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「ダンボール」


今日のキーワード「ダンボール」

よく晴れた秋の日の午後の過ごし方について。
神様が人間をどこか天井奥地から見ていて、その人の価値について査定をするならこんな日の過ごし方を一つの基準にすると僕は思う。
唐突な話だけど、来年の新春に良いスタートが切れるかどうかはこの秋の日の、ランダムに選ばれたある一日の午後、この日の査定が大いに関係している、そんな風に思えて仕方がない。


この秋の日の午後をみんなはどんな風に過ごしているんだろう。
例えばこんな人もいるんだろうな。
僕は作業に集中しながら頭の中に人物像を思い浮かべてみた。
ぽわぽわぽわ・・・。


おぼろげに人物の輪郭が浮かんでくる。
紺色の襟をしたセーラの制服、その肩口に少しかかる程度の髪を携えた利発そうな顔の女子学生。
制服には皺一つなく、その手にはぶ厚い英単語帳がしっかりと握られている。
ははぁ、なるほど。
来春の受験を控えた高校三年生らしい。
僕の頭の中で彼女はどこかの椅子にすっと座り勉強を始めた。
簡素なプラスチック製の机がテーブルライトで照らされている。


その灯りの下で彼女は黙々と参考書のページをめくり、彼女自身が重要だと感じた部分に下線を引いていく。
志望の大学にようやっと手がかかりそうなところまで学力を伸ばすことに成功した彼女は、先日の模試でも何と「B判定」をもらうことができた。
普通の受験生であれば少しの気の緩みから今日はゆっくりして明日からまた頑張ろう、こう考えてもおかしくない。
けれどそんな好状況にも関わらず彼女は手を緩めない。


ちょうどそんな秋の1日の午後が神様の査定対象だったとしたら。
彼女は間違いなく、来年の春には志望大学の校門をくぐっていることだろう。
笑顔を浮かべた拍子に安堵の涙が頬を伝う、彼女の姿が浮かんで消えた。そんな気がした。


彼女が消えてしばらくすると、そこに新たな人影が脳内に現れた。
おぼろげでまだ輪郭しかないその人物に僕は肉付けをしていく。
ぽわぽわぽわ・・・。


次に僕が想像したのは中背の男性。細身ながらもその筋肉は引き締まっていて、野生の鷹や鷲のような強さを思い起こさせる。そんな男の人。
ある秋晴れの午後、川の土手沿いには気持ちのいい風が吹き抜けている。
そんな小高い土手の上を彼は黙々と走っていた。
サウナスーツのような服装のせいか、彼が走り過ぎた道には汗のシミが点々と刻印されていく。まるで直列の星座のようだった。
彼は試合を間近に控えたプロのボクサーだ。
土手のランニングは試合の追い込み前には欠かせない練習なのだろう。
というのも、毎回試合前になると彼は自身の適正体重から6キロ近くの減量を強いられる。
そのためには日々の練習に加えてランニングの本数がどうしても増える。
彼の体から流れる汗は日増しに減っていく。体内の水分まで追い出すような過酷な減量。
しかし、彼の目は闘志に燃えている。
この苦行とも思える行為に勝る快感を一つだけ知っているからだ。

勝利
勝利
勝利

もしこの日が査定の対象だったとしたら。
こんな殊勝な人に光が差さないだろうか。
減量をクリアした彼は試合にも勝利、来年の春には彼自身を一層高めるような、それこそ同階級のチャンピオンへの挑戦権だって得ているはずだ。
リングアナウンサーが少し間をあけて彼の名前を叫ぶ。
大勢の観客が熱狂でそれに応える。
リングへと続く花道を彼はゆっくりと歩く。その感触を心から楽しむように。
そしてリング中央まで達した彼はその左手を大きく掲げ、観客はその美しい動作を最高潮の歓声で讃える。
そんなシーンが見えた気がした。


これはあくまで僕の妄想上の話だ。
だけど偉大な成功者は皆、秋の日の午後を味方につけるような人だ。僕はそう思う。
そして皆何かと闘っている。おそらくその多くは自分自身と。
神様はそんな人間を見逃さない。その秋の働きに春の実りで褒美をとらす。
世界はそんな風に回っている。


妄想にふけった頭を振り、自分の部屋に視線を戻す。
あぐらをかいたこの姿勢からは天井がいやに高く見えた。
足元には爪楊枝やゴム製のデンタルフロスが散らばり、これまでの激闘の様子をにわかに漂わせている。


よし、もう一回だ。
僕は先のよれたフロスを選んで手に取り、自分の口に押し込んだ。
僕の中の頭の中の受験生、ボクサー、土佐犬、どうか手を貸してくれ。
あ、土佐犬は出てきてねえや。
まぁいい。
目指すは左上部の奥歯。違和感は先ほどから変わらずそこにある。


ある秋の午後、僕は口内の食べカスと闘っていた。


自分の中では先述した妄想二人組と比較して自分が劣っているだなんて少しも思っていない。
だって僕も「闘って」いるんだから。
世の中には歯の隙間に何か違和感を感じても次の食事でどうせ押し出されるし、いいか。なんて考えの人の方が圧倒的に多い気がする。
だけど僕は諦めない。
こんな秋の午後こそ、神様がみていると信じているから。


