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「長電話」×「ゆったりお風呂」× #8EFFC6

「架恵~準備は?」
「オッケー。未幸は?」
「こっちもオッケー。今日は蜂蜜の香り。昨日、うちの運送してくれているお兄さんがくれたやつ。そっちは?」
「ハッピーの香り」
「……なにそれ」
「ん?ハッピーよ、ハッピー。知らないの?ハッピー」

 薄く緑に色づいたお湯にそっと足を入れる。ちょうどいい湯加減に小さくガッツポーズを決めて身体を滑り込ませた。ふわっと甘ったるい香りが鼻をくすぐる。

「知ってるわよ。で、それの香りってどういうこと?」
「……スーパーに売ってるおもちゃのオマケのラムネみたいな匂いがする。」
「あら、ラッキーじゃない。」
「私が5歳だったらね。」

 もう!と小さな不満に任せて、天井に向けて足を蹴り上げる。ぴゃ!と音をさせて、小さな飛沫が湯船に返っていく。

 2週間に1度、お風呂につかりながらどうでもいい話をすることが習慣になっている。
 お供は、ミネラルウォーターに買ったばかりの雑誌やカタログ。そして、ケータイ電話。スピーカーで話しながら、8年来の友人とくだらない話に花を咲かせる。

 26歳、女盛り。無駄な時間が一番楽しいお年頃、なのは昔からだ。

 彼女には高校生のときに知り合った。最初はただのクラスメイト。吹奏楽部にいた私と、陸上部でそこそこの結果を出していた彼女とはほとんど接点がなかった。
 教室で話した覚えがないとは言わないけれど、ノート集めるよとかそんな事務連絡で終わっていた気がする。

 そんな私たちが何故お風呂につかりながら無駄話に花を咲かせるようになったかというと、話は2年ほど前にさかのぼる。

 私が、社会人になってから通い詰めているショップに顔を出したときのことだ。店員とも顔なじみになっていた私は、勝手知ったるようにしておしゃべりをしていた。

「そういえば、未幸さん!うちに来た新しい子、紹介しますよ。」

 特に仲の良かった店員さんに連れられてきたのが、架恵だった。私の顔をまじまじと見てから、確かめるように手を握られる。

「……みっちゃん?」

 それは、6年ぶりに聞いた高校時代のあだ名だった。大学に入ってからは、名前を呼ばれるのが当たり前だったし。

「えっと、架恵ちゃん?」
「やっだ!ちゃん付けとか、久しぶりに聞いた」

 握った手をぶんぶんと上下しながら大きく口を開けて笑った。
 開いた口からは綺麗に整った歯が覗いていて、そういえば綺麗な歯をしていると常々おもっていたことを思い出した。

 そのあとは久しぶりの思い出話に盛り上がって、連絡先を交換して。再会してから1週間後には食事に行った。
 終電ギリギリの時間まで、お肉やお酒を胃袋が許す限り詰め込む。ローストビーフにステーキにポークステーキ、ビールにハイボールにカクテル数杯。おかげで私は1キロ太って、ウエストがギリギリのスカートに押し込めるようにして履き続けるはめに。
 架恵と二人で、高校時代のように大きな声で笑って、いつの間にか下らないメッセージを送るような仲になっていた。思春期を同じ空間で過ごすって、結構大きなことなのかも、なんて思ったくらい。

 食事も月に1回、お互いに男の人とデートしたら報告会なんかもして、とにかく騒いでしゃべって、青春やり直しっていう感じなのである。そんな私たちだが、この春からなかなか“逢瀬”を重ねられなくなってしまった。

 原因は、私の部署移動。これまでは事務の仕事をこなしていれば良かったのだが、営業のある部署に異動してしまったのである。これは結構大きかった。架恵は平日が休みのことが多いし、土日は早番だったら食事ができた。
 私はほとんど毎日がノー残業デー(お給料は安いけど)という高待遇だったから、いくらでも時間を合わせることができていたのだ。

しかし、重なる残業、慣れない仕事に簡素になっていく食事。私は休みの日をただ睡眠につぎ込むことが多くなっていた。それか、お持ちかえりした仕事をこなすか。
 これまでなかった目の下のクマをごまかすために、コンシーラーを買ってしまったくらい。とにかく、毎日疲れていた。

 架恵だって、毎日いろんなお客さんと接していて疲れていないわけがない。それでも、あれだけパワフルなのってやっぱり高校時代の部活がきいてるのかなぁ、なんて気持ち悪いと可愛いの中間にいるようなキャラクターのスタンプが送られてくるたびにため息を吐いた。
 会社や取引先の前で、笑顔を張り付けているだけで精一杯。

