります。この後室は主に「名品Ⅱ夏の名品」エリアなのですが、「名品Ⅰ」「雅楽特集 奏楽する供養菩薩」も混ざり、最も区分けが読み取りづらいエリアです。その中で「昭和天皇立太子礼奉祝記念《御飾時計》」は出品リスト上「雅楽特集 舞楽」の中で唯一「特別出品」として置かれています。

説明パネルには以下のようにありました(会場で書き写した説明文なので、誤字脱字などが残る可能性があることをご承知ください)。

雅楽の舞人をあしらった《御飾時計》は、大正5年(1916)の昭和天皇の立太子礼の際に東京美術学校(本学前身)監造、東京府工芸学校や尚工舎時計製造所(シチズン時計株式会社の前身)などによって制作され、大正10(1921)年に東京市より献上された。
時計の上部は宮づくりで、15分ごとに舞楽の還城楽の童舞人形が太鼓をたたき、文字盤の横にとまる鳩が羽を広げながら鳴き、また七曜表という簾が曜日ごとに異なる図を表すという絡繰りである。材質には金、銀、銅、鉄、真鍮、珊瑚、七宝、蝶貝、チーク、矢竹などが用いられている。
5年による度重なる苦難を経てようやく完成し、ちょうど100年前の大正10年8月26日に完成の披露目として東京美術学校講堂にて展示された後、東宮御所に納められた。その後、かなり損傷が進んでいたため、本学の文化財保存学専攻保存修復工芸研究室とシチズン時計で修復をさせていただき、3年がかりで修復プロジェクトが完成したことを報告する展示である。

《御飾時計》は縦に高い構造で、上部のガラスに囲われた所に内部が透けて見えます。日本的「やぐら」のような造形に、西欧的な時計機構が組み込まれた形態は、建築における帝冠様式の反復のようにも見え、筆者としては美的にはけして洗練されてはみえませんでした。シチズン時計が別パネルで解説している修復過程をみると、修繕前は相当に傷んでいた様子で、これが会場で見られるように復元されるのには、かなりの手間がかかっていることが理解できます。別室の映像史料では太鼓を叩く舞楽「還城楽」童舞人形と回転する簾(曜日を象徴する絵柄)の様子も映されていました。

説明パネルに戻りましょう。修復の「作業主体」は東京藝大とシチズン時計なのでしょうが、これはそのまま「修復の事業主体」を意味するでしょうか。つまり東京藝大がリスト上は秋篠宮家所蔵とされている《御飾時計》の損傷をなんらかの連絡で伝え聞き、自主的に修理したのでしょうか。そして、結構な額が必要とされたであろう修繕費用は東京藝大とシチズン時計が負担したのでしょうか。「3年がかりで修復プロジェクトが完成」したということは、修復のきっかけが令和改元と今の天皇の即位あるいは秋篠宮家の皇嗣即位であることは間違いないと思われますが、だとするなら宮内庁が東京藝大とシチズン時計に修理を依頼し、費用は宮内庁から出ているのでしょうか。説明パネルからは推測ができません。

わからないことはわからないのであって、ここで無理な憶測は控えます。いずれにせよ《御飾時計》は「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展で唯一、藝大コレクションではない出品物であり、秋篠宮家の所蔵品の修復へ東京藝大が、自らの意思であれ文化庁の依頼であれ関与していることを示すポイントとなりました。

本展が中止された「雅楽の美」展から「着想」された結果「雅楽の美」展に出る予定であった《御飾時計》が、東京藝大が修復に関わっていることを理由に出品された、そう想像する人がいるかもしれませんが、《御飾時計》は「雅楽の美」展のカタログに掲載されていません。《御飾時計》は「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展独自の出品物だったと考えていいでしょう。

3-3 「昭和天皇立太子礼奉祝記念」品をどの視点から見るか

「昭和天皇」の「立太子礼奉祝記念」の品が、令和の天皇の「御即位記念特別展 雅楽の美」から着想を得て東京藝大が自主的に企画した「藝大コレクション展」に、唯一大学コレクション外から出されている。このことをどういった角度から見ることができるでしょうか。《御飾時計》が戦前の完成時に東京美術学校で一度展示されている、この事実も踏まえて検討しましょう。

