見出し画像

感情吐露

ガールズバンドクライというアニメを3話まで見た。

今のところのストーリーは、「夢を持たない思春期の女の子が、高校を中退して上京し、そこでずっとファンだったシンガーソングライターの女性に出会う」みたいな話。当然バンドを組む。

正直めちゃくちゃ面白い。
何が面白いって主人公の女の子、井芹仁菜。こいつがヤバい。

初めてこの子を知ったのはTwitterで回ってきたブチギレフィギュア。その時点でもう面白い。

なんでこんなにキレてるの?

本編を見ると、最初はむしろ大人しそうなキャラクターなのに、隙を見せるとキレてくる。正直怖いレベル。すぐ熱くなる業務用電子レンジ。そしていつ爆発するか分からない。まさに歩く地雷女。

まぁでも感情ぐちゃぐちゃなのも理由がありそうだし、むしろ10代で達観してるのも現実味がないから、これはこれで良い。素直さに好感が持てる。

で、仁菜を見て思ったのは、俺ってやつは子供時代全然わがままを言わない子だったのではないかということだ。

仁菜は何かを変えたくて、周りに負けたくなくて(押しつぶされたくなくて)、高校を中退して、東京に部屋を借りてもらって、なんならお金を支援してもらってる。一見かっこいい行動だし、未成年だし援助があるのは当然かも知れないが、これは立派なわがままと言える。


一方自分(筆者)を振り返ってみると、順風満帆とは言わないが、なんと穏やかな人生であったことか。

我が家は所謂普通の家庭であったが、かなり恵まれていると自覚できる「良い家庭」だった。

鉤括弧をつけて、「だった」と過去形で書いてしまうと今はなにか問題があるように見えるけど、そうではなく、マジで良い家庭環境だったので、強調の意味での鉤括弧だ。

まず両親の収入。
おそらく軽く1000万プレイヤーの父親、自営業の母親、俺と兄貴を育てるに十分な収入だ。
それでいて驕りがない。しっかり節約するし、無駄遣いもない。勉強や習い事に関することでお金を渋られたことはない(なんなら俺が渋ってた)。ゲームには少し難色を示していたが、お小遣いも平均ぐらいは貰ってたし、スポーツ用品や勉学に必要なもの、服や靴などはすぐ買ってくれた。

そして教育。
知識があり勉強家、スポーツにも付き合ってくれる家族サービス5億点の父親。勉学は不得意?だが生活力が高く、マナーや立ち振る舞いに厳しい母親の元で育った。しかし教育に縛りつけられらたりすることはなく、いつでも自主性を尊重された。本当に嫌がることは辞めさせてくれた。2、3年続けた少林寺拳法は本当に嫌で、辞めたいと言った時、すぐ辞めさせてくれて安堵したのを覚えてる。あと水泳。

なにより言いたいのは、家族間の仲の良さ。喧嘩したことはほとんどなく、反抗期というものは存在しなかった。いやあったかもしれないが、この両親に反抗するほどのものを持ち合わせていなかったし、普通に家族が好きなので反抗する理由もなかった。

父親が仕事の文句を言うのは俺と出かけてる時に職場から電話がかかってきた時、つまり「家族といる時間を邪魔された時」だけ。家で仕事の愚痴なんか聞いたことなかったから、自分がサラリーマンになった時にそれはもう驚いた。そこには仕事の愚痴だけで2時間の生放送をノンストップで喋り続けられた俺がいたからだ。

母親はいつも父親のことを尊敬するように俺たち兄弟に諭していた。チリひとつない家を維持し、美味しいご飯が毎日作り、必ず俺より早起きで完璧な朝飯の準備をし、周囲とも協調できる…そんな母親の事を尊敬しているのに、その母親から「お父さんは凄いのよ」と言われたら、仕事してる姿を見なくても、良い父親であることがわかる。っていうか体感で良い父親だし。