違和感の原因は概ね特定できている。
その日の昼食に食べたカレーうどんに入っていた牛すじ肉。
こいつがバラバラになれる最小単位まで分解されて尚、歯の間に取り残され、猛威を振るっているに違いないんだ。
昼飯直後に感じた違和感は尾を引きまくり、外はもう日の陰りを見せている。
ざっと4時間ほどの長期戦である。


数多(あまた)の歯間掃除用具が息を引き取った。
足元には僕を中心に100個ほどの残骸が散らばり、小さな虫の墓塲のようになっている。


最初の1時間は舌先だけで何とか多くの牛すじ肉を葬ることができた。
しかし、最後の最後に残された牛すじ、こいつのタフさには目をみはるばかりだ。
まさしく僕が相手した中では最強の牛すじ。


正直攻め手にあぐねていた。いくらフロスを歯間に入れても牛すじはかき出されない。
時間は無情にも過ぎていく。


より細いものを僕は求めていた。
しなやかで少々のことでは切れない何か細いもの。
・・細いもの。
身近にある、細いもの。
・・・髪の毛。


僕はすぐさま自分の前髪を手繰り寄せ、おもむろに一本を力任せに引き抜いた。
鋭い痛みがあった。
しかし、それにも勝る期待。


その髪の毛を両の手にもち、歯間にセット。
あとはこいつを引き上げるだけの簡単な作業さ。
・・・あばよ、牛すじ。来世でまた別の食べ物に転身して、また遊ぼうな。
僕は念仏がわりの言葉を唱えると、それを一気に歯の間に差し入れた。


・・・我、手応えあり。
左手の方から髪の毛を引き抜くと、先ほどまでの不快感が嘘のように僕の体から消えていた。
代わりに残ったのは溢れるほどの幸福感、安堵、そして力一杯僕を苦しませた不純物。


僕はその小さなカケラを手にとってみた。
この行為はいわば、はるか昔戦国時代を生きた武士の作法。
武士は打ち取った相手武将の御首(おんくび)を戦場に掲げ、どれほどこの男が強かったのか、どれほどこやつとの闘いが均衡したものだったのか、それらを知らしめるために大声で勝ち名乗りをあげたらしい。
僕もそれに殉じようと思った。
この牛すじがどれほどの強敵だったのか、自分を含めて全世界に知らしめたかった。


どうれ、そろそろお顔を拝見しますか。
手に乗ったカケラをゆっくりと顔の方に近づけていく。
ほう、こんな見た目のものが挟まっておったのか、はははこやつめ。
気分は戦で大出世を果たした武将そのものに成りきっていた。


ふむ・・・これはこれは、見事な・・。
うむ。
牛すじではないな。
何だこれ。


引き潮のように興奮の波が引いていく。
今、この時僕が闘っていたのは先ほどまで葬ってきた牛すじとは違った。
色は茶色く、そこは随分と似ている。
だけども牛すじではない。
本来はパサパサとしたもの。口から出て乾燥し始めるとその違いは明らかだった。
ゆっくりと空いていた右の手で押してみる。


この感触は、以前、どこかで・・。
僕の記憶は逆行を始めた。
この世に生を受けてから現在に至るまで、僕の両手は様々なものに触れてきた。
その感触たちが再度訪れては、離れていく。


・・・遠いあの日、恐る恐るなでてみた牧場の牛の背中。
・・・小4の夏の昼下がり、裏山のリスを追いかけてかろうじて触れたリスの尾っぽ。
・・・これは、中学生の時だ。下駄箱にふざけて入れられていたウシガエル。ひんやりと冷たい、苔をまとったウシガエル・・・


思ったよりも動物とのふれあいが多かった僕の四半世紀。
しかし、このカケラと似た感触のものを思い出すことができない。
そうなると急に現実が戻ってくる。


【僕は名前もわからない物体との戯れに秋の日の午後を費やしていた】


そうか、、、言語で認識するとこんな感じになってしまうんだなぁ。
僕は再び天井を見つめた。
この天井のさらにさらに高いところから見ていたであろう神様は、僕の午後の奮闘にどんな評価をくれるんだろう。
そして、来年の春にはどんな実りが待っているんだろう。
逆に牛すじじゃなくてよかったかもしれない。
得体のしれない物が歯間から出てきた男。悪くない。


僕は重い腰をのそりと上げた。
久しぶりの自重の重さに膝がきしむ音がする。
僕は名前もわからない物体をそっとティッシュペーパーで包むと、それを引き出しの奥にしまった。


いつの日か、鑑定にでも出してみようかな。いいや、それは野暮かな。
ははは、ふ。
そんなことを考えながら一人で笑ってみる。


もう外は夜の帳(とばり)。
春までの長い時間、僕はこの何ともしれない高揚感とともに生きていく。


この秋の午後、僕自身が自分の体から発掘した物体が何だったのか、その答えを知ったのはそれからちょうど四半世紀後。
僕が50になった時に亡くなった、おふくろの葬式の席だった。


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