例えば、三の丸尚蔵館の代替施設として藝大美術館が「内外に大きくアピール」することが期待されていた「外国人」観光客の眼からみたらどう見えてくるでしょうか。コロナ禍で訪日外国人が激減する前の、平成28年の総務省のwebページを見てみます【註25】。2015年の統計では総数1974万人のうち、中国・韓国を始めとするアジアからの訪問客が1664万人で大多数です。先の「大東亜戦争」と昭和天皇の関係を踏まえるならば、かなり政治的な「アピール」が期待できた出品でした。

「雅楽の美」展はコロナ禍で中止されていて「外国人」はやってこない、故に「藝大コレクション展」で「外国人」の視点は無視しえた、という理解なのでしょうか。では国内には昭和天皇「立太子礼奉祝記念」品の政治性に頓着しない人間しかいないでしょうか。国内の外国人について令和2年(2020年)10月9日出入国在留管理庁が発表した「令和2年6月末現在における在留外国人数について」を見てみれば【註26】、在留外国人数は288万5904人で、過去最高であった2019年末に比べ4万7233人減少とありますが、全体としてやはり過去最高水準です。注目すべきは出身国で、ベトナム、中国をはじめとしてアジア圏で70%を超えています。そして最も外国人の多く住む都道府県は東京都で、群を抜いています【註27】。

これはあくまで資料展なので、最初からいかなる政治性も脱臭されているという理解でいいのでしょうか。仮に東京藝大がこの展覧会を資料展としてのみ企画していたとしても、「昭和天皇立太子礼奉祝記念《御飾時計》」は、現実としてその意図をほぼひっくり返しています。

《御飾時計》は、一見雅楽特集と表面的な繋がりしかないように見えながら、説明されていない深い意味がある、矢崎千代二《教鵡》と同じエリアに置かれていました。東京美術学校監造で完成時には同校で展示もされ、今回修復にも関わっていると明記された事項の了解だけで展示を見終えてしまうことは、展覧会主催者からの「知られざる一面をお楽しみいただければ幸いです。」というメッセージを、ここだけ意図的に無視する形になるでしょう。そして「昭和天皇立太子礼奉祝記念《御飾時計》」を見てから会場を見直せば、面白いように展覧会の「意味」は書き換えられていきます。

「雅楽特集 舞楽」エリア中、国華倶楽部主催の「上宮太子祭」で演じられた舞楽「陵王」「胡蝶」の装束とあわせて絵や彫刻が置かれているとき、春日に舞い遊ぶ胡蝶の姿を表わした「胡蝶」は衣装しか置かれていないにも関わらず、北斉の将軍が戦争に勝利した際の舞を表したとされる「陵王」については小堀鞆音の《蘭陵王》、高村光雲の《蘭陵王》、千頭庸哉《陵王》と、関連作がはっきり「陵王」側に比重を置いている、これはどのように「読まれる」でしょうか。

同じく「雅楽の楽器と絵画作品」のエリアで筆者が注意喚起済の、福富常三《平経正》や小堀鞆音《足柄山/下図》など、武士と楽器の組み合わされた構図が目立つことは、どんな意味として現れてくるでしょうか。「雅楽特集 舞楽」では、服部謙一《桜梅の少将》(1915年/大正4年)で、平家一門の名将でありながら源平合戦の後に入水した、舞楽「青海波」の装束に着替える平維盛が描かれていますが、このような主題もまた「意味」を孕み始める──戦争に敗れた将が「美的」に描かれている──ことは、避けられないように、筆者には思われます。

