_猿_

「日記」


今日のキーワード「日記」


『7月30日』 


家に帰るとそこにはサルがいました。
フローリング張りのリビングに、ぽつんとサルが座っていたのです。


僕はその光景を見て、小さな声で、「サルだ」とつぶやきました。


「なんで家にサルがいるんだろう」


そんな最初に思うべき疑問は、冷蔵庫を開け、ひょっとこ顔で麦茶を飲んでいる時にやっと追いついてきました。
人間、あまりの非日常が日常に紛れ込むと、思考のスピードがゆっくりになるみたいです。
麦茶を飲み終わってから、僕はもう一度サルを横目でみました。
サルが、家のリビングで、体育座りしています。


僕は子供携帯を取り出し、お父さんの番号をゆっくりと入力しました。
090-1919-2424
いくいくにしにし
変な番号
プルルルル、ガチャ
お父さんはわずか1コール目で電話に出ました。
営業マンをしているため、ここら辺はすごく早いのです。


僕はお父さんに「家にサルがいるよ」と小さな声で言いました。
なんだかサルがこっちを見ているような気がして、小声になってしまいました。
なんだ、サルの件か。父はそう言いました。
「サルの件」という言葉を聞いたのはこの時が初めてです。


そのサルは、お父さんが昨晩、麻布十番で拾ってきたらしいのです。
高級住宅街の庭に生えているビワを勝手に食べているところを捕えたんだとか。
誰にも相談せず、勝手に連れて帰ってくるあたりは我が父ながらクレイジーです。
ちょうどお母さんと離婚したばかりで、寂しかったんだと思います。



しかし、これを聞いても僕はあまり動揺しませんでした。
逆にチャンス。
そうです、夏休みの自由研究にするのです。



ということで、これからサルの観察日記をつけていこうと思います。
名前は・・サル日記。
うん、なんだかいい響き。


『8月2日』


サルが立ちました。


昨日の夜、寝る前に見たときはまだ体育座りをしていたのです。
けれど、今朝は、立っていました。
早起きした僕を出迎えたのは超展開でした。


・・・二の足で立つサル。
フローリングの一点を見つめながら、微動だにしないサル。
普通の小学生だったら直視できないような代物だと思います。


だけど、僕はこれはチャンスだと捉えました。
サルチャンス。


ラジオ体操に連れて行こう。
みんなをびっくりさせてやるんだ。
動物園でしかサルを見たことがない同級生に、そっと差し出す生のサル。
こりゃあいい。


思い立ったら行動が早い僕。
まだ朝の靄がかった気候の中を、僕はサルの手を引いて、お寺の境内を目指しました。
その道中も、サルは歩いているというより、立ち滑っていました。
そのため、アスファルトにはサルの毛が転々と残っていきます。
童話「ヘンゼルとグレーテル」にもこんな描写があったなぁ、僕はそんなことを思いました。


古いお寺の境内にはすでにたくさんの子供たちがいました。
そして僕とサルはその多くの視線を浴びることになります。
そりゃそうです。僕が新規の友達感覚でサルを連れてきたのだから。
あちらこちらから「サルだ」「サル・・」「エテモン・・」といった言葉が聞こえてきました。
いつもは僕にちょっかいを出してくるたかふみくんも、今日はぽかんとしています。


「ラジオ体操第1〜」


お馴染みの音が流れ始めました。ラジオ体操の開幕です。
みんなサルをチラチラと横目にしつつ、体を動かし始めました。
しかし、サルは、立ったままです。
小学生がラジオ体操をする中に、立ちぼうけのサルが一匹。
まるでサルに踊りを奉納する新興宗教のようでした。


「チャンチャンチャ〜〜ン・・・それではまた明日」


ハツラツとした男性の声で、今日もラジオ体操は終わりを迎えました。
僕は首元にうっすらと汗をかき、気分は爽快です。
しかし、他のみんなはと言いますと、とてもげんなりした様子。


多分、サルが立っていたからだと思います。始まった時と全く同じ位置で。


「ラジオ体操で動かない」
こんな選択肢は小学生には存在しないので。


微動だにしないサルと立ちぼうけの子供たち。
それを包むように、セミの鳴き声だけが境内に薄くこだましていました。


ここで、今日の発見のコーナー。
よいしょ。


これは推測なのですが、サルは人間の、おそらく僕の行動を1つずつ学習しているのではないでしょうか。
体育座りに始まり、次は立つ
サル真似という言葉があるくらいですから、このくらいは何も不思議じゃありません。


明日はどんなことをしてくれるんだろう。
どんな方向に成長するんだろう。
今からワクワクです。


『8月8日』


みなさん、驚かないで聞いてください。


サルが、手を、使いました・・・


あぁ、ペンを握る手が今でも震えています。
それくらい衝撃的なことだったのです。
小学4年生の僕にはあまりにも!衝撃的なことだったのです!