創作なんかで母親が父親の悪口を言うシーンにいつも母親は憤っていた。それはそうだろうな、とその姿を見ていた。


この何一つ不自由のない環境でマジでのほほんと何も考えずに育った俺だが、今にして思うと「やり過ごすこと」のみが行動原理だった気がする。

「やり過ごす」ことさえ出来れば、頼り甲斐のある両親と、恵まれた環境が全てを解決してくれるからだ。

進路も正直適当に決めたし、やりたいことなんてなかったからやることなすこと全て流れに身を任せていた。


そこで本題に戻るのだけど、俺は「わがまま」を言わない子供だった。まぁ正しくは言う必要がなかった?いやそれも違う気がするけど、そんな感じだ。もしくは「わがままを言うことに引け目を感じていた」かな。

一般家庭でありながら完璧な両親を困らせたくないとか、変な子として見られたくない、自信がないとかで、本当に凪のような人生だった。

だから家庭でも学校でもバイト先でも出先でも本当にいい子だったと思う。というか無害な子の方が正しいかも。

その点、先に上げたガールズバンドクライの仁菜は死ぬほど周りにキレるし、ちゃんと感情を吐露して、しっかり反省してる。羨ましい。

別にやりたいことはなかったけど、子供時代にわがままが言える子だったら何か変わってたのかな?と思った。別に両親を憎んでるとかはマジで一切ない、感謝してるので、別軸の悩みとして聞いてもらえたら幸い。

なんとなく、ものづくりをしたいなという気持ちだけはあって、オリジナルのフィギュアを作ってみたり、棚や小物入れを作ってみたり、中途半端に絵を描いたり…と小さい頃にこそこそとやっていたものも「友達に見られると恥ずかしい」で辞めちゃったりした。っていうかこれに関しては、俺の同級生の女子を家に招いて料理教室をやってた母親に少し原因がある気がするが、それも文句は言えなかったし、時すでに遅しだ。
男の子は誰しも同級生の女の子に自分の内面を知られたくないものだ。


中学も高校も、それはもう平凡だった。

大学生になってもそれは変わらず、とりあえず卒業出来るだけの勉強をして、なんとなーく就職して結婚して死んでいくんだと思っていたものだから、気合いを入れて学生生活をしてはなかった。なんなら真に仲のいい友達とかも出来るとは思ってなかった。

でもあれやこれやで麻雀やカードゲーム仲間が出来たりして、動画投稿なんて始めちゃって、「もしかしたら自分にも何か面白い事ができるかも?」なんて思ってた矢先、少しの事件。


父親が鬱病になった。


これは大事件だった。
なんせ順風満帆に見えた父親の人生にそんな影があると思わなかったので。っていうか父親の心労とかこの時まで一切考えてなかったんだとその時気づいた。

まぁ今は治ってるし、その背景を詳しく書くのはなんか父親に後ろめたさを感じるので割愛するが、原因は仕事にあった。というか転職活動が上手くいかない事だった。

それってそんなに心に来ること?と思いながらも、つまずく事の少ない父親の人生において、かなりショッキングな出来事だったのだろう。

色んな話をした。それでも俺自身は正直「そんな大げさに捉えなくてもいいのに」って思っている節がまだあるけど、推論として、父親のアイデンティティは「仕事をして家族を養う、不安にさせないこと」だったのかなって今になっては思う。だから転職先も選ばなければならないし、決まった転職先でも責任感の強さからかなりの労働を強いられ、益々病んでいった。

その時ばかりは母親も本当に辛そうだった。
俺は一人暮らしで他県にいたから詳しい状況を正確に把握できてないけど、顔を見て声を聞くだけで悲しい気持ちになるぐらい辛そうだった。あの元気な母親が、という気持ちだ。もっとサポートしてあげれば良かったんだけど、俺も何やっていいか分からなかったし、父親に俺の言葉は届いてなさそうだった。なんなら一緒にいるとずっと謝られてた。

育ててもらって金を出してもらってる身でなんだが、俺は大学に微塵も思い入れがないし、何を学んだわけでもないから辞めても良かったし、楽観的ではあった。ただ働くの面倒だなってぐらいだ。