明治期から戦前の富国強兵の時代の美術品や史料が中心なので、結果的に武威に傾いた出品物が偶然揃ってしまった、そう考えるのが自然でしょうか。そうなら令和への改元にタイミングを併せて昭和の天皇の、戦前の立太子礼奉祝記念品を、かなりの手間とお金をかけて今このとき「修復」した事業を、富国強兵の時代の美術品や史料と並べて展示する行為に、政治性は一切発揮されないでしょうか。逆に「令和の時代こそ「昭和天皇立太子礼奉祝記念」の品を復元することが重要なのだ、このメッセージを発信する場として藝大美術館は相応しい」との東京藝大の積極的な意図があったのでしょうか。

「藝大コレクションの知られざる一面」は「楽しむ」深度が相当に深く設定されている、筆者はそう考えます。

3-4 イデオロギー・ジェンダーギャップを東京藝大はどう「修復」するか?

東京藝大は復古的ナショナリズムに基づいてコレクション展をしている、といった結論を出せば事足りるでしょうか。しかし事はそう簡単ではありません。確かに、東京美術学校は岡倉天心による創立経緯からいって「国粋」的です【註28】。同時に、音楽学校も併せて東京藝術大学となったプロセスには「戦後」がビルトインされている。藝大コレクション展 2021のⅡ期「東京美術学校の図案──大戦前の卒業制作を中心に」では、大正期の労働運動やヨーロッパのアヴァンギャルド芸術を踏まえた作品も展示されていました。

事実としてこの学校には「戦前」「戦後」が混在している、そう見るのがフェアです。そしてこの混在は、東京藝大内外を超えて日本社会一般の条件です。「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展もまた、そのような相反する力学を内包しているとは見えないでしょうか。

東京美術学校一期生で、沖縄に本土から美術教師として赴き、沖縄初の本格的油彩画を描いた山本森之助の《琉球の燈台》(1902年/明治35年)が、やはり「名品Ⅱ夏の名品」エリアに《御飾時計》と一緒にあるとき、読まれうるコンテキストは複雑になってきます。明治に警察や軍隊が差し向けられ「沖縄県」になり、「大東亜戦争」で激戦地となった沖縄と明治の政策・昭和天皇の関係を想像しない観客はいないでしょう。

沖縄における終戦は6月23日であり、この展覧会会期(7月22日~8月22日)には含まれません。本土で「終戦の夏」が喧伝される時期に「夏の名品」としてこの絵がある、この意図はどう読むことが可能でしょうか。内地で多くの人が忘れている、沖縄の立場や歴史を思い出させる、そういった意図があるなら、筆者が示した本展の政治的問題点は、企画の過程で予め了解され“裏声で”【註29】示されていた可能性は捨てきれないとも思えるのです。独立法人化以後の国立大学が、いかに国の政策下に「改革」されてきたかの議論は冒頭でも触れました。明治の時代から現在に致る東京藝大の構造こそを、暗喩的に示そうという意図、面従腹背の姿勢が東京藝大のどこかにあった結果なのだとしたら、本展は、さらにその相貌を変化させていきます。

「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展を、ある統一した政治的立場から読むことは難しくなってきました。とにかく本展会場には複数のベクトルが走っている、そしてそのベクトルについては、解説もキャプションもないのです。このあまりにもハイコンテクストな「コレクション」展は、危険です。筆者はそういった見方はしたくないのですが、《琉球の燈台》について言えば明治、そして昭和という時代が沖縄に対して持った関係に無自覚、あるいはむしろその歴史性を「寿ぐ」といった暴力的視点でこの展覧会が組織されているという見方すら不可能ではないのです。矢崎千代二《教鵡》の出品も偶然でした、といった「おとぼけ」が行使されるなら事態は深刻です。

危険性は、他にも表出しています。例えば雅楽特集の本体で、歴史上に名が残る男性武将が近代日本画の形式で表象されている、その傍らで付属的「名品Ⅱ」エリアにおいては、矢崎千代二《教鵡》のような“美しい女性が鳥と戯れる”油絵、また和田英作《少女新聞を読む》(1897年/明治30年)といった“名もなき若い女性が遊興情報を得る様子”が油絵で描かれている。つまり復古的な男女の役割分担が本展会場では、なんらキャプションによる留保なしに暗示されている。このような効果は、意図的でしょうか、それとも偶然でしょうか。