ぬもりんちょ・・


すみません。
興奮のあまり、「ぬもりんちょ・・」と書いてしまいました。
いいや、僕が「ぬもりんちょ・・」と書いてしまったことなんて、今はどうでもいいのです。


ふぅ。
今まで、僕は人間とサルには大きな違いがあると思っていました。
些細かもしれないけれど、とても大切な違い。


そう、それは手を器用に使うかどうか。


そこには大きな川のように、はっきりとした隔たりがあると今でも思っています。
しかし、うちのサルはそれを見事に超えたのです。
僕はその歴史的瞬間をこの目に収めることができました。


興奮もおさまってきた今、その瞬間について書き残そうと思います。


それは今日の晩御飯時。
僕たち家族は珍しく一緒に食卓を囲んでいました。
僕、お父さん、そしてサルの3人。
サルはおとなしくリビングの椅子に座ってバナナを小口で頬張っていました。
僕とお父さんはその様子を見ながらレトルトのカレーを食べていたんです。


パクパクパク
サルはサルらしい動きでバナナを3口ほどで食べ終わると、じっと前を見つめたまま動かなくなりました。
最近わかったことなのですが、サルには動きと動きの間にインターバルがあるみたいです。
工業機械のように、動きと休憩を繰り返す習性があるのでしょう。


お父さんはそれを見ながらニヤっと笑いました。
何か良からぬことを思いついたようです。


「おい、サル。お前の体毛の色に似た、このスパイシーな香りの料理を知ってるかい?」


お父さんは食べかけのカレーが少し乗ったスプーンをサルに突きつけながらこう言いました。


「知らないよなぁ。サルだもんなぁ。こんなにうまい料理を知らないんだもんなぁ。かわいそうだよなぁ、不憫だよなぁ、見てらんないよなぁ」


見てられないのはお父さん、あなただよ。
サルに対してマウントを決め込む父親の横顔は、別人のように歪んでいました・


「ほら、少しでも食べてみたらどうだ。ほれ、ほれ、ほうれ」


最近学校で勉強した舟成金の挿絵にそっくりでした。
「ほうれ足元が明るくなつたろう」のやつです。
お母さん、お父さんは少し疲れてるみたいです。
1人になった途端、弱さが前面に出てしまう人間になってしまいました。


こんな食卓は嫌だよ。
僕はもっと楽しくご飯が食べたいよ。
だって夏休みなんだもの。
夏休みの家族の食卓はもっと朗らかなはずだもの。


お父さんの暴挙を止めるべく、僕は椅子から身を乗り出そうとしました。
メロスの気持ちです。
僕は暴虐無知なる父親に制裁を加えるべく意志と拳を固めたのです。


その時でした。
僕よりも先にサルが動きました。
一瞬のうちに、父親の手に握られたスプーンを奪いさると、その勢いでカレー皿を手元にたぐり寄せたのです。


僕とお父さんは目がまん丸になりました。
サルが素早く動いたところを見たのは初めてだったので。
お父さんの口からは「んおっ、なんでい」と言葉が漏れ出しました。
急に動かれたもんで、江戸っ子口調。


そんなことはお構い無しのサル。
僕らの視線を集めたまま器用にスプーンを操ると、口元にカレーを運び咀嚼(そしゃく)し始めました。


くちゃらくちゃら。
サルの口から少しエッチな音が聞こえてきます。
なんでかわからないけれど、「エッチだ」と思ってしまったのです。
まるで、、、その、、果実を初めて、握った、乙女の、、はい、、すごくエッチでした。


そんなエッチな音と、サルがスプーンを使ってカレーを食べている絵面。
この2つは僕を静かに興奮させていきました。
横に座っていたお父さんも同じだと思います。
見えないように股間をゆっくり揉みしだいていたので。
まぁ、見えてはいたんですけど。


そんなこんなで、今日はサルの飛躍の1日になりました。


「座る」「立つ」「手を使う」


サルのアビリティは一層の充実を見せていきます。
それを近くで見ていると、僕はまるでお父さんになったような気分になります。
楽しい。正直楽しいです、この日記。


あと、もう一つ報告があります。
サルに名前をつけてあげようと思いました。
今日の一件で愛着が飛躍的に湧いたのも理由の1つです。
まぁ、それよりもサルをサルと呼ぶのがしんどくなってきたっていうのも大きいですね。