父親の感情も早めに吐き出させてあげてれば、父親も母親も苦しまなくて済んだのかなって今になって思う。まぁどうしたら良いのかはわからないけど。


そしてその時に思った俺のクズ的結論として、

「こんなに苦しむなら働きたくないな」

というものだった。
仕事をしてくれる父親には感謝してるけど、大好きな父親が苦しむぐらいなら仕事を辞めて代わりに家族みんなでバイトでもしてた方がいいし、別に贅沢もしてないから、もうよくね?ぐらいの気持ちだった。元気になったらまた働こ!って心のギャルが言ってた。

そしてマジで申し訳ないんだけど、その気持ちが継続してしまい、就活は数件で終わらせた。終わらせたっていうのは、完了した、じゃなくて諦めたという意味。良いところまで行ったところもあるけど普通に辞めた。興が乗らなかった。



そしてここでマジで最悪のタイミングだったのかもしれないが、人生で大きなわがままをした。

「就活せず実家に帰る」ことだ。

父親は依然後遺症が残っていたし、仕事も辛そうだったのにも関わらず、だ。最低だ、俺って。

まぁ結果的には家族の時間が増えたし、数ヶ月後にバイト始めたら働くの楽しくてそのまま就職しちゃったし、転勤の時は父親ガチで悲しそうだったし、「転勤やめて家にいれば良いのに…」って冗談を言う目は笑ってなかったのを今も鮮明に覚えてる。だから結果は良かったかもしれない。

でもこの時初めてわがままをした気がする。
奇跡的になんとかなってるけど、今考えると恐ろしいほど楽観的だ。家族崩壊もありえた…いや、それはないと分かってたから甘えた部分もあるかな。

そして今は2度目のわがままで「せっかく頑張って手に入れた仕事をやめてYouTubeに専念する」を行った。

正直手放すには惜しい職場だったから、特に母親が驚いていた。年収も高かったし、名が知れた企業だったから、母親にしたら意味不明だろう。

親からしたらたまったもんじゃないだろうけど、我が家は自主性を重んじるので、特に深くは聞かれなかった。
多分ニートで実家に帰ったことを超えなければ許されるのかもしれない。

でもこれで安定した仕事、結婚、子育て、老後の面倒を見る、みたいな未来にはモヤがかかったし、正直実現不可能なとこまで来てるかもしれないが、そこについても深くは触れられてはいない。たまに小言を言われるぐらいだ。


それらを踏まえてだが、今もわがままは言うようにしている。

サラリーマン時代からそうだったが、やりたくないことはやらない、ストレスになるものは避ける、関わりたくないものは関わらない。欲望のままドカ食いをする、などだ。

それがトラブルに繋がることもままある。
正直俺がわがままを言ったり、そういった行動を取る時、誰かの負担になってるのは間違いないからだ。しかしそこはもう変わらない事に決めている。自分自身をそう規定した。もちろん限度は超えないようにしてるし、わがままを言った分は他で取り返すようにはしてるけど。

あとガチでドカ食いすると体調悪くなる。

今はYouTubeをやったり、諸々でお金をいただいている状態だが、これは俺のわがままにみんながついてきてくれてる結果であると自負している。言わばみんなの優しさでご飯が食べられている状態。ドカ食いではなく。


人に恵まれていて、環境に救われている。運がいい。

過程はどうであれ、自分の感情通りに動いた結果が今だと思うと感慨深いものがある。

最近は公式さんと仕事させて貰ったりして、繋がりも増えたからわがままも言えなくなるのかな?でもこれもあの日のわがままの延長上の出来事か。


これがどこまで続くのかは分からないし、終わりは近いかもしれないけど、そこまではわがままを通そうかなと思っています。


「最悪実家に帰ってニートするか」はもう一度使ったから使えないのが悩みどころだ。


以上、読んでくれてありがとう。

ミソ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?