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周縁化されたもののために——「SUSHI」展に寄せて 山本浩貴

 東京画廊+BTAPで2021年7月から9月にかけて開催された「SUSHI」展は、美術史研究者のペニー・ダン・シュー(徐小丹)とアーティストのニー・ヨウユ(倪有魚)が結成した中国の若手キュレーター・ユニット「Xn Office」とのコラボレーション——2人は協働でアイデアを発展させ、ペニー・ダン・シューが実際の展覧会のキュレーションに関する実務全般を担う——によって実現され、日本、中国、香港、フィリピン、イランから計11組のアーティスト(アート・コレクティブ)が参加した展覧会であった。しかし、会期中にはコロナ禍のために東京都で緊急事態宣言が発令され、そのチャレンジングな問題提起にも関わらず、同展はそれが本来値するほどの注目を集めることなく終了した。

SUSHI展展示風景 画像提供:東京画廊+BTAP


 「SUSHI(寿司)」というストレートなタイトルは、日本のオーディエンスにとってその展覧会をやや近寄りがたいものにするのに十分な響きをもっている。「ゲイシャ」・「フジヤマ」・「ハラキリ」などとならんで、とりわけ西洋諸国の人々が日本を見るときの典型的なステレオタイプとしてしばしば言及されるように、「スシ」は日本の典型的なイメージを表象する言葉として国外で認知される。それはたとえば「カンフー(功夫)」という言葉の相のもとに中国を眺めることと近い部分があるかもしれない。それらのイメージは必ずしもすべてが現実と異なるものではないが、あまりに前面に押し出すと人々の視座を固定化してしまうリスクをはらむ。そのことは、本展キュレーターの一人ペニー・ダン・シュー(筆者は現在ロンドンを拠点に活動する彼女と本展についてオンラインで意見交換をした)もよく認識するところであった。

 このタイトルは、キュレーターたち自身が明らかにしているように、鮨職人の小野二郎を追ったドキュメンタリー映画『二郎は鮨の夢を見る』(2011)からインスパイアされた。アメリカ人監督デヴィッド・ゲルブの目を通して私たちの前に映し出される小野の姿は、かすかなオリエンタリズムに彩られているように感じられる場面はあるが、当時、80代後半という高齢になっても自らの技へのこだわりをもち続ける、彼の仕事に対する持続的な情熱は鑑賞者に感銘を与える。

 小野が強いこだわりを抱く「技術」や「技巧」といった要素は、西洋においても東洋においても等しく文化的な領域から放逐される傾向にあった。「装飾は罪悪である」という建築家アドルフ・ロースの有名な極言に象徴されるように、欧米で発展したモダニズム——美術であれ、建築であれ——のメインストリームはクラフトマンシップの観念を排撃し、東洋の一角・日本では明治期に(万国博覧会の開催などを背景として)「美術」という言葉が使われるようになると際立った視覚中心主義が台頭し、芸術のヒエラルキーにおいて絵画が覇権を獲得すると同時に、技を重んじる工芸はその下層あるいは外部へと追いやられた。

 「SUSHI」展の出展作家たちの作品では、芸術の主流から追放された多種多様な技の力が——それまでの不遇の時期を忘れるかのように——いかんなく発揮されている。同展キュレーターの一人であるニー・ヨウユの「コイン絵画」では、ハンマーでたたいて平らに引き伸ばした硬化の表面に慎重に絵筆を運ぶことで、作家はその小さなスペースのなかにきわめて精緻な風景を出現させている。同様に、中国出身の水墨画家ウー・チャン(呉強)は、一般的な定規程度——たとえば、出展作のひとつ《Light Snow upon Dragon's Well》は34.5 × 4.5 cmという大きさである——の紙や布に見事な山景を描き出す。仏像修復に長年従事してきた瀧本光國もまた、その豊かな経験と匠の技を活かして、自然などの非実体的なものからインスピレーションを受けた小型の木彫作品を制作してきた。

ニー・ヨウユ(倪有魚)
画像提供:東京画廊+BTAP
ウー・チャン(呉強)
画像提供:東京画廊+BTAP


 こうした目立って小さなサイズ感もまた、本展の肝である。現代アートの世界では、一般的に、作品が巨大化していく傾向がある。その点においても、本展はメインストリームに逆行する反骨心を見せる。ウィン・ヨンイェ(雲永業)による伝統的な細密画は、本人の言葉を借りれば、「財布のなかに入れて持ち運びできる」大きさを意識して作られている。杉山健司の《親密な美術館》では、パスタの空き箱のなかに小宇宙のような美術展示空間が生成されている。いずれの作品もたいへん細やかなディテールに富んでおり、それらが精妙な技巧に支えられていることは明白である。

ウィン・ヨンイェ(雲永業)
画像提供:東京画廊+BTAP
杉山健司
画像提供:東京画廊+BTAP


 ほかにも、2次元のイメージを消しゴムで消し、その消しカスを用いて3次元の立体を作成するシリーズを継続してきた入江早耶は、コロナ禍の終息を願って神仏のイメージを3次元化した「消しカス彫刻」を本展に出品している。この作品はある種の「呪術」的要素を含むが、こうした超人間的な要素も、西洋を中心として発展した近代美術においてはしばしば敬遠されていたものであると言えよう。

 本展は、ややトリッキーなタイトルと、中国出身のユニットによるキュレーションというイメージが先行して、ともすると「東洋」や「(東)アジア」という視座からのみ眺められることが多いかもしれない。しかし、ここまで見てきたように、この「SUSHI」展では、古今東西の近現代美術において周縁化された様々な要素に対して丁寧な目配りがなされている。それらのマージナルな要素を拾い集め、出展作品を通して提示していくことによって、本展は、近現代美術の世界における「常識」に疑義を投げかける、非常に重要な問題提起を含んだ野心的な展覧会となりえている。

 最後に、イラン生まれの作家であるシャプール・プーヤンの作品にふれて本レビューを閉じたい。幼少期にイラン革命とイラン・イラク戦争のトラウマ的経験を経て、アメリカで芸術を学んだプーヤンが制作するセラミック・スカルプチャー《ツァーリ・トラウマ》は、原子力施設で頻繁に用いられているドーム型構造を模した形状をしている。このように、「技巧」「クラフトマンシップ」に焦点をあてた本展だが、そうした展示では等閑視されがちな政治的要素も同時に組み込まれている。事実、筆者のインタビューに対して、ペニー・ダン・シューも両者のバランスをとることは意識したと述べた。そのように考えたとき、資本主義システムのなかで硬貨に宿る魔術的な力を技巧によって無化し、既存の「価値」概念に揺さぶりをかけようとする、ニー・ヨウユのコイン絵画が有する政治性も浮かび上がってくる。「SUSHI」展の問題提起がはらむ射程は、限りなく広い。

シャプール・プーヤン
画像提供:東京画廊+BTAP


展覧会ポスター。見出し画像はポスターより切抜き 
画像提供:東京画廊+BTAP


山本浩貴(やまもとひろき)
文化研究者、アーティスト。1986年千葉県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。2013~2018年、ロンドン芸術大学トランスナショナルアート研究センター博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラルフェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、2021年より金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社 、2019年)、『トランスナショナルなアジアにおけるメディアと文化 発散と収束』(ラトガース大学出版、2020年)、『レイシズムを考える』(共和国、2021年)など。



SUSHI展
2021/7/24 – 9/4
東京画廊+BTAP
https://www.tokyo-gallery.com/exhibitions/3296.html




レビューとレポート第31号(2021年12月)https://note.com/misonikomi_oden/n/ne056f12e9a72