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休職、コロナ、そして救急車

嗚呼、どれだけ躰を沈めれば、私は私を赦せるのだろうか

なんかそれっぽいこと書いてみましたがその文体を続ける技量もなく、
休職日記をたった二回記しただけで途絶えさせたこの私です。

この二週間もうそれはそれは、ある意味目まぐるしく、ある意味静かな日々を過ごしました。
体にどれだけの負担をかけただろう。


第一章 心よ鎮まれ ~休職の始まり~

6/11に現職の休職をしました。3月に転職して今の会社に入ったのですが、
あまりにも風土が合わな過ぎたのと、心と体のストレスがすさまじく、
仕事の都合で朝5時45分には起きないといけないのに
夜2時以降にならないと眠れない日々が一か月以上続いてしまいました。

まあ無理だな、と思いカウンセリングを受け、心療内科に行き、
休職となりました。
心を少しでも休ませて、しっかり寝られるようにして、退職の決断をしようと思ってのことです。

いろんな人と話をして、
少しずつ心の整理をつけていた、そんなときです。
だんだんと、体に変化が起こりました。

第二章 火照る体に滾る頭 ~コロナ感染~

体が内側から加速度的に熱くなり、
頭も煮えたぎるように熱くなり、
やがて動けなくなる。

そう、コロナに感染しました

休職で頭の整理をするとか、転職活動をするとか、
今までできなかったことをするとか、
そんな場合ではありません。

何せ体が動かないのです。頭が痛くて動けないのです。

6/18 ちょうど、休職を始めて一週間後、
病院にかかってコロナ陽性との診断を受けました。
その日に一回39.3℃出てしまいましたからね。 仕方ない。

その日から家で隔離生活です。
二階の使っていない部屋に閉じこもり、家族と会わないようにします。

コロナの脅威が2,3年前より薄らいではいますが、
家には3歳の子供も、80歳近い高齢者もいます。

大人一人が隔離されれればそれでリスクを抑えられるなら、
それくらいの我慢はするべき。

ということでただただ寝て過ごす5日間が始まりました。

頭の痛みや体のだるさが何となく続いていたので、
療養期間中は割とずっと寝ていたと思います。

それでも6/22の療養最終日にはだいぶ体も楽になっていて、
ゲームをする余裕ぐらいはありました。

第三章 復活の時、されど体は動かず ~細菌の脅威~

さてコロナの療養期間もあけ、いよいよ家のこと、仕事のこと、
やりたいことを始めようと意気込んだ日曜日、
なんか微熱が続く気がする……。

熱を測ると37.1℃
まあ普通に動けるが、平熱よりかは高いし、ちょっと体が重い。
なぜだ?


6/24 月曜日。
激しい痰の絡みと喉の痛みで声が小さい。
微熱も続く。
……コロナ終わったよな。
とりあえず家で寝込んで安静にする


6/25 火曜日。
相も変わらず続く喉の痛み。
たまらず耳鼻咽喉科を受診。
喉の炎症に加え、少しばかり蓄膿症になっているとのことで、
薬を3種類もらう。
その日から飲み始めて、喉は少し回復したような気がするが、
逆に熱が出始める。
家で寝込む。


6/26 水曜日。
熱が37.6℃
いよいよおかしいぞ。コロナが続いているのか?
ずっと家で寝込む。


6/27 木曜日
38.2℃に上がる。これはダメだ。
ずっと寝込む。
そして夕方に内科を受診する。
レントゲン、血液検査をしてみて、
どうやら血液内にかなりの量の、ばい菌があるとのこと。
熱が下がらない原因はこれだろう、ということで、
15分くらい、抗生物質入り?の点滴をする(詳しくは覚えてない)
そのあとは体が幾分か軽くなった。


6/28 金曜日
体がだいぶ軽い
いつの間にか喉の痛みも治まっている。
痰は絡むが蓄膿症を治す過程でそうなるらしい。
けれど一応安静にしておこう。明日は出かける準備がある。
家でゆっくり過ごす。


まあこんな感じでばい菌が入っていたようで、
コロナ療養が終わっても
ずっと寝込んでいました。何もできなかった。

第四章 子どもが喜ぶ白い車体 ~救急車襲来~

6/29 土曜日
さて今日は、外出の予定。それなりに身なりを整えて朝を過ごしていました。
ちょっとお腹を下していた自分はお手洗いに。
そしてそれは突然やってきました

お手洗いを終えて少し経ったとき、
急な腰痛に襲われました
それはやがておなかのほうに移っていきます。

「なんかめっちゃ腰と腹が痛くなってきた」

と、リビングにいた家族に言い、
そこにあったソファで横になりました。

けれどなかなか痛みは引かず、
家族から離れようとリビングの隣の部屋に行き、
一人休んでいました。
すると痛みはどうでしょう。
だんだんと、胸のほうに激痛が走るようになりました。
胸なのか肺なのか、痛みがどこからかわかりません

やがて座っていることすらできなくなり、床で横たわり、うずくまり、
唸っていました。

そこに、ふらっと来た家族が私を見て、「え、大丈夫…?」
と。そこから少し私の容体を確認してみるものの、
痛みは引くどころか悪化して、
私は胸を押さえ続けるしかできません。

「救急車呼ぶね」

となってから救急隊が来るまで、
5分あったかどうか。

いやほんと、こんなに!?ってぐらい早かった。
すぐ来た。

ありがたかった。

どうやら急性腸炎だったようで
点滴やら痛み止めやらで和らげてもらうだけで終わりました。
午前中に病院に搬送された私は14時には家に着くことができました。

そんなこんなで昼以降はまたも安静にしておくべきと、
一日寝て過ごしました。

ちなみに3歳半の子供は救急車に大喜びだったそうです。
親が大変な時に、まあのんきなこと。
「本物が家に来た!」ってそんな感じで。はしゃいでいたみたい。
それも助かりましたね。下手に心配されるよりかは、
救急車が来たことに楽しんでくれていたほうが、こっちも安心できる。
よかったね、救急車が来て。私の体調も良くなったし、
子どもも喜んだし。
一石二鳥


あとがき ずっと寝込んだ二週間


と、まあこんな感じで体調不良に悩まされ続け、
ずっっっっっっっっと寝込んでいた二週間でした。
noteを書く気力もなかった。(ゲームをする気力はちょっとあったけど笑)

いやほんと、何もすることなかったのに、何もできなかった。
時間はたくさんあったのに、寝る以外のことができなかった。

コロナ療養中がもしかしたらまだましだったかもしれない、そんな具合でした。

この休職期間、
休職している罪悪感とか、自己肯定感の低下とか、それらを少しでも和らげたかったのですが、
もうそんなことをしている暇がなかったぐらいに、
自分の体を痛め続けていたような気がします。
今まで心と体を張りつめて生活してきたその反動で、一気に来たのかな、
なんて思っています。
けれどそんな時間の過ごし方でしたが、罪悪感みたいなのは変な形で吹っ切れたような気もします。
どうにかなるか、みたいな。

皆さんもストレス抱え込まないようにしましょう。
体は大切に。体調がわるいと思ったら、病院に行きましょう。
そして、まずいと思ったら救急車、頼りましょう。

……この二週間、診察・治療・薬の費用で、二万円は超えた


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