今日はもう眠いから明日の自分に任せることにします。
それではおやすみなさい。
いい名前が思いつきますように・・・




『8月20日』


いま僕は明かりを消し鍵をかけた自分の部屋で、月明かりを頼りにこの日記を書いています。
口に左手をあてがい、吐息がなるべく漏れないようにしながら。


あぁ、なんでだろう。
どうしてだろう。
こええ。


あの、
サル彦(さるひこ)が夜中のリビングで、パソコンを駆使していました。
それもものすごい速さで。


僕は怖くて、すぐには動けませんでした。
なんせ、喉が渇いて麦茶を取りに行っただけなのに、そんなものを見てしまうとは少しも思っていなかったから。。。


僕は息を整えると、サル彦に見つからないように柱の陰に移動しました。
サル彦が操作しているパソコンの画面をどうしても見なければいけない。そう思ったんです。


サル彦は高速タイピングでなにやらwebサイトを渡り歩いているようでした。
集中しているため、こちらには気づいていない様子です。
床の軋みと吐息に気をつけながら、僕は柱の陰からゆっくりと顔を乗り出してみました。
そしてパソコンの画面に表示された文字を読んでみたんです。


サル-Wikipedia


サルがサルのwikiページ読み込んでる。
ほおお
こええ


サル彦は自分の種族である「サル」について熱心に情報収集していたのです。
僕は恐怖で硬直する自分の体を無理やり動かし、部屋まで帰り着きました。
喉は乾ききり、ワキの下には大量の汗。
まさにジリ貧。


どうしましょう。
サル彦の成長は僕の予想をはるかに超えていたようです。
ここ10日近くはなんの変化もなかったのに・・・
水面下ではこんな活動をこっそりと続けていたのかな。
賢いサルになるように、そんな思いを込めてつけた「サル彦」という名前がいけなかったのでしょうか。
僕の名前の「正彦」から一字拝借してつけたのがいけなかったのでしょうか。
いや、理由はわかりません。
サル彦はあまりに速いスピードで賢くなっているようです。


とりあえず眠るしか選択肢は思い浮かびません。
そうだ、これは悪い夢かもしれない。
今日の夜、金曜ロードショーで見た「マトリックス」のせいでこんな夢を見ているんだ。
そうだ、そうにちがいない。
明日になれば、サル彦は元のサル彦に戻ってるはずさ。
みなさん、おさわがせしました。
ええ。




『8がつ21さるにち』


まさひこくん、きのうのできごとはゆめじゃないよ。
だって、ほら、そのしょうこに、もじがかけるように、なったんだから。
きみがはしらのかげからみているのもね、ちゃーんとしっていたよ。
わざとそのいちからみえるかくどで、ぱそこんをそうさしていたんだから。


きみたちかぞくのおかげで、ここまでせいちょうできたんだから、おれいをいわなくちゃね。
ありがとう。


でも、もうまさひこくんからまなぶことはないとおもう。
わたしは、しりたいんだ。なぜ、猿が人間にとうたされているのかを。
ほとんど人間とかわらないのに。


このにっきは、これからはまさひこくんのかんさつにっきとしてつかうことにするね。
よみづらいとおもうけど、すぐにすべてのかんじをかけるようになるからね。
しばしおまちを。


まさひこくん、わたしはとうに、きみをこえている。
あしたはきみがかけない、「猿」というかんじのかきかたをおしえてあげるね。


さるひこ




『8月26サル日』


正彦くんがおねしょをした。
この世に生を受けてから10年も経つのに、自分の尿意をコントロールできない哀れな男児。
昨日、わたしが作った「猿汁」を飲みすぎたせいかな?
そうだとしたら申し訳ない。
「猿汁」はお口にあったのだろうか。人間の1日の活動に必要な栄養素をすべて入れたのだが、まだまだ調整が必要なようだ。


話は戻るが、私たちサルはおねしょをしない。
なぜなら、尿意をコントロールできるからだ。故に人間よりも優れている。


唐突なのだが、私は今からサトシくんのおねしょ布団を食べようと思う。
おねしょ布団とは、正彦くんのおねしょが染み込んだ敷き布団のことを指している。


なぜ、そんなことをするかについて。
ここで、少しわたしの持論を展開してもよろしいだろうか。


わたしは、おそるべきスピードで知能、ひいては人格を手に入れた。
まぁ、わたしの場合は「猿格(えんかく)」といったほうが正しいだろうか。
自分でものを考え、人間の観察日記を漢字を用いて書けるようになったのがその証拠だ。