皇室由来の文物を経済資源として活用する延長に、いつしかオリンピック開会式の出し物へ天皇本人を「動員」する発想がつながっている、その潮流へ美術館・博物館や大学などが参与することへの懸念は既に書きました。本展は優れて「修復」「模写」を焦点化した資料展でしたが、いま皇室文化に関する文物を「修復」「模写」するだけでなく、改元と新天皇即位にあわせて「展示」する、この行為で「修復」「模写」されるのは、文物だけではなくその文脈まで含めたイデオロギーでもありえます。この危険性に対しては、やはり充分に説明を加えておくことが求められたように思います。


藝大コレクション展2021 Ⅰ期 展示室写真

「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展会場風景
画像提供:東京藝術大学大学美術館

4.さいごに

「藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に」展が、主催者の善意に基づいた資料展であったにせよ、そこに一定の「もくろみ」があった(前述のように、令和の世に戦前の富国強兵的表象物を東京藝大で「復元」してみせる意思を見せた、あるいは逆に現在の大学における政治的文化政策を「裏声で」告発しようとした)にせよ、ここで筆者が書き出した論点は、政治面を含め広く文化的価値観の異なる外部からの視点に対し、美術館の十分な解説、広く言えば「ことば」が用意されていなかった、その結果がどう作用するかを検討したものです。

《御飾時計》を展示するべきではなかったとは筆者は考えません。むしろこういった文物が公開されたこと自体は喜ばしいと思います。ただ、本展はあまりにも徹底して「展示」の政治性に対し無言を貫いています。身もふたもない正論を言えば《御飾時計》の展示については、あくまで令和の改元や天皇・皇嗣即位記念とは切り離すか、あるいは今回のタイミングで公開することの意味と東京藝大の立場を、歴史的文脈や経緯とともに会場キャプションあるいはパンフレットに記載して、大学コレクションとは独立した形で展示すべきでした。それが、必要なコメントを省いてコレクション展に混在して置かれるならば、不可避的に筆者が書いたような論点が形成されます。

筆者自身は平凡な共和主義者であり、天皇制はどのように考えても近代市民社会以後持続可能ではなく、穏やかな形でも順次解体されるべきだと考えています。同時に、筆者とは政治的立場が異なる、皇室を尊崇する考えを持つ方であっても、歴史ある皇室文化由来の文物が現在の政治目的に直接結び付けられ、いかにも見世物的に「国内外に向けたプロモーション、インバウンドへの対応」へ組織されることには抵抗を感じないでしょうか。

常に議論が必要です。これは「議論すれば問題は解決する」といった楽観主義ではありません。むしろ意見の相違が、利益の相反が、立場の衝突が、社会の分断があることが美術館・博物館・高等教育機関の内部でも隠蔽されることなく、常に材料として明示されていることが重要なのです。政治的・実存的立場の異なる全市民の「公共」である、分断された我々がおおやけに、共にある=contemporaryであることに資するが故に、美術館・博物館・高等教育機関は税的優遇を受け、その権威を与えられます。

キーになるのは「交渉(ネゴシエーション)」です。分断の隠蔽でも、単なる闘争の勝ち負けでもない。自分が、人々が置かれている時間と空間の全てに対して(つまり歴史と未来について)、条件を検討し、材料を分配して新たな現実を組み立てていく、そのプロセスが可視化されることが必要でしょう。漠然とした現実認識、漠然とした政策決定、漠然としたそれらへの従属は、高度に文明化された状況の奴隷でしかありません。あらゆる文物に対して批判的に=批評的に接する、そういったエクササイズの場を、私たちは作っていく必要があるのです。

その前提としての、展覧会における政治性や歴史的文脈の明示、議論のテーブルが適切に設置できない条件や構造があるならば、その構造自体を議論の俎上にあげ、作り替えねばならないでしょう。


