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恋人の趣味と夢と私

私の恋人には夢がある。
それは「バスの運転手になること」だそうだ。
元々車が好きな人で、今の時代でも普段からMT車を運転しながら私に西鉄バス講座なるものを開いてくれる彼のことだ。納得である。

そんな彼と先日、「バス運転者募集合同会社説明会及び、バス運転体験会」に行ってきた。
各バス会社の会社説明を聞き、バスの運転体験ができるという名前の通りのイベントだ。

希望の会社の会社説明を聞き終わるのを待ち、バスの運転体験をする彼を眺めて待っていた。
全てのスケジュールが終わって会場から戻ってきた彼の顔は、とても晴々と満たされた顔をしていた。

彼の将来の夢とバス会社事情


私は以前から彼から「バスの運転手になりたい」といった話を聞いていて、私はそれに対して「いいんじゃない?なっちゃえば?」と半ば呆れたようにからかうように笑いながら返していた。
「バスの運転手になりたい」という彼が小学生の頃から抱き続けた気持ちが、長い年月を経てついに「バスの運転手になろう」という気持ちへ変わってきているのだ。

その説明会の帰りの車内でバス会社の事情を彼から詳しく聞いてみた。
バス会社は基本的に万年ドライバー不足で、朝も早く帰りも遅いことがあるそうだ。
休日だって週休2日取れるか分からないらしい。
加えて給料も、一般の企業の給料に比べたら相当低いらしい。万年ドライバー不足も納得せざるを得ない。
どうやら彼は、そういった諸々の事情からバスの運転手になることを私に応援してもらえるとは思っていなかったそうだ。



彼の趣味の話

さて、そこで彼の趣味の話をしよう。
彼の一番の趣味はバスオタクをすることだ。

私はそんな彼から「西鉄バス講座」なる講義を開いてもらい、一日バス乗車券なるものを購入してバスの旅までする予定だ。
私が嫌々付き合っているなんてことは全然なく、彼から聞くバスの話はとても楽しいものだ。
車にさして興味のなかった私がバスだけでなく、乗用車やトラックにまで興味を抱いているほどだ。
今年の9月末にはトラックをレンタルしてトラックデートなるものまでした。
バスに乗りながら彼からバスについての話を聞いて福岡の地を巡る。楽しいに決まっているじゃないか。
着いて行かないわけがない。仮に着いてくるなと言われても、しがみついて着いていってやるつもりだ。

こうして私は嬉々として、バスオタクの彼に見事に染められているわけだが、どうやら彼としては意図した結果ではないらしい。
まさか免許も持たない故に車にも興味のない私が、こうしてバスオタクの趣味に付き合ってくれるとは思っていなかったようである。
どうやら、彼からしたら私は寛大な彼女のようだ。



理解してもらう努力と歩み寄る努力


さて。では、私は本当に寛大なのだろうか。
答えはNOだ。
私はそんなに心の広い寛大なアニメのヒロインみたいな女の子ではない。(そもそも女の子という年齢ですらない)
私がバスオタクの彼に付き合って西鉄バス講座を開いてもらったり、彼の相棒であるデミオの洗車を汗水垂らしながら一緒にやるのは、単純に私がそうしたいだけだ。
彼のため、などというお綺麗な大義名分は残念ながら持ち合わせていない。
私は彼の喜ぶ顔が、幸せそうに笑う顔が好きだ。
そしてその理由に、私が存在していたいだけなのだ。

基本的に人は、異性としてでも友人としてでも、好きな人ができたら自分の世界に引き込もうとするものだと思う。
自分の好きなものを相手にも好きになってもらおうとするものだと思うのだ。
それ自体は普通のことで、別に悪いことではない。
むしろ自分の好きなものを相手に分かってもらえるまで説得して、理解してもらう努力をするという、努力の形の一つだ。

ただ、立場を逆にして考えてみたらどうだろうか。
人に合わせるというのは、多かれ少なかれ疲れるものだ。
自分が相手に理解してもらおうと努力している反面、相手も理解しようと努力しているのだ。
自分の世界に相手を引き込む。
もしかしたらそれは、相手を疲れさせていることに繋がってしまうのかもしれない。
本来であれば互いに歩み寄って、互いが互いを理解することができればそれが一番の理想だ。
だけど現実、疲れてでも自分から歩み寄ろうとする人は案外少ないように思う。

誤解しないでもらいたいのは、それをできている私はすごいなどと妙なマウントを取りたいわけではない。
ただ、自分から歩み寄って相手を理解してみるのも案外悪くないということが言いたいのだ。
別に肌に合わないそれを無理に好きになれとは言わない。
けれど物は試しというように、偏見や先入観無しに触れてみたら案外良いものかもしれない。
何より、好きな人が喜ぶ理由の一つに私が存在できるのだ。
これより嬉しいことはこの世にあろうか。



私とバスの運転手を目指す彼と少し先の未来の話

朝も早くて夜も遅く、休日も週休2日は取れない。
彼と一緒にいられる時間が減ってしまうのは寂しい。
だけど、それだけだ。
お金は稼ごうと思えば手段はいくらでもある。
寂しい思いをする分、彼といる時間を無駄に過ごしてしまわないための努力ができる。
そして彼は、仕事の話をとても楽しそうに私に話してくれるのだろう。

好きなものは、どう足掻いたって諦めきれないものなのだ。
かつて私がバスケを辞めようとして、嫌いになろうとして、それでもいつものコートへ足を伸ばしてしまったように。
それはもはや病的だとさえ思う。
そんな、取り返しのつかないレベルの話なのだ。
それを他者からの言葉一つで諦めさせようって方が無理な話だ。

彼からバスに限らず車関係のものを取り上げようものなら、彼は私と一緒にいることよりも自分の夢を、自分の相棒を守ろうとするだろうか。
だけど、私はそれで良いのだ。私より大事なものが、譲れないものがあってほしい。
それが彼にとっては自分の相棒のデミオと、小学生の頃から抱き続けた夢なんだろう。
どうせ彼は私が反対したところで、我慢できずに転職してしまうのだ。
それならばもう、私がどれだけ反対したって意味がないじゃないか。

私は、運転をしている彼を見るのが好きだ。
バスについて話してくれるのが好きだ。
運転中が一番かっこいい彼が大好きなのだ。
そして彼自身も、運転をしている時の自分が一番好きで、一番かっこいいなどと思っているのだろう。
本人さえもそう思っているのなら、説得したところでどうせ私が根負けするのがオチだ。

バスの運転手なんて思っている以上に大変な仕事だ。
今のゴールド免許がたった1回の車内事故でも消え失せる。
乗車している人十何人、多ければ数十人の命が自分の肩に、両腕にかかっている。
そんな重たいものを持ってバスを運転する彼は、さぞかしかっこいいのだろう。
それに、彼は自分のブログで「バスの運転手になれないまま死んだらどこかの営業所に地縛霊にでもなってしまいそうだ」なんてことを書いていたが、それならさっさと運転手になってしまえ。
営業所の人にとってはいい迷惑だ。

ひやむぎさんがバスの運転手になった暁には、そのバスに乗って運転の粗探しでもしてやろうじゃないか。
私はそんな少し先に待っているであろう未来が、楽しみでたまらないのだ。

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