「話したいよぉ~架恵とバカみたいなこと話してぎゃはぎゃは笑いたい」

 会社のトイレの個室に籠って、こんなメッセージを送るくらいには追い詰められていた。重いんだか、ふざけているんだか分からない私のメッセージに彼女は何を思ったのか。

「じゃ、話そうよ。」

と、一言返してきた。会う時間ないって言ってるじゃない!と泣きそうになりながら、会議や打ち合わせで詰め詰めになったスケジュールを睨む。
 やはり、どこにも余裕はなさそうだ。誰かと過ごす時間も自分を癒すための時間だっていうことを知っているけれど、もはやそれを許す暇もない。

「比較的、早く帰れる日ってある?」

 続けて、一言。もう一度スケジュールを見ると、木曜日は直帰が出来そうだった。

「木曜日なら行けそう。」
「でも」
「次の日早いから、帰らないと。」

 でも、なんて言葉を使う自分は嫌い。大体、“でも”って言葉を使うやつってろくな奴、いないのよね。そんな奴に自分も近づいてしまっている恐怖。
 26になって、どんどんダメな女になっている気がする。まっしぐらね、お局サマ。弱いよりは、強いほうがいい。
 そう思うけれど、屈強すぎるのは困りものだ。そろそろ、実家の親たちもうるさいし。
 ぐじぐじと自己嫌悪に陥っている間に、架恵からまたメッセージが届く。

「お風呂、入らない?」
「あ、お風呂って温泉とかじゃなくて、未幸の家のね。私も自分の家のお風呂入るから。話すだけなら、それでいいじゃない?」
「ついでに半身浴もできて、美容効果もあり!」

 明るくなった画面をじぃっと見つめる。お風呂っていつぶりだろう。そういえば、最近は忙しくて毎日シャワーで済ませていた。
 前の私は、週に1回はお湯に浸かっていたというのに。買いだめしていた入浴剤の存在を思い出す。3月に買った春限定の桜の香りの入浴剤は勿体ないからという理由と、忙しさが重なったせいで全く使っていない。
 そうだ、季節外れのお花見っていうことであの入浴剤を使っちゃおう。結構値段も張ったのだ。

「どう?」

 様子を窺うように架恵から一言。

「乗った」

 それだけ返すと、21時から開始よ、と時間を伝えるメッセージと共に買ったばかりだという臓器をモチーフにしたキャラクターのスタンプが送られてきた。こちらも、買ったばかりの動物スタンプで了解の意思を伝える。
 オッケー、がぜんヤル気が出てきた。
 つくづく、私はわかりやすい人間だと思う。

 3時間後に迫った会議に向けて、ほぼ白紙の画面に向き直す。
 楽しみが増えた頭は、自分でも驚くほどのフル回転。冴えた頭で考えた企画は、いつも以上に取り引き先は笑顔で受け入れてくれてトントン拍子で契約までこぎつけられた。

「で、最近どう?」
「どうってなにが?」
「恋よ、恋!らーぶ!」
「どうもこうもないわよ。毎日、書類!契約!売上!アイディア!そればっかで、見るも無残にぼっろぼろ。信じられる?私、まだトレンドの洋服ゲットできてないのよ?セールまで待たなきゃいけないってこと?」
「荒れてるねぇ……。それなら、私が取り置きしておいてあげるよ。未幸が可愛いって言ってた、ブラウス。結構売れ行き良くてさ。すぐ在庫切れになって、セールまでは残ってくれないよ。」
「そっかぁ~じゃあ、ベージュお願い!ほぼ白だったよね?」
「オッケーまいどあり」

 時間にして1時間、私たちが話すのはほとんど不毛すぎる恋バナやファッションの話だ。まだ手が届かないブランドや、ダサく見えない社会人ファッション。髪型はどれだけ個性を出していいのか。
 取引先の人に渡された名刺の裏に電話番号が書いてあったこと、この間その人と会ったらちょっとお高いチョコレートを手渡されたこと。
 そんなことばかり話して、1時間はあっという間に過ぎていく。

 ちょっとした楽しみができると、仕事にも張り合いが出てくる。
 3カ月経ってようやく仕事のリズムを掴むことができて、架恵と会う時間を捻出することもできるようになった。

 久しぶりの私たちの逢瀬は、そりゃあもうエキサイトした。
 夜通しカラオケなんて、学生ぶり!なんて笑いながら騒いで、体力の低下をひしひしと感じた。

 お互い若くないね、と言いながら食べたクロックムッシュの美味しさは格別。とろけるチーズに舌鼓をうちながら、じっくりと煮込まれたスープで箸休め。とろとろな舌触りのトマトは、大人に近づいている私たちに優しく沁みこんでくれた。

 久しぶりの逢瀬が叶って、私の生活に余裕ができてからもお風呂での長電話はもはや習慣となってしまった。

 それに、女はいくつになっても長電話が大好きだしね。

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 久しぶりのお休み、ひたすら友人と話をして終わりました。すっごく楽しかった!やっぱり女として生まれたからには、お話をし続けて死にたい。
 なんて、口から生まれた私は思ってしまうのです。

公式サイト「花筐

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