1. 東京藝術大学創立130周年記念特別展「皇室の彩(いろどり)百年前の文化プロジェクト」主催:東京藝術大学、NHK、NHKプロモーション、協力:宮内庁(2017年10月28日~11月26日)。

2. 寺﨑昌男 『日本近代大学史』(2020年、東京大学出版会)、特に第一部第六章以降を参照。

3. 駒込武編『「私物化」される国公立大学(岩波ブックレット NO. 1052)』(岩波書店、2021年)を参照。

4. 平成29年6月に改正された文化芸術基本法は、〈基本理念の改正内容〉として「観光、まちづくり、国際交流などの各関連分野における施策との有機的な連携」が目指されている。この改正概要は文化庁のWEBサイトでpdfにて公開されている。https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunka_gyosei/shokan_horei/kihon/geijutsu_shinko/pdf/kihonho_gaiyo.pdf(最終確認2021年11月28日)
また、同じく文化庁が平成30年に公開した「多様なニーズに対応した美術館・博物館のマネジメント改革のためのガイドライン」には「1.ガイドラインのねらい」として「成長戦略「未来投資戦略2017-Society5.0の実現に向けた改革-」(平成29年6月閣議決定)において,地域経済好循環システムを構築する構成要素として,観光・スポーツとともに,文化財の観光資源の魅力を高め,地方創生の礎となるべく文化芸術に関する各種施策が提言された。」とある。この文書も同様に公開されている。https://www.bunka.go.jp/seisaku/bijutsukan_hakubutsukan/shien/pdf/r1389426_01.pdf(最終確認2021年11月28日)

5. 『藝大コレクション展 2021 I 期 雅楽特集を中心に パンフレット』(2021年、東京藝術大学)2頁。

6. 前掲パンフレット、裏表紙。

7. プログラムは1.「舞楽装束「陵王」の着付けと舞の所作」、2.「雅楽の楽器の音色を聴く」(1)「独奏篇 管弦「平調越殿楽」より抜粋」(2)「合奏篇 管弦「盤渉調青海波」より抜粋」、更に「「特別出品 昭和天皇立太子礼奉祝記念《御飾時計》」の太鼓を叩く舞楽「還城楽」童舞人形」と「回転する簾(曜日を象徴する絵柄)」。

8. 前掲パンフレット、3頁。

9. 正倉院についての概説書は複数あるが、ここでは東野治之『正倉院』(1988年、岩波新書)を挙げておく。同書「はじめに」冒頭に正倉院の始まりについて記述がある。更に、同書169頁「Ⅸ 正倉院の近代」では、正倉院御物が明治に調査された際、その調査が学術的目的だけでなく、殖産興業の手本とする意図があったことも書かれている。さらに昭和15年に東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)で一般公開された際の、政治的意図も指摘されている。

10. 国華倶楽部については浦崎永錫『日本近代美術発達史[明治篇]』(1974年、東京美術)「第五章 劃期的躍進時代(明治四十年代)第十五節 国華倶楽部と吾楽の創設」579頁、「上宮太子祭」については同書同節の「二、上宮太子祭」580頁を参照。

11. 前掲パンフレット、6頁。

12. 前掲パンフレット、7頁。

13. 岡倉登志「岡倉天心と万国博覧会(一八九三~一九〇四)」(岡倉登志、岡本佳子、宮瀧交二『岡倉天心 思想と行動』、2013年、吉川弘文館所収)37頁を参照。後藤象二郎や陸奥宗光の存在については同論考の註17を参照。

14. 岡倉天心「鳳凰殿」『岡倉天心全集2』(1980年、平凡社)5頁。

15. 今橋理子「白鸚鵡と美少女(上):鏑木清方《鸚鵡》と《嫁ぐ人》」『学習院女子大学紀要17』(2015年、学習院女子大学)1頁、「白鸚鵡と美少女(下):〈鸚鵡文学〉の祖形としての鏡花小説」『学習院女子大学紀要19』(2017年、学習院女子大学)39頁。なお、本論考はPDFで公開されている。https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3210&item_no=1&page_id=13&block_id=21 及び https://glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3608&item_no=1&page_id=13&block_id=21(最終確認2021年11月28日)。

