マイノリティで生きること

#アイデンティティ #国籍 #言語 #英語


「デンマークって何語?英語?」
「デンマーク語(笑)」

渡航前、何度このやりとりをしただろうか。


口にポテト入れたみたいに話すデンマーク語。アルファベット+3文字(æ, ø, å)で、文構造は英語と似てるけど、発音が難しい。

じゃあどうやってコミュニケーションとってるの?っていうと、英語。みんなネイティブなんじゃないかってくらいペラッペラ。英語を英語で教えられてきたこと、英語の新聞やテレビに小さい頃から触れてきたことが要因みたい。友だちは「デンマークは小さな国だから、他国と上手くやらなきゃなのよ。だから英語勉強するの」って言ってた。ひえぇ。


私の学校の公用語(?)は英語なので、集会などでは英語が用いられている。授業も一部は英語。ただし、圧倒的にデンマーク人が多いため、日頃はみんなデンマーク語でやりとりしている。

そりゃそうだよね。 ペラッペラとはいえ、第2言語よりも母国語の方が喋りやすいし、細かいニュアンスも伝わりやすい。私も日本人同士の時は日本語で話しているから、すごくわかる。


でも、たとえばご飯のとき。みんなでテーブル毎に座って食べるのだけど、10人のうち私だけが留学生なんてこともある。誰かが気遣って英語に変えてくれることもあれば、そうでない時もある。



正直、ご飯の美味しさはここで決まる。



(嘘です。いつもご飯めちゃくちゃ美味しくておかわりしてます。キッチンのおじさんごめんなさい…)


前提として、みんなめっちゃ親切で優しい人たちなんです。絶対に英語で話しかけたら話してくれる人たち。でも、デンマーク語で盛り上がっている会話を壊したくないという、この葛藤。あくまでアウトサイダーなのだと自覚する瞬間です。


ここに来て、人生ではじめて「マイノリティになるってこういうことなんだ」とわかりました。

差別があるわけじゃない。ただ、ふとした瞬間に「ないもの」として扱われる感覚


昔、マイノリティの歴史を教科書で読んで、彼ら/彼女らが酷い扱いを受けていたことを知ったとき、「なんて酷いんだ…」と悲しくなった。でも、自分がそちら側の立場になるなんて、考えたこともなかった。


自分は無意識にマジョリティ側にいた。



居場所がなく感じている人たちに敏感でありたい。きちんと手を差し伸べる強く優しい人間になりたいと、心に誓った。



…ここで終わると思ったでしょ?

実はまだ、続きがあります。私はこの環境でも「ホームシック、ぴえん(涙)」みたいには全くなっていません。むしろアウェイな環境でも、なんだかんだ楽しく暮らしています。


なんでかな、と考えてみると…


「同じ人間だけど、何か?」


みたいな割り切りが、自分の中でできてきたからだと思います。


たしかに、ここにいるみんながパーフェクト金髪美男美女にみえるけど、本当は見えないところでたくさん悩んでいるのも知っています。中身は私と一緒。そこに自分で線引きをつくってしまうのは、もったいない。


まだまだ話したいことに自分の英語が追いつかなくてもどかしいけれど、そこは残り5ヶ月のミッションです。「がんばろう」というよりは、「ありのままの自分でいよう」。これが私の戦術です。


読んでくださり、ありがとうございました。

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