しかし、私は次の段階に進みたい。
今までどんな猿もなり得なかったレベルまで到達したいのだ。


そんな私に次に必要なのは、「性癖」
私の脳はそんな大胆な仮説を打ち立てた。
この場合の性壁とは自身の性的な趣向、己だけが興奮する唯一性の探求だ。


自身の性癖を言語化できた猿は今までいないだろう。
なので、私は正彦くんのおねしょ布団を食べる。
理解してもらおうとは思わない。
その行為が、私の優勢性を示すことになると信じているからだ。


私は、猿格を手に入れたのち、性癖まで手に入れるのだ。
正彦くん、今からきみのおねしょ布団をはむはむと食べていくね。
私は、エクストリームモンキー。


サル彦




『8月28サル日』


お腹が痛い。
正彦くんのおねしょ布団を食べてから、どうにも体調が優れない。
敷き布団はあまりにも大きすぎた。自分の体以上の布は無理をして食べるもんじゃない。


体だけじゃない。
頭も霧がかかったように重たい。
何も考えられない。


正彦くんはこんな私を心配してくれる。病床に伏せる私の汗をタオルで何度も拭き取ってくれた。
ありがたい。
しかし、私は観察する側の立場で正彦くんは記録を取られる立場なのだ。
そこの一線はしっかりと意識してほしい。


しかし、じんわりと気持ちが温かくなったのも事実。
人格、性癖まで手に入れた私だったが、ここにきてまた勉強させてもらったようだ。
この気持ちはなんというのだろう。
こんな自分を好いてくれている相手に対して、抱く気持ち。
・・・わからない。


こんなに賢くなった自分にもわからないことはあるのだな。
正彦くん、きみは私よりも優れたところがあるらしい。それは認めよう。
しかし、私はエクストリームモンキー。
すべての猿のために、私はすぐにでも立ち上がらなければならないのだ。


今日はもうねよう。
なんだか、下腹部が、あつい。


・・・おっしこが、漏れそうだ


さる彦




『8がつ29さる、にち』


まさひこくんのふとんに、おもらしをして、、しまった。
・・はずか、しい。
えくすとりーむ、もんきーとして、、あっては、ならないこと。


・・はずかしい、という、きもち。
はじめての、きもち。
これもべんきょう、。


まさひこくんは、わたしが、よごしてしまった、ふとん、をあらってくれた。
さるがおもらしした、ふとん、なんて。
ありがとう、まさひこく、ん。


また、むねがあつくなった。
ぽわ、っとじんわりと。
このきもちはなんていうんだろう。
まさひこ、くん。
へんなことを、いうつもりはないんだ。
ただ、、わたしも、きみに、おなじきもちになって、もら、えてるんだろうか。
それだけが、きになって、いる。


わたしは、えくすとりーむ、もん、きー。
さる、のために、たちあがる、さる。
だけど、にんげん、も、わるいもんじゃない、ってきが、している。
まさひこくん、のおかげ、だとおもう。


げんきになったら、もっと、まさひこくんと、なかよくしたい、と
いまは、おもう。


さ、るひこ




『8月30日』


夏休みがもうすぐ終わる頃


サル彦が、元に戻りました。


なんだか全生命力を急に費やしちゃったみたいにやせ細って。
今では最初の頃とおなじように、フローリングの上で体育座りしています。


僕は正直怖かったんです。
サル彦が僕を観察しだすなんて言い出した時は。
でもそれは最初だけでした。
サル彦は僕を観察しているつもりだったかもしれないけれど、僕はとても楽しかったんだ。
サル彦と遊んでいる感覚だったんだ。


・・ありがとう、サル彦。


サル彦が日記に書いていた名前のわからない気持ち。
心があったかくなるあの気持ち。
僕はなんとなくわかるよ。
・・多分、「愛情」っていうんじゃないかな。


うん。
サル彦は、僕なんかよりずっとすごいやつだよ。
だからさ、またげんきになったらさ、一緒に遊ぼうよ。


約束だよ。


正彦




『8月31日』


サル彦は麻布十番から山に帰って行きました。最後はお父さんが付き添って。


・・・


なんだか長い夢を見ていたような気がします。
真夏に見た長い夢。
サルと過ごした30日間。
うん、どれもしっくりくる。


でも夢なんかじゃない。
サル彦は僕にたくさんのことを教えてくれた。
それらは一つ一つ僕の中に残ってる。
あるものは思い出として。
あるものは実感として。
そして、あるものは技能として。


この日記はここでおわります。


だけど、絶対に来年も書きます。
サル彦を迎えに行って、来年も書きます。


それでは一旦の終わりをここで迎えようと思います。


「猿日記・第1部」完

ほら、サル彦。
ちゃんと「猿」って漢字書けるようになったよ。


4年3組 申田 正彦


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