16. 「コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画」主催:東京ステーションギャラリー、特別協力:福富太郎コレクション資料室、企画協力:アートワン(2021年4月24日~6月27日)。

17. 泉鏡花「琵琶伝」『泉鏡花集成〈2〉』(1996年、ちくま文庫)所収。

18. 「御即位記念特別展 雅楽の美」主催:東京藝術大学、宮内庁、NHK、NHKプロモ-ション、日本経済新聞社、協賛:NISSHA(2020年4月4日~5月31日)※中止。

19. 『御即位記念特別展 雅楽の美』(2020年、東京藝術大学大学美術館、宮内庁、NHK、NHKプロモ-ション、日本経済新聞社)。

20. 「宮内庁三の丸尚蔵館の今後の保存・公開の在り方に関する提言」はPDFで公開されている。https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/shiryo/yushikisya/pdf/hozonkoukai-teigen-4.pdf(最終確認2021年11月28日)。

21. 「第156回国会における小泉内閣総理大臣施政方針演説」は首相官邸webサイトで公開されている。https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/ugoki/h15ugoki/156/156honka.htm(最終確認2021年11月28日)

22. 「第183回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説」は首相官邸webサイトで公開されている。https://www.kantei.go.jp/jp/headline/183shiseihoushin.html(最終確認2021年11月28日)

23. この問題については、佐藤友美「「博物館と観光」をめぐる議論と課題 : 文化芸術立国、観光立国が目指される中で」『社会教育研究年報34』(2020年、名古屋大学大学院教育発達科学研究科 社会・生涯教育学研究室)を参照。なお、本論考はPDFで公開されている。https://nagoya.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=29516&item_no=1&attribute_id=17&file_no=1 (最終確認2021年11月28日)。

24. 「週刊文春」編集部「資料入手 東京五輪閉会式で「天皇も参加する〇×クイズ」演出案」https://bunshun.jp/articles/-/47697(最終確認2021年11月28日)。

25. 総務省「訪日外国人旅行者数の国・地域別の傾向 第1部 特集 IoT・ビッグデータ・AI~ネットワークとデータが創造する新たな価値~第4節 外国人から見た日本のICT・文化 (2)訪日外国人旅行者数の国・地域別の傾向」は総務省webサイトで公開されている。https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h28/html/nc134120.html(最終確認2021年11月28日)。

26.  出入国在留管理庁「令和2年6月末現在における在留外国人数について」は出入国在留管理庁webサイトで公開されている。https://www.moj.go.jp/isa/publications/press/nyuukokukanri04_00018.html(最終確認2021年11月28日)。

27.  グローバルパワーユニバーシティ「日本に住む外国人の数は?日本で働く外国人の数は?日本に住む外国人まるごと解説~【2020年6月末/10月末 最新版】在留外国人統計より~~」https://university.globalpower.co.jp/134886/を参照。(最終確認2021年11月28日)。

28. 明治期の美術におけるナショナリズムと岡倉が果たした役割については前掲書『日本近代美術発達史[明治篇]』(1974年、東京美術)第二章「国粋主義の勃興(明治十年代)」、第三章「新旧思想の対立(明治二十年代)」を参照。

29. 丸谷才一 『裏声で歌へ君が代』(1990年、新潮文庫)。


永瀬恭一
1969年生まれ。画家。東京造形大学卒。2008年から「組立」開始。主な個展に「感覚された組織化の倫理」(M-gallery、2021)、主なグループ展に「エピクロスの空地」(東京都美術館セレクショングループ展、2017)ほか。共著に『成田克彦—「もの派」の残り火と絵画への希求』(東京造形大学現代造形創造センター、2017)、『20世紀末・日本の美術—それぞれの作家の視点から』(ARTDIVER、2015)、『土瀝青 ASPHALT:場所が揺らす映画』(トポフィル、2014)。
https://nagasek1969.wixsite.com/mysite


レビューとレポート第30号(2021年11月)